ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

紀元節と建国記念日

http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/34006590.html


2016年2月10日


・現在、2月11日は「建国記念の日」です。しかし「建国記念の日」というのが出来たのは昭和41年です。
大東亜戦争後に米国に占領されたことがありました。この時、それまであった建国の日である「紀元節」が消されました。
・昭和23年7月に「祝日法」が成立して祝日を10日つくりましたが、そのうちの一つ紀元節」だけはGHQが絶対に認めませんでした
・2月11日は正式には「紀元節」と言います。
・平和だからこのままでいいという声があります。それは「戦後体制」という「平和という名の欺瞞」に飼いならされているだけです。
・こういうのは「平和」とは言わない。「敗北者」というのです
・日本を正すには「改革」ではなく「原点に立ち返る」ことです。
・日本が幕藩体制から明治維新に変わった時の「王政復古の大号令」の中に「諸事、神武創業の始めにもとづき」とあります。これが重要なことなのです。
歴史に学ぶというのはこういうことを言います。戦後の日本民族にとって学校の歴史教育で教える勘所はここなのです。
明治維新は「新しく改革した日本」ではなく「すべてのことを神武天皇の昔に立ち返り、それに基づいて日本を正す」ということだったのです。
大東亜戦争終戦後も昭和天皇が「新日本建設の詔書」で困窮していた日本人に「明治維新の五箇条のご誓文の精神に立ち返りましょう」と訴えました。つまりこの「復古」こそ新たな日本の建設になると陛下は確信していたのです。
・世界に誇れる125代連綿と続く皇統であり、國體であります。吉田松陰は「これ(國體)がある限り日本は決して滅ぶことはない」という言葉を残して処刑された。
・明治の歌人正岡子規は2月11日の日をお祝いして歌を詠まれました。

日の本の やまとの国のはじまりし その日を今日と 梅咲きにけり

(部分抜粋引用終)
4年前、伊予の松山にある子規記念博物館に行ったことを思い出す(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/comment/20120504)。文化が発展している地は、人々が明るく前向きで愛想が良い。滞在していても、見るに楽しく、食べるにおいしい。テキパキとして活発で、とても心地よい。沈滞して暗く薄汚れた感じの場所は、食事もまずいし、対応がのろい。街の看板や表示などを見ると、大抵、左派系活動家が暗躍しているようだとわかる。
明治維新」を「明治革命」と呼ぶ文献もある。英語でしか見ていないが、誰の呼称なのかは想像がつく。但し、日本語の読めない外国人が間違って引用している場合があるので、その都度、指摘する必要があると思う。
紀元節に関しては、過去ブログで言及した羽仁五郎氏が(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160126)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160129)、今借りて読んでいる『図書館の論理:羽仁五郎の発言日外アソシエーツ社(1981年)で、「紀元節と図書館」(pp.174-181)と題して「紀元節の本質」を論じている。

紀元節国民の祝日になったということは、すなわち第一に憲法の上に日本の国体があるという超憲法的なものを主張し、第二に軍国主義と密接な関係をもち、第三に歴史学を否定するという性格を最初から持っていたということである。」(p.178)

(引用終)
ここ一週間、仕事などで忙しくて、ゆっくりとブログを書けないが、先月末に、京都の会合で、上記の羽仁五郎氏にまつわるテーマに関連して、偶然の一致にしては実に興味深い経験をした。一段落したら綴る予定である。