ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

相半ばする毀誉褒貶

過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171224)で書いたトランプ大統領についてだが、以下のような見解も出ていることを含み置きたい。
このキャノン研究所の過去ブログ引用は、こちらにリストがある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=canon-igs)。

http://www.canon-igs.org/blog/security/


先週、例のトランプ政権の暴露本を漸く手に入れた。ワシントンに出張した知人が帰国直前空港の売店で最後のコピーをお土産に買って来てくれたのだ。310頁の大部を先ほど読み終えたが、政権の内情は予想以上に酷いようだ。バノン氏は「後悔している」と述べたそうだが、「後悔先に立たず」とはこのことだ。


日本で同書は「トランプ氏の大統領としての資質を疑問視する」内容と報じられたが、筆者が最も興味深く読んだのはトランプ政権内の力関係を描いた部分だ。これまで断片的に報じられてはいたが、こうして纏まった形で読んでみると、改めてトランプ政権が如何に「機能していないか」が実に良く判る。


要するに同政権は、S・バノン首席戦略官率いる「極右ナショナリスト」集団、大統領の娘婿夫婦が代表するニューヨーク富豪・民主党系「穏健派」集団とR・プリーバス首席補佐官が代表する「議会共和党主流派」集団という3つのグループが「空洞」である大統領を取り囲んでいたということだ。


同書によればバノンは「影の大統領」では決してなかったようだし、意外にも米内政については素人同然だった部分がある。他方、プリーバスも真の首席補佐官ではなかった。何のことはない、バノンがジャヴァンカ(ジャレッド+イヴァンカ)と呼んだ大統領娘婿夫妻が最も首席補佐官らしい仕事をしたのだ


先週も書いた通り、同書の著者M・ウォルフ氏は毀誉褒貶相半ばするジャーナリストで、書かれた内容のどれが真実かは不明な点も少なくない。この暴露本については今週の産経新聞のコラムで詳しく取り上げたので、時間があればご一読願いたい。

(部分転載終)
ダニエル・パイプス先生のバノン氏に関する言及は、拙訳を(http://ja.danielpipes.org/article/17182)。

もう一点、加瀬英明氏のコラム抜粋を(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=kase-hideaki.co.jp)。このような謙虚かつ晴れやかで前向きな心持ちでいらしたので、今もなお活躍されているのだろう。

http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi


「心のお洒落を大切にしよう」
2018年1月15日


・私は12月に、81歳の誕生日を迎えた。
・「」という字を解くと、81になる。
・私は半寿になって、幸いなことに、いまだに半端な人生を送っている。半端者だから、いまからも将来がある。未完成だから、まだ若いのだ。完成していないのを、感謝しなければならない。人生を完成させたいという目標がある
・いまから20年前になるが、新聞・出版界の業界紙『文化通信』から頼まれて、私の物書きとしての半生記の連載を書いた。その時に、「私の半成記」という題をつけたところ、読者から「『半生』の間違いではないか」という、お叱りを頂戴した。俳壇に「半成句」という言葉があるし、森鷗外が小説『花子』のなかで、「半成記」と書いている
・私はこの歳になっても、まだ半成だ。毎日、努力するのが楽しい
・昨年、私は3冊の著書を発表した。例年とかわらずに、ワシントンに2回通った。自由業というのは、他人様が私を自由に使ってくれるからだ。だから忙しい。
・昨年、嬉しかったのは、防衛費が5兆円を超えるようになったことだ。いや、1日も早く、10兆、20兆円台に乗せてほしい。
・昨秋、この10年、空手道5段だったが、6段に昇段した。宗家から允許状を手渡されて、文武・質実剛健・粗衣粗食を旨として生きてきただけに、身が引き締まる思いがした。
今年は政府が「明治維新150周年」を祝うという。日本が150年前に、西洋の植民地主義列強の毒牙から独立を守るために、明治維新を断行して、ごく短時間のうちに、見事に白人の強国と並ぶことに成功したのは、国民が文武両道を重んじたからだった
・戦後の復興期だったから仕方がなかったが、使い捨てできる軽便安価のものを、「文化住宅」「文化包丁」「文化マッチ」「文化人」と呼んだものだった。
・健康を重んじるのであれば、健康こそ、「攻めるべきもの」ではないだろうか。
・私は人生を「遊び」だとみなしてきた。
・私は「幸福を求める大罪」があると、信じてきた。幸せは努力した結果として、もたらされるものだ
・感謝しあうほど、心と心との絆を強めることはない。
・あの時代にも、「半髪頭を叩いてみれば、因循(古い習慣に凝り固まる)姑息の音がする」と、揶揄されたものだったが、軽佻浮薄な文化人であるよりも、因循でいたい。
「希望」とか、「愛」とか、「平和」という言葉を、軽々しく使ってはなるまい

(部分抜粋引用終)
末尾の一文が効いている。キリスト教の常套句でもあるのではないか?
最後に、櫻井よしこ氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%DD%AF%B0%E6%A4%E8%A4%B7%A4%B3)の最新稿を。

https://yoshiko-sakurai.jp/2018/01/18/7234


2018.01.18 (木)
「己への信頼を憲法改正で勝ち取れ」
週刊新潮』 2018年1月18日号
日本ルネッサンス 第786回


・世界が大きな変化を遂げつつあるのはもはや言うまでもない。70年余りも日本が頼ってきたアメリカは強大ではあるが普通の民主主義国へと変化していくだろう日本は価値観を共有するそのアメリカを大事にしなければならない。頼るばかりでなく、助け合わなければならない。


アメリカが世界の現場から少しでも後退すれば、そこに生ずる政治的空白に、中国やロシアがさっと入り込み、私たちとは全く異なる価値観で席巻しようとするだろう。


・やろうと思えば日本はきちんとやれる国なのだ。
・ルール作りとは、どのような価値観を掲げるかという問題である。


習近平主席は中国に立地する外国企業に、会社の中に共産党支部(細胞組織)を設けよと要請する。企業経営でも共産党の指導を受けよという意味だ。それだけではない。彼らは国際政治のやり方、国際法、領土領海のルール、歴史さえ変えようとする。中国は歴史修正主義の権化である。


・日本人が祖国や歴史を真っ当に評価しない、或いはできないという現状を変えることである。アメリカが「根絶の政策」として日本に与えたのが現行憲法アメリカの国際政治学者サミュエル・ハンチントンは『軍人と国家』でこう指摘したが、70年間一文字も変えることができないのは、日本が悪い戦争をしたと心中、思っているからではないか。


大東亜戦争は「好戦的な日本」が無謀にも始めた邪悪な戦争ではないのだ。なぜ日米は戦ったのかを理解するには3冊の本を読めばよい。①アメリ歴史学会会長、チャールズ・ビーアド博士の『ルーズベルトの責任』、②ハーバート・フーバー大統領の『裏切られた自由』、③コーデル・ハルの『ハル回顧録である。


・ビーアドはルーズベルトには日米開戦の責任があると明確にしたアメリカ社会は、学界も含めてビーアドを非難した。彼は出版から4か月後に亡くなったが、その後の展開は彼の指摘と分析が正しかったことを示している。ビーアドは、たとえば、昭和16(1941)年11月26日にハル国務長官が日本に手交した10項目の要求、通称「ハルノート」についてこう書いた。「1900年以来、アメリカのとったいかなる対日外交手段に比べても先例をみない程強硬な要求であり、どんなに極端な帝国主義者であろうと、こうした方針を日本との外交政策に採用しなかった」。ビーアドは野村吉三郎駐米大使や来栖三郎特使が日米戦争回避の道を探り、暫定措置を決めて、そこから本交渉に入ろうと懇願しても、ハルは相手にしなかったと、公表された政府資料、報道などを入念に分析して、詳述している。


・敗戦した日本を裁いた「東京裁判」で、ただ一人、戦犯とされた日本人全員の無罪を主張したインドのラダ・ビノード・パール博士は、ハルノートを「外交上の暴挙」と喝破した。


・昨年夏に日本で訳本が出版されたフーバーの『裏切られた自由』(草思社)は、ビーアドとは異なる情報源によるものだが、開戦の責任はルーズベルトらにあると、同じ結論に達している。同書には生々しい会話が頻繁に登場する。たとえばハルノートを日本に手交する前日、41年11月25日に、ルーズベルトはハル国務長官、スチムソン陸軍長官、ノックス海軍長官らを招集した。その会議でルーズベルトは「問題は、いかにして彼ら(日本)を、最初の一発を撃つ立場に追い込むかである。それによって我々が重大な危険に晒されることがあってはならないが」と語っていた。


・11月28日の戦争作戦会議では、日本に突きつけた10項目の条件についてハル自身がこう述べていた。「日本との間で合意に達する可能性は現実的に見ればゼロである」。日本が絶対にのめない条件を突きつけたのだ。
・もうひとつの事例は、12月6日、ルーズベルト天皇陛下にあてて送った平和を願う公電である。公電の文案を下書きしながらハルが語った言葉をフーバーは次のように明かしている。「この公電は効果の疑わしいものだ。ただ公電を送ったという事実を記録に残すだけのものだ」


・ハルも回顧録を書いている。だが、日米開戦やハルノートについては殆ど触れていない。日本側が再三再四、和平交渉を求めたことも、自身がそれを無視したことにも触れず、こう書いている。「われわれとしては手段をつくして平和的な解決を見出し、戦争をさけたい、あるいは先にのばしたいと考えた。(中略)一方日本は対決を求めていた」「最後まで平和をあるいは少くとも時を求めて(われわれは)必死の努力をつづけた」
ハルの回想は、ビーアド、フーバーなどの研究によって偽りであると明らかにされた。ドイツと結んだのは日本の間違いではあったが、日米開戦に関して日本が一方的に、好戦的だ、帝国主義的だといって責められるべきではないのである。ビーアドやフーバーらの書き残した歴史の真実を知れば、日本人は賢くなり、自身への信頼も強化できる。祖国の歪んだ基盤を直す第一歩、憲法改正も可能になるだろう。

(部分抜粋引用終)
上記①のビーアド博士の著書については、図書館で借りて読んだことに言及した(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150210)。
上記②のフーバー大統領の著書については、原書を手元に持っている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131217)。
この著に関して、パイプス先生は、「真珠湾攻撃ルーズベルトのせいにしたり、1945年に日本の指導者層が死に物狂いで戦争を終わらせたがっていたという主張は、全く誤っているように聞こえる」云々と言っていたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140616)、もし、このような歴史解釈の変容を受諾するならば、もっと日本での評価も上がるのではないだろうか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140911)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160809)。
但し、中東ムスリムに対して、過去の日本事例を参照せよと促すことは、もう不可能になるが。