ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

故羽仁五郎氏を巡るメモ(1)

昨日言及した羽仁五郎氏に関して(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160126)、以下のようなサイトを見つけた。遅ればせながら、私なりの勉強メモである。例によって、部分抜粋して提示する。

1.(http://www.asahi-net.or.jp/~pb5h-ootk/pages/SAKKA/ha/hanigoro.html

『文学者掃苔録』原書房(2015年)

本名=羽仁五郎(はに・ごろう)
明治34年3月29日—昭和58年6月8日  享年82歳 
東京都豊島区南池袋4丁目25–1 雑司ヶ谷霊園1種1号10側

歴史学者群馬県生。東京帝国大学卒。大学在学中、クローチェの『歴史叙述の理論及歴史』を翻訳刊行。昭和3年三木清らと雑誌『新興科学の旗のもとに』を創刊、多くの論文を発表、『明治維新』『ミケルアンジェロ』その他の作品で軍国主義に抵抗し、知識人に感銘を与えた。『明治維新』『都市の論理』などがある。
戦前戦後を通じて軍国主義に抵抗し、批判した羽仁五郎終戦間際の昭和20年3月にも治安維持法違反で検挙されて獄中の人となった。
非転向を貫き通した強靱な意志を自負として〈この間の戦争で監獄の中にいなかった連中は、皆良心を失った連中でしかない〉などの過激な言動を常とした。反体制の教祖、進歩的知識人の代名詞に位置づけられる羽仁五郎だった。
藤沢市民病院に入院中であった死の一週間前、説子夫人がいつものように額に接吻をして帰ろうとすると、〈若いときみたいにしてくれ!〉とねだったというエピソードがあるように、晩年は幾分か和らいだ気分でもあったようだ。昭和58年6月8日、肺炎のため遠い眠りについた。

(部分抜粋引用終)
「若いときみたいにしてくれ!」って...?
2.(https://ja.wikipedia.org/wiki/

・晩年には家元制度打倒を唱える花柳幻舟と交際があり、羽仁は花柳を「僕のガールフレンド」と呼んでいた。

(部分抜粋引用終)
もう少し詳しく見てみると…。
3.(http://ruhiginoue.exblog.jp/21521696/

2014年3月6日


前衛舞踊家花柳幻舟が著書に書いていた。

かつて彼女は、親しくしていた羽仁五郎という有名なタレント学者から誘われて、革新自由連合という団体に参加したが、最初に話を聞いた時は気が進まなかったそうだ。有名人ばかりなので嫌だ。そのうえ、それだと会費が高そうだから尚更嫌だ。
 だから、そういう人たちばかりではないように、色々な人に参加して欲しいという羽仁五郎は、特に彼女とは一緒に運動をしたいから、会費も自分で二人分出すなどと熱心だった。なので、彼女は受けることにしたそうだ。
 すると、やはり彼女が危惧したとおりで、有名な進歩的文化人といわれる連中の行状には呆れさせられたそうだ。みんな、事務所で自分が飲んだお茶などの容器も、自分が吸った煙草の吸殻入れも、片付けない。だらしなさ過ぎると思いながら幻舟が片付けをしようとすると、ある進歩的文化人が言った。
「そんなことしなくていいよ、やらせる女の子を雇っているから」

(部分抜粋引用終)
キリスト教に基づく近代的で開明的な婦人啓蒙運動を率いた姑の羽仁もと子氏は、1957年に逝去されているから、婿入り婚だった羽仁五郎氏としては、1980年代前半には鬼の居ぬ間に洗濯、もとい、選択をしたということなのだろうか。もう一つある。
4.(https://twitter.com/hisamichi/status/621581173320318978

2015年7月16日

半世紀前、戦争法案ハンタイ!国会を取り巻こう!みたいな人達は今の数十倍いたわけですが、彼らがベストセラーにした「都市の論理」著者の羽仁五郎が家元刺した花柳幻舟と、歳の差40を超えて晩年付き合っていた、という記事 (フォーカス83年)

羽仁五郎「都市の論理」は一夫一婦制を奴隷制と呼び、家族の発生が階級対立と戦争を引き起こすという論なので筋は通っている。コレが68年頃の造反学生の「理論的支柱」と呼ばれた本。
羽仁五郎まぁ今読む人はいないわな。自分が何度も読み返したのは「少数者、マイノリティこそに真理がある」との羽仁論を福田恆存が批判した論戦。

(部分抜粋引用終)
筋が通っているというのか何というのか...。
5.(http://jack4afric.exblog.jp/16033471/

by jack4africa
2011年5月27日


彼女は羽仁進と結婚していたときは羽仁家の嫁でもあったわけですが、舅の羽仁五郎については、外では進歩的文化人として通っているが、家の中では暴君で威張り散らしていて典型的な明治の男だったと辛辣に批評しています。
反対に姑の羽仁説子については、夫の羽仁五郎に大人しく仕えているように見えながら、実際は家の実権を完全に握っていて、亭主をうまく操縦していたと評価しています。
進歩的文化人と婦人運動家の夫婦でも、実態は日本のフツーの夫婦と変わらなかったということらしいです。

(部分抜粋引用終)
では、なぜ羽仁家に?
6.(http://adat.blog3.fc2.com/blog-entry-1861.html

羽仁五郎とは何者か― 生誕から敗戦時までの履歴」
2013年6月29日


20歳(1920)年には羽仁もと子の編集する婦人之友社の少年少女雑誌「まなびの友」に短編や詩を発表している。


1926(昭和元)年4月8日 羽仁説子さんと結婚
女性の独立を助ける考えから自由学園を創設した羽仁吉一、もと子さんの家に夫婦で入り羽仁姓となった。

(部分抜粋引用終)
何だか、表裏矛盾した行動だったようにも見えるが、このブログ主氏は、羽仁五郎氏を次のようにも描写している。
7.(http://adat.blog3.fc2.com/blog-entry-1861.html

・「羽仁五郎―革命思想家の孤独な生涯」の中に『羽仁五郎の大予言』(1979年話の特集社刊 以下『大予言』と略記する)という著書が紹介されていた。

・羽仁さんは朝起きると配達されて来たばかりの朝毎読三紙に目を通し午前中のほとんどの時間をかけて赤、青二色の鉛筆で傍線を施した上で切り抜きを作っていた。それも一面や特集記事より、隅にある世界情勢に関連するどんな細かい記事をも見逃さないようにしていた。午後には数日遅れで届くイギリスのタイム紙、アメリカのニューヨークータイムズ紙の二紙の記事から、日本の新聞報道にあるなしをまず分類して、並行的にファイルを作成する。こうした作業は葉山に住むようになってから、日常的に行なわれていたので、書庫の一角に資料類が堆高く積み上げられていた。年次別になっているので、保存及び管理も十分であった。
・こうした中から世界の流れを的確につかみ、自分の思索の糧としてきた。21世紀への予言に当たる部分は不断の作業と思索から紡ぎ出されたものである。

(部分抜粋引用終)
…だって。今では氏の予言など読む人はいないだろう。そもそも、今の少子高齢化社会の到来の遠因を作ったことは、以下を見れば一目瞭然。
8.(http://dogwalker.way-nifty.com/carro/2007/04/post_acba.html

2007年4月14日
「都市の論理」より/家族


羽仁五郎の「都市の論理」には家族に関する記述がある。

この”家族、私有財産及び国家の起源”という書物で、現在のわれわれコンミュニティの問題にとって、非常に注目すべきものではないかと考えられるのは、社会というものと家族というものとは対立しているものだという思想が、この本の中を貫いている非常に太い線ではないかと考えられる点です。

「家族、私有財産及び国家の起源」というのはエンゲルスの著書である。羽仁氏はその本の中でエンゲルスが「家族は社会に対立したしくみだ」と指摘していると言うのである。

ファミリアということばが、もとは奴隷ということを意味しているということをエンゲルスは指摘していますが、・・・・・・一夫一婦制というものは、性愛というものとはなんら関係が無いということですね。それで、一夫一婦制というのは奴隷制である。

マルクス主義的な見方では、家族制度と社会とはそもそも対立するものであり、特に夫婦の関係というものが、束縛という人間関係の強調において解釈されている。
・それでマルクス主義ではプロレタリア独裁の完成をもって戦争がなくなると考えたのか。
・羽仁氏の主張に従えば、純粋な愛もプロレタリアトでなければ、「理論的に言って」あり得ないのである。まことにマルクス主義は万能薬である。すべてがこれによって解決される。
・しかし、今日、「家族」をこのように考える考え方を支持する人は多くはないだろう。日本で起こっていることはむしろ、「いかにして家族を再生するか」ということに対する関心であるように思える。
羽仁五郎氏は実はすごいブルジョアの出身である。父親は第四十銀行の初代頭取。羽仁五郎氏自身は東京府立第四中学校時代、学校の方針に逆らって停学処分を受けている。

(部分抜粋引用終)
つまるところ、我々から上の世代は、恵まれたボンボンの知的遊戯に、まんまと誤導されたということだ。1980年代の新聞紙上でよく目にした「濡れ落ち葉」「粗大塵」表現を想起せよ。このキャッチフレーズによって、幻滅や自信喪失から結婚難に陥った引き篭もり群が増えたとも言えないか。しかし、黙っていた人ばかりではなかった。次の中曽根康弘元総理を参照のこと。
9.(http://moonseizi.blog41.fc2.com/blog-entry-107.html

孔子さまは喋っていただけだ」
2009年4月5日


・先鋒の一人が中曽根康弘代議士で、さるテレビ討論会で彼は羽仁五郎をこう面詰した。


「あなたは学生をアジってばかりいるが、自分はなにも行動をおこさない。ずるいではないか。あなたにアジられてその気になり、バカなことをしたと後悔している学生も多いのです」
孔子さまは喋っていただけだ」と羽仁は答えた。
「しかしその言は多くの人の行動の指針となっている。自分を孔子になぞらえるつもりはないが、学者とはもともとそういうものなんだ。だいたい、考えて、書いて、喋ることに忙しくて行動するひまがない

(部分抜粋引用終)
上記のブログ主は「失業するほど恐ろしいことはない」ことを実感しているという50代の男性。
明日、この続きを。