ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

米国選挙・朝鮮学校・大和王朝

http://yoshiko-sakurai.jp/2016/04/02/6323


2016年4月2日


米国の伝統的価値観を大事にする保守的な人々が党員の多くを占める共和党は、大統領選挙のみならず、同時に行われる上院議員および下院議員選挙でもトランプ氏の負の影響を被りかねない。現在、両院で優勢を保つ共和党にとって、トランプ氏は党の破滅につながる存在になりつつある。
オバマ大統領の7年間の無策への反動だとの分析が、いまや主流である。超大国の指導者のオバマ大統領が国際社会に対する責任を引き受けなかったところから、中国とロシアの蛮行が始まった。ISをはじめとするテロ勢力の跋扈も同様である。
全員に軍歴がない点だ。民主党のヒラリー氏もバーニー・サンダース氏も、共和党のトランプ氏もテッド・クルーズ氏も、全員そうだ。
・かつては軍歴のない政治家、とりわけ大統領は批判されがちだったが、世界最強の軍事大国、米国は様変わりしたのである。
軍に志願すれば一般社会に出るのはその分遅れ、実績づくりも出世も遅れがちだ。それでも多くの米国人は、なぜ強大な軍事力が必要か、軍事力の究極の目的は抑止にあり、軍事力を抑止力として生かすにはどのような慎重さが必要かを実地で学んだ。

(部分抜粋引用終)

http://yukokulog.blog129.fc2.com/blog-entry-2284.html


2016年4月2日


朝鮮学校は通常の学校ではない。朝鮮学校は、校長人事などの運営、教育内容を朝鮮総連および朝鮮労働党が握っている。校長人事などどうでもよいと思ってはいけない。元朝鮮学校の校長らは、日本人拉致に深くかかわっていた北朝鮮からの麻薬密輸にも一役も二役もかっていたそうだ。教育内容は、北朝鮮の国是を前提にしている。
朝鮮学校は、通常日本人が通う学校法人とは異なる「各種学校」である。要するに、自動車教習所と同じなのだ。
文部科学大臣下村博文H25年6月下旬公用文統一指示[韓国式交ぜ書き「子ども」をやめて日本国式漢字書き「子供」へ統一]

(部分抜粋引用終)

http://agora-web.jp/archives/2018455.html


「応神・継体新王朝とか騎馬民族説はありえない」
2016年4月2日
八幡 和郎


・戦前の日本人は、日本は開闢以来、君臣の区別がはっきりしていて、万世一系天皇のもとで国民が一つになって歩んできたという、万世一系を信じていました。ところが、戦後は日本が特別な国だなどと舞い上がると良くないと憂慮して、皇統がどこかで断絶した可能性をなんとか発見できないかと歴史学者たちが珍説を競うようになっています。
江上波夫応神天皇が大陸からやってきた「騎馬民族」の首領だというロマンあふれる説を唱えました。東京大学教授でなかったら誰も相手にしないお粗末な作り話でしたが、肩書きがものを言って一世を風靡し、最近でも信じている人がいます。
早稲田大学の水野祐の三王朝交代説は、神武天皇欠史八代は史実でなく、崇神天皇が大和を統一して建国したが、南九州にあった狗奴王国の応神天皇とその子の仁徳天皇が河内地方に新王朝を開き、さらに、越前国から継体天皇がやってきて現在の皇室が始まったという説をとなえました。
・これらはまったく変な話です。たとえば、継体天皇が武力で大和を征服して新王朝を立てたというなら、継体天皇を初代にすれば良かったのです。記紀では神武天皇も、大和にいた支配者を追い出して建国したとしているのですから同じです。
・もう少し遠慮して、継体天皇応神天皇の子孫だと僭称して大和を征服したのでないかという人もいますが、それなら、継体天皇は偉大な英雄として記紀に書かれていたはずです。ところが、記紀には武烈天皇の宮廷を牛耳っていた大伴金村の勧めで皇位継承を引き受けたものの、大和にもなかなか入れず、さらに半島の領地である任那四郡を失った冴えない天皇という扱いなのですから辻褄が合いません。
継体天皇の家系はマイナーな皇族でなく、允恭天皇の皇后を出し、継体天皇の父親は雄略天皇の従兄弟ですし、皇室の系図がまとめられたとされるのは、推古天皇の時代ですが、推古天皇は血筋としては継体天皇の孫です。デタラメの系図を語るにはちょっと早すぎます。
記紀にあるように、仁徳天皇の子孫の多くが雄略天皇によって粛清されて適任者がいなくなったので、仁賢天皇の皇女の婿に遠縁の継体天皇を迎えたというのは不自然でありません。
継体天皇の前に丹波にいた仲哀天皇の子孫である倭彦命を迎えようとしたが、怖がって逃げたので、継体天皇がピンチヒッターになったとあります。ということは、応神天皇の子孫であることは皇位継承の条件で無かった、つまり、応神天皇が新王朝を立てたのでないことがわかります。
応神天皇が特別な大王だというような意識は、中世以降になって八幡藭と同一視されて崇敬の対象になってから生まれたもので、記紀ではそれほど特別な王者として扱っていません。それに、魏志倭人伝を見ても、朝鮮半島南部は、「ただ囚徒・奴碑の相聚(あいあつ)まれるがごとし」に対して、倭国は「その風俗は淫らならず」とされており倭国の方が先進地域でした。
・崇藭天皇の先祖については、先週「神武東征と建国記念日の科学的解釈」で書いたように、記紀は大和南西部の小領主で初代の神武天皇は日向からやってきたとしか書いておらず、日本の国王だったなどとそもそもしてません。
記紀を素直に読む限りは、神武天皇が創設した小王国の崇藭天皇が大和や畿内を統一して成立し、仲哀天皇が列島を統一した日本国家は、その成立から一度も王朝交代を経験せず、独立と統一を保持してきたと希有な国だということはほぼ間違いないということです。
鳥羽天皇の皇子とされる崇徳天皇が曾祖父に当たる白河天皇の子であることは、ほぼ異論がないところですし、どうも怪しいという例は、ヨーロッパの王室でもけっこうあります。

(部分抜粋引用終)