ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

秋の夜長に

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『平和はいかに失われたか―大戦前の米中日関係もう一つの選択肢』ジョン・ヴァン・アントワープ・マクマリー(http://www.amazon.co.jp/dp/4562028424/ref=cm_sw_r_tw_dp_Atipwb1FJEY3K …)が中古で本日届いた。実は、アーサー・ウォルドロン教授がお目当て。

(転載終)
久しぶりにウォルドロン教授のご登場(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150821)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150822)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150823)。
この頃、積ん読本が増えたが、秋の夜長に、少しずつ囓り読みを楽しもう。

ところで、昨日は猛烈に腹立たしかった。おかげさまで予定がすっかり狂ってしまった。
以前も書いたように、私の夫は進行性難病患者である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070708)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090110)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090226)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130403)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140326)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140401)。診断を受けて16年、徐々に症状は進行しているが、何とか日々の暮らしは継続できている。
しばらく前に、親戚の人と電話で話していたところ、「今に見ていらっしゃい。そのうち、こういう症状が出てくるから」「あなたもやっぱり頭おかしいわねぇ」と、楽しみにしているかのように勢い込んで言われた。私はいつでも誰でも、メモを取りながら電話で話す習慣が昔からあり、確かにその時も広告の裏だったか、片隅に書き留めた。
電話では何とか普通に会話を終えたが、しばらくして頭の中が朦朧として、聞いた同じ言葉が繰り返し回る感覚を覚えた。あまりにも気になるので、脳のCTスキャンの結果を聞きに、主人と一緒に大学病院へ出かけた。二ヶ月ほど前のことである。
結果は、「非常にきれいでした」「薬もよく効いていますし、大丈夫ですよ」「お仕事も続けているし...」との励ましを主治医からいただいた。そこで、「実家の父も同じ病気だったんですが、最近親戚の人から、近いうちに、これこれの症状が出てきて大変だ、と言われ、そのことが気になっています。二人だけで暮らしているので、支えきれるかどうか...」と思い切って先生に尋ねてみると、途端にキッとなった表情で「同じ病気の人がいたならば、どういう経過を辿るかを知っているはずなのに、どうしてその人はそんなことを言うんですか?今は、この病気は一般啓蒙も進んでいて、普通なら、そんなことを患者の家族に言うはずはないんですが」と、きつくお咎めがあったのだ。
やはり心配事は相談してみるものである。その先生の言葉に勇気づけられ、感謝して診察室を出た。
その後、その話を同じ親戚の人に伝えたところ、何と言われたか。「そんな!聞き違えじゃない?私がそんなことを言うはずがないでしょう?」と、責任転嫁と逃げの姿勢。
じゃぁ、ここにあるメモ(吐血、深夜徘徊)は、一体何なんでしょう?
それに、ただでさえストレスのたまりやすい患者とその家族に対して、あまりにも無神経な発言ではないか?
仮に、百歩譲って聞き違えだったとしよう。それにしても、既に亡くなった人の別の病気の症状を、なぜ闘病中の家族に、今更のように言わなければならないのだろうか。
昨日も実はその話になったのだが、また否定されてしまった。私が悪く解釈するのがいけない、お婿さんのことは知らない、とも。それに加え、病気そのものを知らないとまで否定されたのだった。
そんな!ノーベル賞の山中先生の研究対象の病気で、国もバックアップして政治力のある難病疾患なのである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111130)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140326)。山中先生も、「国民の皆様のご理解とご協力があってこそ、研究も進みます」と繰り返しおっしゃっている。新聞やテレビでも時々掲載されるような、よく知られた病名ではあるのだ。著名な方達も罹患され、広く理解が浸透しつつあるのが現状だ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151016)。
国民として「病気そのものを知らない」ということは、単なる視野の狭さと怠慢と無礼でしかない。
第一、私の父も同じ病気で数年を過ごした。その間、どういう経過を辿るか何も知らないとは、あまりにも怠惰ではないだろうか。それに、もし知らないならば、深刻な症状について素人が口走ることは厳禁である。
父と夫が同じ病気というのは、私にとって非常に深刻かつストレスのたまる日々である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141224)。若年性というのは、老人介護とは別の意味がある。もし、そのことに少しでも思いやりがあるならば、こちらの二十代の頃の収入額を尋ねたり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140519)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150405)、「教授の口利きで大学院に行ったの?」と、上級学校の進学時の内情を確認したり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070730)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150220)、マンションを買うだけのお金があるのかどうか、○○さんは実の母親に結婚後もピアノを買ってもらった、「あなたには遺産はないわ」(実は法定相続人なのに一銭も受け取っていないどころか、「養育費を返せ」である。他にも、父が亡くなる何年も前に、私が二十代の時に働いていた一年分の給与を貯金した私名義の通帳一冊がいつの間にか盗まれ、(当時はそれが可能で、いつ誰がしたかは銀行に問い合わせて判明しているが)勝手にごっそりと下ろされていたこともある)等、それこそプライバシーの侵害を控えるべきでもある。また、こちらを「変わり者揃い」だと高笑いした。
まず、人のお財布の中身を質問する前に、自分のことを開示すべきではないか。私は実際のところ、結婚式に呼ばれたこともない親戚の人達の卒業校も収入程度も、殆ど何も知らないのだ。妹や弟の方がいい学校だったので、私は最低。美人でもなく、二十代でも未婚のままで、人前で恥ずかしいからお呼ばれがなく、親戚から避けられているのだとずっと信じていた。他の人達はもっと裕福で、私に知らせないほど経歴が素晴らしいのだと、長らく真剣に思っていた。ならば、なぜこちらのことばかり聞きたがるのか?私達の結婚式も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141116)、父と二人でご挨拶に伺ったのにも関わらず、お茶も出されず「わかってますから」(?)と欠席された。今頃になって根掘り葉掘り、失礼ではないか?その人の夫氏には、大学入学時の身元保証人になっていただいたので(その時も父と一緒にお願いに上がった)、お名前を汚さないよう、頑張っていい成績を残さなければ申し訳ないと証明したつもりだったのに....。
その人は、介護中お見舞いがなかったとか(実は父が(恐らく主人のこともあって精神的に負担がかかるからであろう)私に「行かなくていい」と電話してきたので)、毎朝早くからこんなに大変だったとか、働き詰めでテレビも見る暇がなかった(本当?)など、愚痴が多いのである。愚痴ならば、現役なのだから私の方こそ言いたいではないか。それに、自分達だけが格別に大変だったみたいなことは言わないで欲しい。お見舞いは、見苦しい姿を見に来て欲しくない人だっているはずだ。勝手に枠にはめて相手を非難してはいけない。
それから、お金持ちで立派な施設のお世話になっていたのならば、ましてや愚痴は厳禁である。主人の母などは、舅姑夫の三人を、全部自宅で看取った。しかも、家事と仕事を継続しながらである。お金がなかったからではなく、家族だからである。また、由緒ある神社の神主さんの娘であったお姑さんは、愚痴主さんが介護した人とほぼ同じ病気だったのである(が、それほど壮絶ではなかったようだ)!
でも、義母は一切、そのことを私に愚痴らない。確かにお世話は大変だったとは言っていたが、だからと言って「あんた達は知らないでしょう?」「お見舞いがなかった」「これから大変よ」「本ばかり読んでいないで、世の中にはもっと知るべき事がたくさんあるのよ」「入所しま〜す!」「うちは仲良くしている」などと、高飛車なことや不安を与えるようなことや余計なお世話(確かに、院卒で研究筋の生活をしてきた者に「本を読むな」とは、いかにも言語道断!)は一切言わない。いつも主人の体のことばかり心配していて、私に申し訳ないと繰り返される。ましてや、実家から時々変な手紙が舞い込んできても、これまでの十八年間、嫁いびりなど全くない。結婚式の時の妹や弟の態度が場にふさわしくなかったことや兄弟仲が悪いことも、最初からずっと心配されていた。むしろ、主人が私の親族側で肩身の狭い思いをしてこなかったか、とも気懸かりのようだった。
田舎の出身だが、本当の意味で育ちが良く、何でも自分でやる習慣が昔から身についているのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151010)。「他人の世話にはなりたくない」と、これまたはっきりしている。
私には、実家より婚家の方が遙かに居心地がいい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150321)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150409)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151015)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151102)。そして、非常識で失礼なことに対して怒っていることをはっきり言わないと、相手に通じないし、時には歪められ、(父のように勝手に)消されてしまうことにも気づいた。
ただし、私の場合は恵まれている。クラシック音楽を聴いたり、本を読んだり、文章を書いたり、お散歩をしたりして、家事の傍ら、一人の時間を過ごすことが全く苦にならないのだ。それに、主人の病気のおかげで、これ以上風邪も引かないよう、気をつけるようになったし、自分でも無理をしなくなった。人生でやるべきこと、やりたいことの焦点が絞れてきた。三十代の頃はさすがに焦ってもいたが、ここまで来ると、結構、予想以上にうまく事が運んだことにも気づいた。
それに、上記のウォルドロン教授のルームメートだったパイプス先生とは、今も頻繁なメル友だし....。これは得難い経験で、本当に感謝している。お互いに虚飾や虚偽が嫌いなタイプなので、そこもありがたい。(読者への励ましのためにもう一点つけ加えるとすれば、パイプス先生のおじい様も、実は晩年、愚痴主さん宅と同じ病気だったのだ。参照:“Vixi” p.110(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141007)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141125)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150405))
末長く、少しでも現状維持ができるよう心がけよう。

追記:
1.いかなる理由があったとしても、戸籍改竄は犯罪である。上記の親戚の人は、それをした。まずは、恥を知って欲しい。
2.世の中には多様な価値観があるが、公的に認められ、評価されている立場を引きずり下ろす価値はない。
3.自分の身の丈に応じて、誠実に正直に真面目に勤勉に、淡々と生きていくのが一番。
4.人は、生きてきたように死ぬのが経験則。
5.嫁側の親族は、本家であっても裕福であっても子どもや孫が自慢であっても、年下ならば恩着せがましく出しゃばるな!邪魔しないでくださ〜い!
6.非常識な人、身勝手な人、嘘つき常習犯、話や態度がコロコロ変わる人、何でも人のせいにする人、逃げたり隠したりする人とは、一切合切、関わりたくない。
7.誰かが亡くなると大きな家が建つパターン、高級老人ホーム、お墓のことがあるので、皆目の色を変えてお金に血眼になるのだ。そのために「仲良く」したいらしい。
8.私達の場合、何もないが自力で全てやってきたことに矜恃がある。何も恥じることはない。どこから調べられても結構。隠すこともない。遺産なんてなくとも、親に家を建ててもらわなくても、充分、これからも主人と二人でやっていくつもりだ。そして、仮に日本を追放されても一人で生きていく覚悟だけは、小学校低学年の頃からできているので、最期が一人でも全く心配していない。
9.「お宅はもう終わっているから関係ないわ」ということなのだろうか。
10.私が絶対に許せないのは、十八年間もほぼ無視状態で、義母など主人側の家の人々をあざ笑った態度だ。義母の兄が旧制の教育を受けて京大で化学の研究を一緒にしてきたが、農地改革のために研究者の道を断念して京都の会社で働いてきた人だったこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120408)、そのこともあって「誰が何と言おうとユーリさんの味方だ。勉強を続ける人を僕は尊敬する」とかばってくださったこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080320)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140128)、「自分の息子に嫁ができた時、意地悪をしたら承知せんからな」と義母に厳しく言い渡してくださったこと、家の廊下で家宝の刀を振り回していたこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080218)、校長先生だったおじいちゃんが晩年、保護司も務められたこと、私に「人形みたいな子やなぁ」と目を細めていらしたおばあちゃんが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091231)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140128)、徳のある人で慕われていたこと、お葬式の時には皆が畳に頭を擦りつけるようにしてご挨拶なさったこと、「ここは親切で丁寧だけれど、都会の施設は冷たいよ」と私に言っていた叔母さん....そのことも知らずに電話で義母について笑ったことだけは、一生懸命に真面目に生きてきた人達のためにも、名誉毀損として猛然と抗議したいところである。

2015年11月19日後記:
櫻井よしこ氏の最新コラムから抜粋引用を。

http://yoshiko-sakurai.jp/2015/11/19/6192

2015.11.19 (木)
「「ノーベル賞山中伸弥教授との対話 」
週刊新潮』 2015年11月19日号
日本ルネッサンス 第680回


・主題のひとつはiPS細胞実用化の進展具合である。氏が語る。「まだ(病気が)治るようになったとは言えませんが、最初のゴールが見えてきました。2つの使い方がありますね。1つは再生医療です。パーキンソン病心不全は、患者さんが寝たきりになり最終的には命も脅かす大変な病気ですが、どちらもたった1種類の細胞が原因です」
「私たちの体にある200種類以上の細胞の中の、ほんの一握りの特殊な神経細胞の機能が、多くの場合、加齢に伴って失われてしまう。それで起こるのがパーキンソン病です。心臓の場合も、ひとつの細胞の問題です」「病気になったその細胞だけをiPS細胞で新品を作り、外から補うことが、まず再生医療でできる」


・氏がマウスでiPS細胞の作製に成功したことを論文発表をした06年、氏はダントツの独走状態だった。ところが、半年でアメリカのハーバード大学マサチューセッツ工科大学(MIT)の2つのグループがマウスのiPS細胞を再現した。「10年以上かけたことが半年で追いつかれた。私たちは実はそのあと1年以内に人間のiPS細胞を作ったのです。それを発表しようと思っていた矢先、アメリカに行ったら親しい友人が『シンヤ、ここだけの話だけど、アメリカでも成功しているという噂があるよ』と言う。これは大変だ、とサンフランシスコから関西国際空港に帰る飛行機の中で一気に論文を書き上げ、帰国後すぐに専門誌『セル』に投稿したのです。掲載されて、『あーよかった』と思っていたら、アメリカのもう1つのグループもほぼ同時に別の医学雑誌に発表していた。それ位、競争は厳しいのです


京都大学iPS細胞研究所所長としての責務


・氏は、20年前よりも現在の方が差が広がっていると懸念する。アメリカでは研究者はハッピーだ。日本に戻るとちょっと憂鬱になる。それを解決するのは政府の取り組みに加えて、民間の志を寄付に結びつけて社会全体が新しい研究を支えていく体制を作れるかであろう。

(部分抜粋引用終)
実は、上記のアメリカの二つの大学は、主人が若い頃に勉強でお世話になっていた場である。病気の診断を下されても、9.11同時多発テロ事件の直前までは、関空を利用してアメリカ出張によく出かけていた。
「たった一種類の細胞」が原因で、人生行路の変更を余儀なくされたのだ。身体症状以前に、精神面や心理面での主人や主人の母の苦悩がいかほどのものだったか、と今にして改めて思うところである。
それなのに、私の実家の方は、父以外、誰からも何らのお見舞いの言葉もなかった。それどころか、「もうああなったら、終わりね」と、早々と素人決断を下して、親切を装いつつ、高見から笑うのである。
子どもの時は、父が防波堤になっていたことと、親とのつながりで関係ができた間柄なので、気づかなかった面も多かった。立場に伴う役割だけで、必要最低限の義務(葬儀、法事など)をこなしていた親戚だったと思う。
自分は健康だ、大丈夫だと思って無関心な国民ほど、世界競争の足を引っ張っているのですよ!自覚していただきたい!