ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

どうした、今の日本!

メーリングリストより。

致知』2019年1月号
特集「国家百年の計」p.20


【占部】平成時代の教育の実態はどうかというと、30年間で日本の教育はますます悪化しています。「教育基本法」の改正に伴い確かに教育改革は進みました。いじめ対策も立法化までして取り組んでいますが、いじめ問題も不登校も結果的に増えている


【野口】私も占部先生のいまのお話に全く同意見です。先生は制度の改革が成果に結びついていない理由をどのようにお考えですか。


【占部】やはり中身が伴っていないんですね。平成11年に国旗国歌法が施行されましたが、先生たちはいまも多くが歌っていません。歌っていないけれども起立していますから、一応は歌ったとカウントして報告される。それと同じで制度のいじくりだけが進んでいるわけです。


一方で大変面白いのは、外国人の目によって日本の教育の素晴らしさが分かってきたのも平成なんです。


阪神・淡路大震災の時、諸外国から報道関係者や調査団が避難所を訪れて、あの過酷な状況の中で人々がゴミの分別をきちんとやっていた姿を見て大変感動し驚くんです。実際、韓国の新聞はそのことを大きく報じています。


アメリカの調査グループはさらに、その理由を調べました。そこで分かったのが、日本人の整然と協力する姿勢の背景に小学校からの班単位による学校掃除があることでした。


【野口】日本の学校のどこでも行っている清掃活動が背景にあったというのですか。


【占部】ええ。日本人にとってはそれが当たり前でも、子供に学校掃除をさせない国が多いのが現状ですから、外国人にとっては驚くべきことだったんですね。


エジプトでは崩壊寸前の教育を再建するために、大統領自ら日本の学校掃除に注目し、いま学校に掃除を導入しています。学力世界一のシンガポールも、頭だけの教育じゃ駄目だというので、一昨年から日本の学校掃除を取り入れています

(引用終)
学校の掃除だけでなく、給食の配膳と後片付けについても、短いビデオを見て、フェイスブック上でアメリカ人の知り合いが褒めてくれた。
それにしても、なぜ平成になってから教育の質が悪化したのか、興味がある。私見では、昭和の時代に社会主義思想が広まって、マスコミや教育においても大衆化と悪平等志向があり、模範的な人の足を引っ張る風潮があったことと、その影響を受けた世代が主導権を握る時代に突入したからではないだろうか、と思われる。

加瀬英明氏のブログ引用を(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=kase-hideaki)。

http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi


ペリー浦賀来寇から僅か15年で明治元年となった
2018/11/30


・私は昭和40(1965)年に、東京放送(TBS)が出資して、『エンサイクロペディア・ブリタニカ』(大英百科事典)の最初の外国語版の『ブリタニカ国際大百科事典』(全21巻)を編集して出版した時に、初代の編集長をつとめた。29歳だった。


・編集の最盛期には、翻訳、縮訳と、新しい項目をつくるために、200人以上が携わった。当時、もとのブリタニカ百科事典といえば、欧米を世界の中心としていたから、額田王和泉式部も、義経も、二宮尊徳も、平田篤胤も、日本で自動車をつくっていることも、載っていなかった。そこで、日本とアジアの新しい項目を、加えなければならなかった


・今年は、明治維新150周年に当たる。年表をみると、ペリー提督が率いる黒船艦隊が浦賀に来寇したのが、嘉永6(1853)年だった。日本は僅かその15年後に、「御一新」と呼ばれる明治維新を行うことによって、明治元年を迎えた。


・イギリスが中国に阿片戦争を仕掛けたのが、天保10(1840)年だったが、ペリーが来冠する13年前のことだった。幕府も諸藩も、長崎に入港するオランダ船から入手した、海外の最新の情報をまとめた『オランダ風説書』によって、詳細な情報を手に入れていた


・ペリー艦隊が搭載していた砲の射程が、3500メートルもあるのに対して、わが砲は家康の時代から変わっておらず、射程が4、500メートルしかなく、日本の古い砲が火玉しか発射することができないのに、ペリーの砲身のなかに螺旋が施されて、威力がある炸裂弾を撃つことも知っていた。


阿片戦争から明治元年までの28年間を振り返ると、戦後の日本の目覚ましい経済復興をもたらした、驚嘆に価いするエネルギーをみる思いがする。


島崎藤村の『夜明け前』といえば、幕末の木曽路の宿場町の生活を、克明に描いた長編小説だ。山深い木曽路にある宿場が舞台となっており、庄屋の青年である青山半蔵が主人公である。半蔵は家業に励しむかたわら、賀茂真淵本居宣長平田篤胤をはじめとする江戸時代の国学者の著作を学んで、日本の行く末を真剣に憂いていた『夜明け前』を読むと、幕末の日本をよく理解することができる。あの時の日本には、半蔵のような青年が、全国のどこにでも存在していた。江戸時代に入って生まれた国学と、半蔵のような国民が、未曽有の国難に見舞われた日本を救ったのだった。


・だが、あの時の日本を護ったのは、天皇の存在だった。もし、幕末に天皇家が存在しておらず、徳川家しかなかったとしたら、日本は洋夷に対してまとまって団結することがなく、独立を全うできなかったはずだ。


・来年4月に、平成が31年で終わる。このあいだに、中国、北朝鮮からの脅威が募るなど、日本を取り巻く国際環境が、いやおうなしに緊迫するようになった。


・それにもかかわらず、日本はこの30年のあいだ、泰平の深い眠りから醒めずに、72年前にアメリカの占領軍が、銃剣を突きつけることによって強要した『日本国憲法』を改めることができずに、眠り続けてきた。いまだに護憲派が強い力を持っている


アメリカによって与えられた「新憲法」のもとで、日本は徳川期の一国平和主義――鎖国の繭のなかに、ふたたび閉じ籠ってしまってきた。国際環境がいっそう厳しさを増してゆくなかで、一国平和主義の繭を一日も早く破って、成虫になって羽搏かなければ、この国が亡びてしまおう。


明治維新150周年を、ただ祝うだけであってはならない。日本は150年前に世界の現実に適応することによって、独立を守ることができたのだった。いま、安倍政権がようやく現行憲法のごく一部を改正しようと、眦を決して乗り出した。


アメリカは日本占領が始まった翌年に、日本を未来永劫にわたって自立できない国に変えるために、『日本国憲法』を強要したのだった。


憲法第95条で、「改正」という言葉を用いているから仕方がないが、私は親しい国会議員に、改正を呼び掛ける時に「改正」ではなく、「修正」という言葉を使ってほしいと訴えている。「改正」というと、現行憲法を全面的に書き改めようとしている、誤解を与える。


・このところ日本文化への共感が全世界にわたって、ひろまるようになっている。幕末から明治にかけて、ジャポニズムと呼ばれたが、浮世絵を中心にして日本の美術がヨーロッパ、アメリカの芸術に大きな影響をおよぼした。日本文化に関心が集まるのは、それ以来のことだ。


・かつてのジャポニズムが、視覚に限られていたのに対して、今回の日本文化の高波は、食文化から精神のありかたにまでわたっており、はるかに深いものがある。和食の流行は、和食が自然と一体になっていることから、健康志向によって支えられているが、日本が発明したスマートフォンのエモジや、ポケモンなどのアニメが世界を風靡しているのは、万物に霊が宿っているという、日本の八百万千万の神々信仰にもとずいている。いま、西洋では独善的な一神教が、揺らぐようになっている。


・この3、40年あまり、西洋においても自然と共生するエコロジーが、人類を守り、救うと信じられるようになっているが、エコロジーこそ神道の心である。


マンリオ・カデロ・サンマリノ共和国駐日大使は、在日外交団長をつとめているが、神道に魅せられて、これまで全国にわたって100近い神社を参拝してきた。大使は和を重んじ、自然を敬う神道の心こそが、抗争と流血が絶えることがない世界を救うことになると、信じている。


・私はカデロ大使と、『神道が世界を救う』(勉誠出版新書)という対談本を、9月に刊行した。


・日本には150ヶ国以上の外国大使が駐箚しているが、20人あまりの大使が日本語に堪能だ。日本語ができる大使や、日本に在住する外国人からこの対談本によって、日本人をつくっている文化と、日本の生きかたや、心をはじめてよく理解できるようになったと、感謝されている。

(引用終)
サンマリノ共和国駐日大使の小さなご著書は、一冊持っている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140703)。