ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

トルンペルドールと日本

フェイスブックのお友達からご紹介いただいた記事です。G様、ありがとうございます。

http://shuchi.php.co.jp/article/1921?hc_location=ufi


日露戦争イスラエル建国の英雄
2014年05月14日
エリ・エリヤフ・コーヘン(Eli-Eliyahu Cohen)元駐日イスラエル大使


1949年、エルサレム生まれ。イスラエルヘブライ大学数学・物理学科、ロンドンテームズヴァリー大学で学びMBA取得。マーレーアドミーム市副市長、国防大臣補佐、ハイテク企業社長、リクード党国会議員などを経て、2004〜07年8月まで駐日イスラエル大使。現在、テラリムグループ極東代表。イスラエル松濤館空手道協会名誉会長(師範)。主な著書に、『大使が書いた日本人とユダヤ人』(中経出版)、『ユダヤ人に学ぶ日本の品格』(PHP研究所)等がある。


《『Voice』2014年6月号より/取材・翻訳・写真提供:青木偉作》


・私たちユダヤ民族には、世界中で迫害されてきた歴史がありますから、他民族から攻撃を受けるということには慣れております。つねに私たちを迫害する敵は存在します。このような事件が起きるとき、私たちはその敵が誰かを徹底的に追及します。しかし今回は日本政府がその事件に遺憾の意を表し、その犯人の取り調べをしているということですので、私たちにとってはそれで十分です。私たちは、日本人に罪を負わせようとは思っておりませんし、日本人がそのようなことをする民族だとは思っておりません


・ロシアが勝つために日本と戦ったユダヤ人もいます。それがトルンペルドールだったんです。同じ戦いですが、ユダヤ人はどちらの側にも存在したのです。


・彼はイスラエル建国のために闘った志士であり、20世紀におけるユダヤ社会における最大の英雄の一人です。ユダヤ人にとっては、聖書時代の英雄であるモーセダビデ王以来の英雄ともいうべき人物なんです。ですから私の両親はいつもトルンペルドールのことを語り聞かせながら、私を育ててくれました


・武道などを通じて日本の方から本当に多くのことを学びました。ですから私も何かイスラエルの良き精神を日本の方にお伝えしたいと思い、選んだのがトルンペルドールの生き様だったのです。


・トルンペルドールが日本人と戦った体験や捕虜として滞在した日本での生活が、彼をイスラエルの建国運動に駆り立てる大きなきっかけとなったとは知りませんでした。


・彼には教養がありました。それで彼は収容所でユダヤ人のみならず、そこにいたすべての兵士にロシア語の読み書きを教えました。兵士の多くは無学文盲だったんです。彼はユダヤ人でしたが、彼が片腕を失いながらも、戦いをやめず、拳銃だけを持って最後まで戦い抜いた、という武勇伝は広く知られていました。ですから他の兵士たちも彼には一目置いていて、彼は指導者として尊敬されていたので、皆彼に従いました。


ユダヤの民の出エジプトを記念する「過ぎ越しの祭り」を捕虜たちと行ないました。その祭りに欠かすことのできない「マッツァ」と呼ばれる「種入れぬパン」を、当時神戸にあったユダヤ人コミュニティーからわざわざ取り寄せるんです。そのために彼は覚えたての日本語を駆使して収容所の担当者と交渉したといわれます。また、それを当時の日本の政府は許可するんですね。そのようにして他民族の習慣にも理解を示して協力した日本政府もすごいと思います。そのような日本という国の対応からも、トルンペルドールは国というものの良さを感じたんだと思うんです。そして、自分たちユダヤ人が自由に暮らせる日本のような国をもちたいと思ったのではないでしょうか。


・祖国の再建という志を共にする同志250人とともに、日本の収容所におけるシオニズムイスラエル建国運動)組織を立ち上げることに成功しました。そこから米国のユダヤ人たちに手紙を送ったりして、「自分たちと志を一つにして、ユダヤ人国家の建国のために協力してほしい」という呼びかけをしたりするんです。


・彼は日本という国から大きな影響を受けたと思います。彼は全身全霊を挙げて戦った戦いに敗れたんです。日本に負けたんです。そういう意味でも日本に対する尊敬の念があったと思います。日露戦争の様子を伝えた当時発行されたユダヤ人の新聞に、「旅順における日本兵は、第一陣が全滅すると第二陣が続き、それが全滅しても第三陣が駆けつける。そのように屍を乗り越えて攻め続けた結果、ついに旅順は陥落した。日本人の戦いぶりは素晴らしい!」と報じています。


・その一方で、日本は捕虜に非常に寛大だったんですね。収容所内では自由な活動が許されていましたし、ロシアのような宗教による差別もなく、信仰の自由が保障されていました。そして何よりも日本人は他では迫害しか味わってこなかった自分たちユダヤ人を、他のロシア人と分け隔てなく尊重してくれたんです。


明治天皇のお耳に入り、そのような人物ならぜひ一度見てみたいということで、明治天皇への拝謁ということになり、義手を賜ったのではないでしょうか。その義手はイスラエル北部のテル・ハイ博物館に展示されています。


・『葉隠』という本のなかに、「武士道とは死ぬこととみつけたり」という言葉があります。つまり武士道というのは、大いなるもののために生命を懸けるということだと思います。かつて日本人は自分よりも大いなるもののため、つまり祖国のため、天皇陛下のために生命を懸けて生き、死んでいきました。それはヨセフ・トルンペルドールの最期の言葉、「国のために死ぬことはよいことだ」という思いに通じると思います。

(部分引用終)