ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

『アゴラ』から(4)

アゴラ(http://agora-web.jp/archives/1663453.html


「日本の将来には左翼も右翼も要らない」
松本 徹三


現在の左翼は過去から何を学んだのか?


・新安保法制の事があってから、左派系の人達と接触することが何度かあったが、一言で言うなら失望以外の何物でもなかった。彼等が色々な事を深く考えていて、何かを前に進めて行こうとしている様には全く思えなかったし、かといって、一度立ち止まって考え直してみるという気も全くない様だったからだ。何を言っても同じ紋切り型の答えが返ってくるだけだし都合の悪い議論には一切乗ってこない。まるでコミンテルン支配下にあった昔のよく訓練された共産党員の様だ。
1) これまでの左翼の心の拠り所であった「計画経済」では「資本主義」の様な経済発展は望めない(この為、共産政権下の中国でさえ「資本主義」を大幅に取り入れている)。
2) 如何なる主義主張を掲げていても、独裁政権は必ず「腐敗」と「強権政治」に陥り、国民に不幸をもたらす。
の二つだった。という事は、新しい時代の左翼は、過去のように自らの将来を託す理想形を「共産主義」や「社会主義」に求める事はもはや出来ず、自ら全く新しい理念を構築せねばならないという事だった。


右翼は「反発」だけがモチベーション


・一口に「ネトウヨ」と呼ばれている「右翼的な(昔を懐かしむかのような国家主義的な)発言を繰り返す人達」が結構多い。しかし、その殆どは、「自分の思い」をただ繰り返すだけのもので、具体的な提案が含まれている事は殆どない
・戦後長きにわたって、所謂「自虐史観」を広めてきた「進歩的文化人」「日教組」「主流派のジャーナリスト」「人権派弁護士」等々の「言論活動全般における支配的な力」に対する「反発」が、マグマのように鬱積してきており、もはや黙ってはいられなくなっているという事だ。
終戦直後には、それまでの嘘で固めた「美しすぎる国家意識(皇国史観)」が一瞬にして崩壊したので、その反対の極にある「実は日本軍はこんな酷い事をしていたのだ」という暴露的な本や新聞雑誌記事が人気を博した。
・行き過ぎも多く、「新しい嘘話」も数多く含まれていた。それなのに、情けない事に、「進歩的文化人達」は、味噌も糞も一緒にして、単純にこの全てを肯定したし、主流派のジャーナリストを含む左翼勢力は、旧勢力の復活を抑える為に、或いは中国や韓国の利益に資する為に、これを積極的に利用しようとした。
ネトウヨの人達には、ウンザリさせられる事はあっても、さして害はない。問題は、彼等の「言いっ放し」の言論姿勢が若い人達に与える影響力と、彼等のネット上での声が自民党の右派系の人達に過大評価され、彼等をミスリードする結果を招くのではないかという事だけだ。
・一番の心配は安倍首相自身の心象だ。彼自身がどの様な価値観を持とうと一向に構わないが、彼が不用意な発言を抑えきれなくなると、「中・韓を不必要に刺激する」「欧米諸国に警戒感を持たせて孤立を招く」という二点で、日本の外交政策に不利をもたらす。


結論:日本の将来には左翼も右翼も要らない。


1) 高齢化社会の進行
2) 生産性の停滞と国際競争力の喪失(従って成長機会も喪失)
3) 労働政策の蹉跌による格差の拡大
4) 不毛な原発論議とエネルギー政策の混乱
5) 忍び寄る財政危機
6) 教育の停滞による国際的な地位の低下
7) 中国の膨張政策に対する抑止力喪失の可能性
8) 北朝鮮の暴発への対策の欠如
9) 沖縄における国内世論の亀裂が招く米国の対日不信の増


・現在の左翼と右翼に何かが期待できるかといえば、結論は単純にノー。彼等は真剣な検討に値するだけの何の具体的な提案も持たず、ひたすら空疎な「主張」を連呼しているだけだから、何の助けにもならない。

(部分抜粋引用終)
私見では、ネトウヨの方が声は大きく下品だが、社会的インパクトとしては、新左翼よりも害が少ないように思われる。新左翼の場合、マスコミや大学などに浸透するので、気づくのが遅れ、じわじわと変容させていくのが怖い。

アゴラ(http://agora-web.jp/archives/1654051.html


丹羽宇一郎氏の危うい安保法論」
井本 省吾


日本経済新聞6日付けの「日曜に考える」のテーマは「安保法案、経済界から見ると」。
・反対派として登場したのが、元中国大使を勤めた前伊藤忠商事会長、丹羽宇一郎氏だ。論理展開が危なっかしいというか、親中姿勢が目立つのだ。
・政府の裁量権が大きい。白なのか、黒なのか、はたまた灰色なのか。ときの政権が決めることができる。……『現状では』と限定が付く。『現状』は絶えず変わり得る。10年後に戦争が始まりそうなときに『法律にそう書いてある』となるのが怖い。
・法律には大なり小なり政府の裁量権がある。安保法案は「それが大きい」と丹羽氏は言うが、現行憲法の成立当初、時の吉田茂首相は「自衛のための戦力も持てない」と明言していた。
・何が言いたいのか。「現状」が変化すると、それだけ裁量権は変動する、ということだ。しかし、法治国家である以上、法的安定性の確保は必要であり、裁量権には枠を設けるべきだ。
・丹羽氏は「憲法学者の8、9割が違憲の疑いがあるというのに、憲法学者の声を聞かないのはおかしくないか」と批判する。
憲法改正は戦後、何度も俎上に上りながら、実現しなかった大きな理由は国会の3分の2の多数を得なければならないという厳しい規定によるものだ。
・ところが、憲法改正に賛成か否かを問う質問に対しては、「イエスでもノーでもない。必要があれば直す。戦後70年も現憲法でやってきた。国民的議論もないままで改正はできない」とかわす。
伊藤忠の社長、会長、中国大使まで勤め76歳にもなって、憲法9条の改正に明確な賛否を言えないというのだ
親中派としての立場が影を差してはいないか。日本の安全保障は大事だとわかっていながら、中国の思惑を気にかける右顧左眄。
・ガス田開発は実は開発そのものよりも開発拠点を軍事基地化することに狙いがあるとも言われる。その行為を黙認した方が日本の国益にかなうと、丹羽氏は考えているのか。丹羽氏は日米同盟を重視する政府の姿勢にも疑問を向ける。
・日本を代表して中国に駐在していた元大使の意見なのである。まるで無責任な評論家的な発言だ。と言うよりも、中国寄りだ。
・なぜ安保法案を整備するかと言えば、軍事予算を削減する米国に協力して中国の軍事攻勢に備えるためだ。米国政府は集団的自衛権の行使を容認する今回の安保法案に対し、公式に歓迎の意を示している。
・むろん政治外交は「一寸先は闇」である。米中の間で日本の頭越しに握手することはありうる。いや、だからこそ、日本は米国との協力関係を強めているのである。
・日本を米国はむげにはできない。中国との関係を改善したとしても、それは日米同盟と両立する範囲内においてだろう。そういう環境を築くことが外交の要諦である。
・日本は中国と敵対関係を続けるべきでもない。日米関係を安定的に保って、抑止力を強めることが、結果として、日中関係の改善に資するはずだ。安保法案の整備に当たり、安倍政権が国会でことさら中国の脅威を言い立てなかったのも、事を荒立てず、中国との外交関係の改善を意識してのことだろう。
・日米が揺るぎない同盟で結ばれていると思ったとき、中国は初めて紳士的でリーズナブルな隣人になる。それは経済関係にも良い影響を及ぼすだろう。抑止力を持たない国は地域紛争に巻き込まれ得るということをこれまでの歴史が証明している。
・丹羽氏の論理は、中国重視という姿勢だと考えれば、一貫している。中国にしてみれば日本の防衛力増強も日米同盟強化も困る。その思惑に寄り添った発言だ。
・その余り、日本の国益を阻害する発言を繰り返すとすれば、看過できない。

(部分抜粋引用終)
丹羽氏については、過去ブログを参照のこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130519)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150823)。

アゴラ(http://agora-web.jp/archives/1663383.html


「シェフル・UNHCR報道官に聞く」
長谷川 良


・2015年は難民が欧州に殺到した年。12月現在、欧州に殺到した難民総数は90万人を超え、大台100万人。欧州連合(EU)28カ国の加盟国は押し寄せてくる難民の受け入れに苦慮し、受け入れに批判的な国は鉄条網を設置し、難民の入国阻止に乗り出している。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)ウィーン事務所のルート・シェフル報道官に今年1年の難民問題の総括と今後の見通しについて聞いた。


▲インタビューに応じるルート・シェフル報道官(2015年12月7日、UNHCR事務所で撮影)



――2015年は北アフリカ・中東諸国から多数の難民が欧州に殺到した年となった。
「UNHCRによれば、世界で約6000万人が故郷を追われ、難民生活を余儀なくされている。欧州では今年1年、約90万人が殺到した。大多数の難民は先ずギリシャに入り、バルカン・ルートでドイツなどに移動している。難民収容先としては、トルコで200万人以上、ヨルダンで約60万人、そしてレバノンで100万人以上だ。考えてほしい、あの小国レバノンで欧州全体より多い難民が収容されているのだ。難民の出身国としては、シリア、アフガニスタン、そしてイラクが上位3国。いずれも内戦が支配している国だ」



――なぜ、多数の難民が今年、欧州に殺到してきたのか。

「様々な理由が考えられる。われわれは昨年、シリアから難民の急増を既に目撃してきた。シリア内戦は5年目に入った。多くのシリア国民は内戦勃発後、数年間でこれまでの蓄えをほぼ使い尽くし、備蓄がなくなってきた。そこで故郷を捨てて安全な国に逃げていく。しかし、隣国のヨルダンやレバノンは小国だ。難民を収容できる資金がない。だから、シリア難民は欧州に向かう。多くはギリシャのレスボス島に移動した。もう一つの理由は、欧州で安全に生活できる可能性があると考えたシリア難民が動き出したのだ」



――メルケル独首相が8月末、「ダブリン条項を暫定的に停止し、紛争下にあるシリアから逃げてきた難民を受け入れる」と発言したことが、難民の欧州殺到を引き起こす切っ掛けとなったという分析がある。

メルケル首相の発言がシリア難民をドイツに殺到させた要因となったことは間違いないが、同発言は多くの要因の一つに過ぎない。メルケル首相の発言前に、多くのシリア難民がハンガリーのブタペストの駅前に集まっていた。メルケル首相の発言は難民のドイツ行きのトレンドを加速させたが、繰り返すが、決して唯一の要因ではない」



――ジュネーブ難民条項によれば、政治的、宗教的、民族的理由で母国を追われた人を難民と明記しているが、欧州に殺到してきた難民の中には経済難民が少なくなかったのではないか。

「厳密には個々のケースを審査しなければ言えない。先述したように、難民の多い3国、シリア、アフガン、イラクは紛争状況下にある。彼らは欧州に入った難民の80%に該当する。その他、イタリアにはエリトリアソマリアから難民が殺到した。UNHCRの観点からいえば、彼らはジュネーブ難民条項に合致する。もちろん、難民の中には経済的理由から逃げてきた者もいるが、大多数は紛争地から逃げてきた難民だ」



――欧州ではアフガン難民はもはや収容しないという声が高まっている。なぜなら、シリアやイラクとは違い、アフガンでは国民は居住できるからだ。

「例えば、オーストリアでは多数のアフガン難民がジュネーブ難民条項に合致する難民と認知されている。アフガンの少数民族出身者やタリバンの支配地域出身の難民は認知される。また、アフガンではイスラムスンニ派過激組織『イスラム国』の影響が強まってきているのだ。また、アフガンからの難民にはイスラム教の少数宗派シーア派出身者がいる。UNHCRは最新の『アフガン報告書』をまとめている最中だが、アフガンの治安状況は残念ながら悪化している」



――「パリ同時テロ」事件後、テロ実行犯の中には難民を装ってバルカン・ルートから欧州入りした者がいたことが判明した。

「もちろん、難民の中にはさまざまな人間がいる。しかし、数人のテロリストゆえに難民全体を懐疑的に受け取ることには警告を発したい。難民受入れで欧州社会を分裂させてはならない。われわれは多くの難民と会って話したが、彼らは本当に窮地に立っている。安全という観点からいえば、重要な点は難民がイタリアやギリシャに到着した段階で審査を実施し、難民がどのような人間かを掌握すべきだ。UNHCRは当初から主張してきたことだ。そうすれば、バルカン・ルートで難民が長い道を苦労して彷徨うこともなくなるはずだ」



――EUはトルコ政府と連携して難民審査センターを設置し、殺到する難民を抑制することで合意したばかりだ。

「まだ詳細な内容を聞いていないので評価できない。われわれの立場から言えば、トルコだけではなく、ヨルダン、レバノンに収容されている難民への支援強化が大切だ。また、難民が地中海を危険を冒してボートに乗り欧州入りしなくてもいいように対策を取るべきだ」



――ところで、EU28カ国中、難民の受け入れを実施している国はドイツ、オーストリアなど5カ国に過ぎない。メルケル首相が主張すル[ママ]難民の公平な分配は空言葉で終わっている。

EU加盟国の連帯感の欠如を感じている。EUが難民に対する原則で合意することを願うだけだ。単にアピールではなく、求められているのはEU加盟国の連帯だ」



――欧州では殺到する難民の支援のために、非政府機関(NGO)ばかりか、多くの国民が支援活動をしてきた。彼らの動機は人道主義であり、難民への隣人愛、寛容がその根底にあるが、難民の殺到が絶えないことから、欧州の国民の間にも支援疲れが見えだした。 

オーストリアの場合、政府や国民の間には難民支援への熱意は消えていない。もちろん、隣人愛、他民族への寛容だけでは難民問題は解決できない。EUの総人口は約5億人だ。そこに100万人の難民が殺到したとしても、各国で公平に分配すれば、その負担は微々たるものだ。難民問題が大きな負担とはならないはずだ」



――難民の分配問題だが、難民には居住国を選ぶ権利があるか、それとも収容国が難民を選び、有資格者、高等教育修了者の難民を優先的に受け入れ、自国の労働力不足を解決する権利があるのか。

「家族が欧州で既に住んでいる難民の場合、家族が住んでいる国に優先的に収容することはある。また、フランス語が堪能な難民の場合、フランスは容易に収容できるといった具合だ。EU側が独自の条件を掲げるかもしれないが、UNHCRは特定のクリテリアを持っていない



――欧州の殺到する難民の大多数はイスラム教徒だ。もちろん、敬虔な信者から世俗化した信者まで多様だと思うが、彼らはイスラム教圏からの出身者だ。一方、難民を受け入れる欧州は主にキリスト教社会だ。イスラム教徒出身者の難民の受け入れ先として欧州社会は理想だろうか

UNHCRは意図的に古典的な宗教紛争、文化衝突を扇動しているわけではない。われわれとしては難民の統合問題を促進させることが重要だ。難民の中でも教育を受けてきた難民は他文化社会でも、そうではなかった者より容易に統合できる。統合の成否は教育にあると信じる。宗教の相違ではない。統合がうまくいけば、就業の道が開く。だから、難民受け入れ国は統合政策に力を投資すべきだ。例えば、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992〜95年)では多くのボスニア国民がオーストリアに逃げてきた。彼らの多くは高等教育を受けた難民たちだった。彼らの多くは文化は異なるがオーストリア社会に統合し、国籍を得、成功を収めている者が少なくない。宗教の違いが問題ではなく、教育と統合への意思だ」



――難民問題が大きなテーマとなって以来、欧州各地で実施された選挙では民族主義的な政党、極右政党が得票率を伸ばしている。オーストリアでもウィーン市議会を含む2州の議会選でいずれも極右政党「自由党」が大飛躍した。フランスでも同様の傾向が見られたばかりだ。オーストリアの場合、過半数の国民が難民受け入れに批判的となってきている。民主主義国家は多数決原則だ。多数派が難民受け入れを拒否しているのにも関わらず、難民受け入れを続けることは、民主主義の原則に反しないだろうか。極右政党の躍進もその点があるのではないか。

「社会の多数派が少数派を無視し、全てを決定できるか、という別の問題が出てくる。問題は難民にあるのではなく、難民問題で一体化できず、分裂するEU側にある。テレビで連日、数千人の難民が列を連ねて国境にいるのを観る国民には不安が生まれてくるのは理解できる。世界では域内難民を含め6000万人の難民がいる。世界的視点からいえば、欧州に殺到する難民の数は非常に少ないのだ。欧州は連帯して難民問題の解決を見つけ出すべきだ」
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・編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年12月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください

(部分抜粋引用終)
上記記事に関連して(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151021)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151022)、偶然にもタイミング良く、昨日、東京の国連UNHCR協会より、達筆のお手紙が届いた。2000年から僅かな送金を細々と続けてきたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080130)、送金の際のコメントに対して、ワープロ打ちではない丁重な書簡をいただいたのは、これが初めてである。(前回は「国連」‘UN’の重複名称の件で回答があった。)恐らく、今後はこのような長期支援者に対する個人的なフォローが、寄付金活動を続けていく上での鍵となろう。
先日送られてきたパンフレットを見ていたところ、「ヨーロッパに再定住が決まり」と、安堵した表情のムスリム難民の写真付き紹介があった。現状から、ささやかな送金者として大きな違和感を覚えたので、短くコメントを書き添えた次第。
建前はともかくとして本音では、欧州にムスリム人口がこれ以上増えると、何世紀にもわたって戦争や政略結婚を繰り返しながら築き上げてきたギリシャ・ローマ遺産とキリスト教に基づく欧州文化に変容が強いられることを欧州人が懸念し、嫌悪さえしている事実に対して(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150521)、誰も否定できない「人道」を合い言葉に、欧州への「ムスリムの再定住」をUNHCRが促進しているかのような活動を、責任ある送金者としてどう考えるか、なのだ。
たとえ僅かでも送金すれば、当座の生活支援は可能になろう。とりあえずの食糧と暖房具などだ。但し、今、欧州に徒歩でも行けるようなムスリム難民は、比較的、恵まれた社会階層であるとも聞いている。
その人達は、本来ならば自国の安定と再建のために労すべき立場なのに、欧州に出て来てしまっているのだ。いくら差別があろうとも、自国よりは遙かに安定して生活水準の高い、環境の整った欧州に住み着いてしまうと、子ども達などは、なかなか帰りたがらないだろう。かくして、社会変容が徐々に起こっていく。
もちろん、シリアの場合、アサドが悪い(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090605)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120315)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120317)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120622)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130103)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130516)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130831)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130912)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140531)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140613)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140725)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141022)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150330)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151020)。しかし、アサド親子の暴虐については、パイプス先生が何十年も前から調べ尽くし、本にも書き(“Damascus Courts the West: Syrian Politics, 1989-91”,“Greater Syria: The History of an Ambition”,“Syria Beyond the Peace Process”)、新聞雑誌への論考投稿を繰り返して来られたのだから(邦訳リストはこちらを参照(http://www.danielpipes.org/search.php?cx=015692155655874064424%3Asmatd4mj-v4&cof=FORID%3A9&ie=UTF-8&q=%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%83%89&sa.x=0&sa.y=0)、すべきことはした、というのが実感でもあろう。
このような相次ぐ難題に難題を重ねることに対して、送金することで悪に手を貸すようなことになってはいけない。
人道援助の場合、戦略方針が重要だ。「弱い立場の人々に寄り添う」とは、緒方貞子先生がキャッチフレーズのようにおっしゃって、情的に動かされやすい日本では、非常にインパクトがあったが、あれは、緒方先生のような日本を代表する恵まれたエリート女性だからこそ、逆説的に響いた言葉なのであって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080315)、誰もが簡単に口にできることではないと私は思う。というのは、「弱い者を偏ってかばってはならない」というレビ記の言葉(19章15節)もあるからだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150105)。それに、日本の国連安保理での地位確保という政治的意図も看過できないだろう。
私なぞ、三十代で発症した進行性難病患者を抱えて大変な毎日。その上、遺産の分け前もなく、孫資金もなく(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151110)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151114)、職もなく、家も車もなく、親戚からの支援もない。無い無い尽くしでここまで来た。それでも、どういうわけか各種団体からの寄付金依頼がたくさん届く。ある組織などは、「2013年には○○円の寄付がありましたが、今年はまだです」などと、失礼な文面を添えた手紙が同封されてくる。寄付したくないから、自由意志で送金していないのだ。活動内容に魅力が全くなく、個人的に参加しても何ら益がないから、止めたのだ。(学会や研究会の類いではない、念のため。ちなみに、研究発表は全額自前で行ってきた。本来、奨学金が必要なのは、むしろこちらだ。)また、お金のみならず、献血も複数回行い、自分の血液の提供も無料でしている。枯渇するまで血液を搾り取ってください!
正直に言おう。恵まれた難民以上に、むしろこちらの方が物心両面で援助していただきたいぐらいだ。患者と私の方こそ、客観的に見て、絶対条件として「弱い立場」なのだ。
しかし、国連基準ではそうではない。では、なぜその人は「弱い立場」と承認されているのか?その人には、本当に全く責任はないのか?エンパワーメントで力をつけていき、自力で生きていく努力も工夫も必要ではないか?援助疲れとも聞く。甘えの構造の助長にもならないかと心配だ。
一つの案として、一定年数、条件付きでムスリム難民に欧州定住を許可するが、その後は、教育があっても統合能力があっても、原則として出身国に帰還し、国の再建に尽力してもらう。混重婚のケースやエリート層から帰国していただくのがよいのでは?その方が、地球全体の安定促進に役立つ。
そのための支度金なら、こちらから出してもいいかもしれない。