ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

日本を取り戻そう(2)

10年以上も前から「戦後思想が悪い」とは聞いていたが、自分を含めて周辺を見渡してみると、確かに、戦後の教育制度の中には社会主義思想が微妙な形で少しずつ段階的に刷り込まれていて、世代交代した今では、恐ろしいことになっている。いわゆる暴力革命ではない、文化的知的な装いの「社会革命」である。

以下のような文章を、もっと若い頃から学校でも読ませてもらっていたら、相当違っていただろうに、と思う今。
1.加瀬英明

http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi


「雅」−−日本人にそなわる美意識
2015/12/04


・日本の精神文化の最大の特徴:清浄感
・和食をとれば淡白で、できるかぎり自然をそのまま取り入れている。自然の恵みを楽しもうとする。
・中華料理やフランス料理:凝ったソースがそうだが、まるで化学の実験のようだ。
・日本文化は太古のむかしから、中国や朝鮮の文化と、まったく異なっていた。
・和食には、山や森や、川や海の霊気が宿っている。
・中国や西洋では、厚い鉄鍋が調理の主役だ。日本では素材を大事にするから、包丁だ。
・インド料理も素材の味を、そのまま活かすことがない。東アジア料理も、強い香辛料が売り物。
・中国や、朝鮮から仏教をはじめ、制度、儒教など、多くを学んできた。もちろん、漢字もそうだ。だが、遣唐使が豚や羊を連れてくることが、なかった。
・美しいという漢字は、「羊が大きい」と書く。私たちの美意識は中国人のように、唾液腺にかかわることがなかった。
・日本人の美意識は、雅(みやび)。派手なものや、金銀のように光るものを、嫌ってきた。雅(みやび)の語源は、平安朝の「宮び」からきているが、そこはかとない、ほのかな美しさや、香りを尊んだ。
・中国の歴代の皇帝が住んでいた、北京の故宮というと紫禁城を訪れると、まばゆいばかりの財宝が展示されている。私は皇居の新宮殿にあがったことがあるが、金銀の光るものが1つもない。ただ、気品が漂っている。
・11世紀前半の紫式部の『源氏物語』は、雅(みやび)の文学であるが、「風涼しくてそこはかとない虫の声が聞こえ」(帚木)というように、雅は抑制された美。
・『源氏物語』は、私たちに平安の香りの文化を伝えている。藤式部の丞(じょう)が姫君の屋敷をたずねるが、ニンニクの悪臭にたえられず、急いで飛び出す。姫君がカゼで、ニンニクを服用していた。(帚木)
・梅も橘(たちばな)も、日本の原産種ではなく、中国から船で豚や羊のかわりに、持ち帰ったものだ。
・全員が人民服を着ていたころから、しばしば招かれたが、不潔なのに閉口した。漢字で「家」を漢和辞典でひくと、ウ冠の屋根の下に、豕(ぶた)がいると説明している。同じ屋根の下で、豚と暮していたのだ。
・中国で墓参の時や、台湾でも廟に、豚の頭を丸ごと供える。私たちには生臭さすぎる。
神道では神前に、榊(さかき)。榊はツバキ科の常緑樹で、清々(すがすが)しく光沢が美しい。
・『源氏物語』に光源氏が多くの恋人の1人に、「変らぬ色をしるべとして」(自分のあなたへの心は、いつも変わらない)という和歌に、榊の葉を添えて贈る場面がある。(賢(さか)木(き))
・和食は中華料理や、西洋料理と違って、清浄であり、何よりも季節を大切にする。私たちはそこはかとない隠し味を、楽しむ。
・自然は自分をそのまま、見せる。誇張することがない。日本人は心の民として、つとめて自制することと、自然の清らかさを求めてきた。

(部分抜粋引用終)
2.櫻井よしこ

(http://yoshiko-sakurai.jp/2015/12/05/6214)


「 日章旗を土足で踏みつけさせる中国 大事に取り扱い返還してくれる米国 」
週刊ダイヤモンド』 2015年12月5日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1111 


北京市郊外にある「中国人民抗日戦争記念館」は「抗日戦争勝利70年」の今年、全面改装され7月に公開。ガラス張りの床の下に日章旗を埋め込み、参観者はわが国の国旗を土足で踏みつけなければ一巡できない構造。
・「ガラスの床下の日章旗には、『祈武運長久』などの言葉と多くの人の名前が書き込まれています。出征軍人に家族、友人、故郷の人々が心を込めて寄せ書きをしているのです。皆、その旗を大切に身に着けて戦った。しかし彼らが捕虜になったり、戦死したとき、寄せ書きの日章旗は奪われた。」
・今年8月、オレゴン州の歴史家、レックス・ジーク夫妻が安倍晋三首相を官邸に訪ねた。夫人は敬子さん、日本人だ。夫妻は全米から寄せられた71枚の「寄せ書き日章旗」を手渡すために来日したのである。
・2007年、おじいさまが出征時に持っていった寄せ書きの日章旗がカナダで見つかり、無事、ご遺族に戻された。
・ご夫妻の「寄せ書き日章旗返還」を進める地道な活動が始まった。日本語を読めない米国人にとって、寄せ書きされた日章旗は一種の芸術作品に見える。戦場で米軍兵たちが日章旗を見つけては持ち帰った背景には、国旗についての彼らの考えが日本人とは異なるというもう1つの要素もあっただろう。米欧では旗は第一義的には軍隊、国、敵味方を区別するためのものだ。戦場で敵の旗を奪うことは大きな軍功を意味する。日本人にとっての旗、とりわけ寄せ書きの日章旗への感覚はそうした国の印という意味に加えて、家族の祈りと愛、兵にとって心の支えという意味がある。
・寄せ書きの旗が1人1人の兵の形見であること、父、息子、夫を見送った人々の愛情と尊敬のこもったものであることを理解したとき、多くの米国人は、旗の返還に協力を惜しまなくなったというのだ。
ガダルカナル島ペリリュー島硫黄島、沖縄、多くの激戦地で戦った日米両国だが、70年を経たいま、互いを見る視線には相互理解と未来への希望がある。
日章旗を日本の軍人の魂と、家族の愛情と祈りの表現として、大事に取り扱ってくれる米国、その旗を土足で踏みつけさせる中国。この相違を日本人は忘れてはならない。

(部分抜粋引用終)