日本のマルクス主義者
鈴木正(編)『日本のマルクス主義者』(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160123)を借りたきっかけは、京都で小児科医院を経営する傍ら、育児評論と社会批判の文筆活動をしていた人だと長らく思っていた松田道雄氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090223)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160115)の著作リストに含まれていたからである。
今ではこの本は一気に読めてしまうし、書かれている内容の何が本当で何が偽りか、またその点に各執筆者と編集者が気づいていたかどうか、どこまで意識的だったのかなどについて、時の変遷に伴った判断ができることが我ながらおもしろかった。
特に注目すべきは、「変名一覧」(pp.266-267)に計68名の活動家の別名がわざわざ表示されていることだった。借りた図書館の新装版は、名古屋市中区不二見町(現在の伏見?)の久野ビルにあった風媒社から1973年に発行されているのだが、当時は、日本共産党と日本社会党が推した革新市政の本山政雄市長の時代(1973−1985年)だったから、悪びれもせず堂々と公表したのであろうか。余談だが、この本山市長は母校の名古屋大学の名誉教授でもあり、2009年に逝去されるまで99歳のご長寿でいらした。本山市長の当選により、名古屋市をはじめ、横浜市、京都市、大阪市、神戸市など主要政令都市の全てが革新系になったことでも銘記される。また、学生運動上がりの社長が設立した風媒社は、現在、在日韓国人三世が編集長を務めているらしい。
このような背景から、1980年代半ばの私の学生時代には、この種の執筆陣の書いたものが新聞でも大学図書館でも書店でも自然と目に触れることが多く、「進歩的文化人」の本性を見抜けなかったことは、今更ながらもどかしい。
立花隆『日本共産党の研究(一)(二)(三)』を昨秋に読了したので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150921)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150924)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151219)、今回、特に注目したのは、松田道雄氏ではなく、羽仁五郎氏(1901−1983年)であった。
『婦人の友』(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081115)で有名な羽仁もと子氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071016)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071219)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140519)の娘婿に当たるマルクス主義歴史家である。学生時代には、お名前は知っていても読むことはなかった。ただ、羽仁もと子氏の自由学園を犬養道子氏が著作(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090317)で称賛していたことと、ご子息で映画監督の羽仁進氏による「個性」を巡る随筆が学校の国語教科書に掲載されていたことから、そのような「進歩的」な「自由主義」の環境下で、好きなようにのびのびと生きる同世代の羽仁未央さんが、何だか羨ましいような気がしたものである。それに、進氏の妹さんである羽仁協子氏のコダーイ音楽紹介やわらべ歌の導入も、音楽が好きであれば自然に知ることとなった。
ところが、2014年11月に、未央さんが50歳の若さで急逝されたことを新聞の訃報欄で知った。いわゆる不登校のはしりだったり、大胆な発想の発言があったり、何かと眩しかったのだが、その時ふと、(何か得体の知れない内情があったのではないだろうか)と感じさせられたのだった。
自由学園には行ったことがなく、書かれたもので知るだけだが、お姉さんか妹さんが何らかの理由で自由学園に転校したものの、どうしても合わなかったと、院生時代の後輩が、お互いに二十代だった頃に教えてくれたことがある。つまり、私は自由学園の宣伝の方ばかり読んでいたことになるし、後輩の彼は正直な打ち明け話をしてくれたということだ。ところが、その当時の私は「自由学園みたいに、何でも子ども達にやらせてみるっていいですよね」などと、トンチンカンな応答をしていたのだった。姉/妹さんが傷ついていたことも察することなく….。
未央さんは著名人の家系に連なる人だったし、元締めの羽仁もと子氏は、東北出身ながらも豪傑みたいなクリスチャン女性だったが、その娘さんの説子氏のエッセイ集には、結婚に際しても、実は母親の方が乗り気で、「何でも五郎さんの言う通りに身を任せればいいから」みたいな、公活動とは矛盾することを言っていた、などと書いてあったことを記憶している。正直と言えば正直なのだろうが、時代の過渡期にある活動家の私生活とはそういうものなのだろうか、と思ったことまで覚えている。
今から考えれば、世界史的な大きな潮流の中でのキリスト教宣教とマルクス主義運動を相対的に把握しきれず、日本の現状を問題解決の対象としてのみ直視し、世直し運動に懸命だった羽仁家の人々が、どこか痛ましいような気もする。婦人友の会についても、家事の合理化には賛成だし、家庭婦人が家の中でも計画的に自律的に過ごし、余った時間やお金を、教養を高めたり、困った状況にある他者を助ける活動等に用いることで、社会全体の層を底上げしていくという考えや実践には、全く異論はない。今でも時々、町の小さな図書館で買い物ついでに寄っては立ち読みしているのが『婦人の友』誌である。参考になる記事は、よく記憶して実行するように心がけてもいる。
ただ、いかにも良妻賢母の勧めのような雰囲気を醸し出している一方で、「社会を良くするには家庭から」というスローガンには一考を要するかもしれない。
例えば家計簿講習では、「我が家のあるがまま」の収入支出を模造紙に書いて人前で公表していたし、台所のシンクも「我が家のあるがまま」何分できれいにしました、みたいな写真が出てきたりすると、ご本人は良くとも、家族のプライバシー保護の点ではいかがなものか、と疑問に思ってはいた。「時間調べ」という作業項目もあり、一日に何を何分したか、グラフにして皆で講評していたが、それならば私なぞは、「もっと本を読む時間を減らしましょう」「もう少しパソコン時間が節約できるのでは?」「もっと全体的に能率よく整理整頓しましょう」「(家計簿は五年経ったら廃棄というので)複写論文も五年経ったら処分しましょう」等、余計なお節介、もとい、ありがたいご注意ばかりではないかと懸念して、結局は遠慮することになったのだ。それ以上に、まず自分で試してみたところ、かえって集中力や没頭して取り組む時間が削がれ、緊張してストレスが溜まり、逆効果だった。
振り返ると、ここにも社会主義的な考え方の一端がうかがえる。もちろん、新米主婦や新しい土地での生活に不安な場合、育児込みで心強い助っ人グループではあろう。私も結婚当初、初めての関西住まいで知り合いを増やすには、この方法を、と考えていたことがある。でも結局は、夫の稼ぎによって住まいも凡そ決定され、いくら「あるがままに」と言っても、他人が監視して助言する家庭生活では、公私のけじめが見境なくなってしまうのではないだろうか。
私の場合、「家計簿の五年毎の処分」については、経験上、異議がある。もちろん、他人様の情報が書き込まれていると後々厄介だったり、ひと目に触れたら恥ずかしい身内の話ということもあるだろうし、万が一の場合、片付け作業で人様にご迷惑をかけることを思えば、「家の中は定期的に物を捨てて、すっきり暮らしましょう」というお勧めは、よくわかる。しかし、その路線で行くならば、図書館の本も場所を取るだけだから、定期的にドンドン捨てましょう、物事は(どうせ捨てるのだから)紙に書きつけず、頭の中に刻み込んでおきましょう、という考えとあまり違いはないことにもなる。個(私)と集団(公)の相違を踏まえても、果たしてそれでいいのだろうか。
五年毎の家計簿処分とは、五ヵ年計画ではないが、そもそも事業関係から出た経済の発想であると、最近、主人から教わった。さすがはマルクス主義、よろず経済を中心に考える唯物思想だ、と改めて思うのだが、家計も重要な生活基盤であるとはいえ、家族ならではの個人の思い出や経験の積み重ねというものがある。これだけは、国や社会や共同体や他人には任せておけない自分だけの領域なのだ。
それに、たまに大掃除をしてみると、忘れていた事柄が思い出されたり、当時はそう思っていても、今ならこう思うという経過に気づいたり、反省したり喜んだりという時間が持てる。最近、主人が幼稚園に通っていた時に描いた可愛い絵が何枚も出てきて、小さい頃から根気強く、細かい作業に向いていたことがわかり、とても楽しいのだが、もし義父が気を利かせたつもりで昔にさっさと処分してしまっていたならば、私など、主人の原型を知らないままに終わっていた可能性が大である。
それも大切な人生の一コマである。済んだ事は時間の経過によって全てゴミ扱いにして廃棄処理してしまったら、目に見えない貴重な拠り所さえ失われてしまうのだ。
もちろん、普段から掃除もせず、溜めっぱなしのゴミ屋敷ではお話にならない。私の言っているのは、もっと常識的な話である。例えば、研究目的の資料等も五年毎に処分していたら、本当に何も残らず、近刊書だけを眺めている生活になってしまう。
果たして、それでいいのか?
考古学などの調査で、廃棄処理されたはずのゴミ溜めから、貴重な資料が見つかったというニュースが今でもあるが、それと同じことだ。
...と、話は羽仁五郎氏から逸れてしまったが、明日辺り、見つけたおもしろいサイトの紹介をすることにしよう。