ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

フェイスブックをブログに転記

フェイスブックが5年後はなくなっているかもしれない、との池内氏の予測に沿って、では、今のうちに大切な記録をブログに写しておこうと思う私。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi?fref=nf


2015年4月14日


・既存メディアは、いたずらに短期的な消耗戦に書き手を巻き込んで疲弊させるのではなく、持っているコンテンツのデータベース化で差をつけられるはずです。新しさで競争することも重要だが、過去の時間は買えないのだから、老舗が有利になる局面は大いにある。時間がたったら使い物にならないようなコンテンツを売っているところは、それはどうしようもないということ。何度も売れるコンテンツを持っているところだけが生き残れる世界になれば、私としては心地よい。


・ブログやフェイスブックなどの個人メディアを試してきたここ半年、十分すぎる成果を上げたものの、この先ずっと今このままの形で個人メディアを維持できるとは思えないフェイスブックだって5年後はなくなっているかもしれないしね。諸行無常

(部分引用終)
次は加瀬英明氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150406)のブログ。

http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi


朝日新聞の「慰安婦報道」に史上最大の集団訴訟
2015/04/13 (Mon)


・欧米の新聞が、民衆のなかから生れてきたのに対して、日本の新聞は明治に入って、藩閥政府に不満を持つ武士がつくった。これらの武士はエリート意識が強く、蒙昧な民衆を導くという、使命感に駆られた。


・いまでも、日本の新聞は誰に頼まれたわけでもないのに、「社会の木鐸」であることを、自負している。欧米では新聞が読者と対等な関係を結んでいるが、日本では読者を上からみる目線で、見降ろしてきた。


・そのなかでも、朝日新聞は「これを読め」という態度で、読者に接してきた。


・社会を教え導く木鐸を気取るのを、やめてほしい。

(部分引用終)
「誰に頼まれたわけでもないのに」とは、‘self-appointed’ということですね。この話は、過去ブログを思い出させる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130625)。

ケント・ギルバート氏の過去引用は、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150406)。

https://www.facebook.com/kent.gilbert.5


2015年4月12日
Kent Gilbert


日系アメリカ人国立愛国記念碑


・今年は戦後70年ということで、いわゆる「安倍談話」がどうなるのか、日本国内のみならず世界的な注目を集めています。


・歴史的事実を改変して、恥ずかしげもなく「戦勝国」を自称するトラブルメーカーたちの内政干渉に負けてはいけません。戦後一貫して国際法を遵守し、平和のために貢献してきた、日本らしい「事実に基づく談話」になることを期待しています。


国際政治学者である石井修博士の文章を抜粋しながら、この記念碑が建てられた背景等を説明します。


パールハーバーへの日本軍の「奇襲攻撃」は2,000人あまりの兵士と数10名の民間人の命を奪った。そしてそれは何よりも、孤立主義のなかにとじ籠もりがちであった米国人を一瞬にして、一致団結させ、英国側に立って参戦させる働きをした。


・1942年2月19日の大統領命令によって、「軍事上の必要性」、「戦時の必要性」を理由にして、米国西海岸の12万人の日系人が強制立ち退きを命じられ、内陸部の10か所の収容所に閉じ込められた。うち3分の2は米国市民だった。残りの3分の1は当時、市民権を取ることが認められなかった1世たちであった。米国連邦憲法修正第5条と第14条の明白な違反であった。


・公文書や政府高官の証言によれば、パールハーバーへの攻撃が「不意打ち」「騙し討ち」だったというのは、ルーズベルト政権による国内・国外向けのプロパガンダでした。愛国心の強い米国人であっても、事実は事実として冷静に受け止めるべきだと私は考えています。


・同じく日系の第522野砲大隊はダッハウ収容所のユダヤ人を救出した。日系人兵士は米軍中最多の勲章を受けた。トルーマン大統領は1946年7月15日にホワイトハウスの庭に442部隊の元兵士を招き顕彰式を行った。「君たちは敵と戦っただけでなく偏見とも戦った――そして君たちは勝ったのだ」とトルーマンは述べた。


・442部隊の日系人兵士は、あくまでも米軍部隊の兵隊であり、米国人として戦ったわけです。それでも彼らは、旧日本軍の日本人兵士と同様、祖国(=米国)への忠誠を誓って勇敢に、そして徹底的に戦いました。「公(おおやけ)のためなら、命を投げ出す覚悟がある」というのが、日本民族のDNAなのでしょうか。


・「日系アメリカ人国立愛国記念碑」(the National Japanese-American Memorial to Patriotism)と名付けられている。入口付近に「1988年市民的自由法(the Civil Liberties Act of 1988)」の文字が目を惹く。以下にみるように、1942年初めに強制収容を強いられた日系人たちの運動の結果,連邦議会が動き、1988年に謝罪や補償を盛り込んだ法律が成立した。この小さな公園には,第二次大戦で戦った日本人兵士を讚えると同時に、日系人(および市民権を持っていなかった1世たち)に対してなされた国家の過ちに対して償う意味が込められている。そして、過去に米国政府が行った過ちと日系人の受難を後世に伝えようとするものである。「過去に行った過ち(不正)を正す」ことと「記憶にとどめ、想い起こし、後世に伝える」意味合いを持つ。


・市民権法は、1988年8月10日にレーガン大統領が署名して成立した。レーガン大統領は若い頃、意外なところで日系人問題と関係していた。


・『アメリカは世界の中でもユニークな存在です。人種から成り立っているのではなく、生活様式(a way)――理念(an ideal)から成り立っている唯一の国です…』とステートメントは住民に訴えかけたのである。レーガン大統領が市民的自由法の署名に際して、読み上げたステートメントには、この1945年の場面や言葉が盛り込まれていた。


・ワシントンの日系人記念公園は2001年6月に完成した。日系人を主体とした2万人の寄付によって造られた。さまざまな記念碑の集まるナショナル・モールからさほど離れていない場所に、小さいながら政府から土地を与えられ、国立公園局の管理下に入ったのは、甚だ幸運であった。


・重要なのは間違いに気付いた時、それを素直に認めて反省することだと思います。余計な言い訳をせず、以後は改めれば良いのです。自分の間違いを認められない人ほど、端から見ていて見苦しい人はいません。


・日本には、やってもいない過ちまでリップサービスで認めるという悪しき習慣を、そろそろ改めて欲しいです。

(部分引用終)
この日系アメリカ人の問題については、過去ブログで別解釈を紹介(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20140215)。我々にとっては、ギルバート氏のような解釈を提示されると、素直にうれしくはなるが、同時に、その当否は別としても異なる見方が依然として残っているという現実を認識することが賢明であろうか。

https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima


2015年4月3日
首相官邸 uploaded a new video.


先月22日、防衛大学校の卒業式に出席しました。
卒業生は幹部自衛官としての新たな一歩を踏み出すことになります。私の訓示とともに、日頃の訓練、東日本大震災での復興支援活動や、世界各国でのPKO活動など、これまでの自衛隊の活動を写真で紹介しています。ぜひご覧ください。


ユーリ:このような話は、もっと広く新聞で報道されるべきものでした。
3 April
ユーリ:K様、ありがとうございます。
4 April

(転載終)