ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

昨今の風潮(1)

http://ironna.jp/article/1864


私はいま、安保法案の賛否をめぐる国内世論に対して強度のイデオロギーを感じている。それはつまり、ある特定の価値観が自分のなかで支配的になるあまり、他の価値観が排他的になってしまう現象である。SEALDsはまさにその例に当てはまると思うのだ。デモやTwitterでは「憲法を守れ」「安倍は辞めろ」の一辺倒、自分たちに都合の良い学者を取り込むばかりで多様性を重視していない。さらに命令口調で安倍首相をはじめ自民党や賛成派を扇動しているが、本当に自分たちの意見を聞いて欲しいと望むならば命令口調の言葉は使うべきではないし、それはいくら若者であっても、いや若者であるからこそ当然の礼節だと私は思っている。

(部分抜粋引用終)

http://japan-indepth.jp/?p=28519


2016年6月21日
朝日新聞 若宮啓文氏を悼むその1 旅に病んで夢は・・・」


古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授
古森義久の内外透視」


朝日新聞主筆だった若宮啓文氏が亡くなった。旅行先の北京のホテルでの病死だったという。旅先での孤独な死だったのだろう。
「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」
・若宮氏ときちんと顔を合わせて語りあった体験としては2001年のワシントンでの夕食会が思い出される。
・当時の若宮氏は日本国内で朝日新聞政治記者政治部長として活動し、韓国のソウルに留学して、アジア問題にかかわるようになった後、ワシントンの大手シンクタンクブルッキングス研究所で客員研究員として研修していた。
・2001年の時点でも彼と顔を合わせれば、挨拶を交わしていた。彼はいつも礼儀正しく、穏和な挙措の人だった。こちらも丁寧に対応していたつもりである。
・ワシントンの日本大使館の公使邸に夕食に招かれた。たまたま訪米中の政治家の塩川正十郎氏が主賓だった。
・塩川氏はこの席で大いに語った。もちろん政治がらみの話だが、ユーモアを交えて、おもしろく楽しい内容が多かった。内閣官房長官として内閣機密費をいかに議員たちに渡したかなど、びっくりするほどなまなましい経験談をも語ってくれた。若宮氏も私も熱心に耳を傾けた。
・塩川氏が話を終えて席を立ったとき、若宮氏と顔をみあわせて「よくあそこまで話しましたね」とうなずきあったことを覚えている。
・個人としての若宮啓文氏には親近感とさえ呼べる温かい思いさえ抱いていたといえる。その彼が中国の旅の宿で一人、客死したとの報には素直に胸が痛んだのだった。
・後の若宮氏は朝日新聞を代表する論客として活発な筆をふるうようになっていった。2002年9月から朝日新聞の論説主幹となり、5年半以上にわたり朝日の主張を世に出す代表的な発信者となったわけだ。
・2011年5月以降は朝日新聞主筆として、発表し続けた主張や論評のほとんどに対して私は反対だった。単なる朝日新聞産経新聞のスタンスの違いなどという次元の反対ではなかった。
・私が歳月の上、さらには取材対象の範囲の上では新聞記者として若宮氏よりは少なくとも量的には長く多い経験を積んできた結果、自然と築いてきた国際情勢への認識、日本という国のあり方への思考からし若宮記者の唱える主張、さらにその背後にそびえる朝日新聞的論調には根本から反対だった。
・彼が朝日新聞に発表する評論類には私は正面から反対を述べ、論争を挑んだ。産経新聞の自分のコラムでもそれを試みた。さらにそのころ産経新聞が始めた「iza!」という名の記者ブログでもより頻繁に書いた。
・私は「ステージ風発」という名前をつけた。談論風発の「風発」だった。その場でも若宮氏の署名記事を取り上げ、反論を書いたのだった。

(部分抜粋引用終)

http://japan-indepth.jp/?p=28558


朝日新聞若宮啓文氏の書く記事はその内容の実質面にもちろん反論があったが、それ以前に彼の主張のプレゼンテーションの手法に大きなゆがみがあると感じた。意見を表明していくその言葉の表現方法や理屈の立て方に常識を欠く不公正な特徴があったのだ。
・オピニオン雑誌『諸君!』の2007年3月号にかなり長い論文を発表した。「若宮啓文朝日論説主幹の毀れた『風向計』」という題となった。この論文は私としては若宮氏への公開質問状のつもりだった。
・私のこの論文は朝日新聞の2006年12月25日朝刊に載った若宮氏の「風考計」というコラムを主題としていた。このコラムには「言論の覚悟」「ナショナリズムの道具」という見出しがついていた。


・≪教育基本法に「愛国心」が盛り込まれ、防衛庁が「省」になることが決まった日の夜だった。
「キミには愛国心がないね」
学校の先生にそうしかられて、落第する夢を見た。
いわく、首相の靖国参拝に反対し、中国や韓国に味方したな。
卒業式で国旗掲揚や国歌斉唱に従わなかった教職員の処分を「やりすぎ」だと言って、かばったではないか。
政府が応援するイラク戦争に反対し続け、自衛隊派遣にも異を唱えて隊員の動揺を誘うとは何事か。
自衛隊官舎に反戦ビラを配った者が75日間も勾留されたのだから、よからぬ記事を全国に配った罪はもっと大きいぞ、とも言われた。「そんなばかな」と声を上げて、目が覚めた。
(中略)思えばこの間、社説ともども、小泉首相や安倍首相らに失礼を書き連ねた。夢でよかったが、世が世なら落第どころか逮捕されていただろう≫


・古森論文の骨子が以下だった。


≪若宮氏はこの論法で自分たちの言論に反対する側は「逮捕」とか「勾留」という強制的な行動で弾圧してくるのだと示唆する。「小泉首相や安倍首相らに失礼を書き連ねた」ことを「逮捕」という弾圧に結びつける
国旗掲揚や国歌斉唱、靖国参拝に反対すれば当局の強制的な懲罰が下るとも述べる。だが実際にはそんなことはない。それを自分の「夢」を借りて、いかにも現実の出来事でありうるかのように提示する。そもそも全国紙の中心的なコラム記事が筆者の眠っていた間に本当に見たのかどうかもわからない夢を根拠にして論評を進めるなんて、とんでもない


≪若宮氏は自分たちの言論に対しては物理的な弾圧や無法な抑圧が加えられるかのように書くが、実は若宮氏の主張に反対する意見も同じ言論なのである。一定の言論に対して反対の言論がぶつけられることは、民主主義社会の基本なのだ。だが若宮氏は自分たちの言論への反対側はみな言論活動ではなく、弾圧行動で報復してくるかのように描いている≫


(雑誌「WILL」2016年7月号からの転載)

(部分抜粋引用終)