ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「高学歴プア」の問題について

何年も前から気になるトピックだったので、以下に三つのブログ記事を。

1.(http://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueshin/20140718-00037494/

「大学非常勤講師の三重苦=奨学金ローン地獄・高学歴ワーキングプア・人間破壊と生命の危機」
井上伸
2014年7月18日


専業非常勤講師は約6割で、平均勤続年数は約11年、平均年齢は40代半ば。平均年収は約306万円ですが、そのうち44%は年収250万円以下、いわゆるワーキングプア
・10コマやって、かつ研究時間も確保してというのは、大変難しい状況。
研究者として扱われないという問題。学会に行った場合に学会費の一部や懇親会費の一部が補助されます。でも非常勤講師にはまったく何も出ません。
・第1の不安は過去の不安。非常勤講師はほぼ全員が大学院卒。働かずに大学に通うことになります。その場合の経済問題が後になってのしかかってくる。
1,000万円近い借金。返しながら現在の生活を送るということで、過去の不安を引きずるというのが1点目。
・2つめは現在の不安。給与が低い上に、非常に不安定で、おまけに労働契約法の改正で5年雇い止めなども行われつつある。
・3つめは将来の不安。今の状況だと細切れパートなので、1つの事業所で4分の3以上勤めることができない。厚生年金に入れない。健康保険も国民健康保険。だから国民年金国民健康保険を払い続けていかなければいけない。そして老後はもちろん退職金もありませんから、国民年金で生活することになりますが、国民年金は現時点で月6万数千円しか出ませんので、当然それでは生活できません。将来は生活保護じゃないか。
早稲田大学出身で、文学部だったので非常勤講師の先生がたくさんいました。ある先生に年収を聞いたら100万円という答えが返ってきて、とても衝撃を受けました。
首都圏大学非常勤講師組合に早稲田の非常勤講師の仲間もいたのですが、この問題が起きてから随分組合員が増えていますので、きちんとした労使関係をつくれるところまで頑張りたい。
・最初は自分でいろいろ考えていたとしても、ある日突然「来なくていいよ」と雇用を切られてしまうので、それまで考えていたこと自体もある日突然、無駄なものにされてしまうのです。そうすると、今自分がどういう状況に置かれているのか、何をすればいいのかということを自分で考える気持ちがなくなってしまう。
・非常勤講師はもともと、非正規のパートやアルバイトと違って、ほとんど公募されないという前提。なぜ非常勤講師になっているかというと、専任の先生とのコネクションでなっているケースが大変多い。そうすると、その上下関係があるためにこうした問題に対して文句が言いづらい。
・6コマ持っている専任教員は年収1,500万円で、10コマ持っている非常勤講師は年収300万円というのは、どう考えても合理的な説明のつかない格差
・同じような知識を持っていたとしても、肩書きだけで大きな格差がつく。そのように日常的に差別されていると、自分の知識に対する自信も信頼もなくなっていってしまう。
・まず大学の研究者になるためには普通の人よりもスタートラインが遅くなります。大学院を卒業しないとそのチャンスはほぼないわけですから、ドクターまでノンストップで行っても28歳です。そこからスタートなので、30代前半で専任教員になれなくても構わないというか、別に落ちこぼれだとは誰も思いません。その期間は楽しく研究ができる。だけど40代になるとさすがに危ないかなと思い始め、45歳を超えるともう無理だろうと思う。しかし45歳で一体どこの業界に転職できるのか。
・一歩外に出れば、非常勤講師というのは何のキャリアにもなっていませんから、10年間大学で教えていても、教員としてのキャリアとしてすら認めてもらえない。
・男性に限って言うと、結婚ができないんです。女性は無職の場合でも、相手が正規社員の方であれば結婚も可能です。でも男性が非正規だと、今の日本社会ではどうしても結婚が難しくなる。それで結婚できない非常勤講師が広がっていく。
せっかく優秀な頭脳を持っている人たちなのに、次の世代に優秀さを継がせることもできない。これは、せっかく税金等で優秀な人材をつくっても、それが次代に受け継がれないわけですから、国全体で考えても損失だと思います。
・昔の非常勤講師はほとんどが女性だったから。日本社会には「女性の経済問題は結婚で解消しろ」という暗黙の強要があった。

(部分引用終)
2.(http://news.livedoor.com/article/detail/7303253/

京都大学大学院で博士号を取得したAさん。30代前半で他の大学の授業を週に2科目担当する非常勤講師だが、同時に毎朝の「ゴミ収集アルバイト」も続けている。
・発端は1991年に当時の文部省が始めた大学院重点化政策にある。21世紀には修士、博士の必要性が高まるとの予測のもとで始まり、1991年に10万人だった修士・博士は2011年には約26万人まで激増した(平成23年度 学校基本調査より)。
・ユニーク学科の相次ぐ設立で大学側が教科ごとに正規教員を抱える余裕をなくし、非常勤講師を増やしていく流れとも重なった。
・特に文系の修士や博士となった40代前半から30代前半までが分厚い高学歴ワーキングプア層を形成しているのである。
東京大学の大学院博士課程修了者の就職率はたったの56%。文系修士でも75%だ。
少子化で学部への新入生が減少する中で「大学院生を増やして食い扶持を維持したい」という大学側の思惑がある。


SAPIO 2013年2月号)

(部分引用終)
ユーリの独り言1:つまり、私は「10万人」以下の一人だったわけだ。
ユーリの独り言2:そして、どういうわけか私まで、初対面の人から「高学歴(ではないが)ワーキングプア」扱いされることがある。失礼な!
どういう理由かと言えば、「まだ研究発表を続けているんですか?」「いつまで夢を追っかけているんですか?」「まだそんな所(?)に住んでいるんですか?」「まだ車や家を持っていないんですか?」「主婦なんて、ワーキングプアですから」「夫に食べさせてもらって、あなたは無職なんでしょう?」「ずっと引きこもっているんですかぁ?」「暮らしに困っているって聞いていたんで」(←そんなことを、いつ私が言いました?)との由。

3.(http://diamond.jp/articles/-/28112

「一度レールを外れるとバイトにすら就けない!高学歴ワーキングプアの抜け出せない苦しい現実」
池上正樹


・「引きこもり」の長期化・高年齢化が進む背景は、想像以上に根が深い
・「博士さまを、社員として雇う会社はない
・大学院生は大学院終了時、学位と共に奨学金という長期返済の負債を抱えて社会へ出ます。
・正規の仕事を持っている人が、仕事上のステップアップの手段として、修士や博士をとるのはありかもしれません。ただ、中高年の求職者が学位を取っても、何の役にも立ちません。逆に、まともな職に就く機会が遠ざかるばかりです。

(部分引用終)
上記の話は今に始まったことではなく、随分前からあったことで、当事者のことを考えれば非常に深刻だとは思う。一方、大学院重点化や大学改革の遙か以前に、人生選択として、半ばわかっていたことでもあるのではないか?

問題点を整理し、分析してみよう。
1.研究を志した理由は、真理の追究なのか、大学教員になるためなのか?
(1)真理追究が目的ならば、霞を食べてでも、という覚悟があったのか否か?
(2)あったのならば、最後まで霞を食べて完遂してはどうか?
(3) 霞は食べたくないが大学教員になりたいとすれば、見通しとして、最初から経済的余裕があったのか否か?自分にその適性があると考えた理由は何か?
(4)経済的な余裕がなかった(つまり、奨学金で勉強した上、返済が終わっていない)のに、研究を志した理由は何か?
2.その研究は、どれほど需要の見込みがあったのか、なかったのか?
(1)需要がなかったのに志した理由は何か?
(2)需要があっても就職できないとすれば、他に考えられる理由は何か?
3.自分が少子化推進者なのに、学校数と就職口の関係からパイの奪い合いになることを、どれほど予想していたか否か?
4.昔は、町の研究者もいた。または、公務員や図書館司書や古本屋さんの店番で生活費を稼ぎつつ、研究費と時間を捻出して、研究を続けていく事例も少なくなかった。その方が、学閥の煩わしさや義務的な人間関係のしがらみがなくて、自由で貴重な成果が上がったことも多い。そのことについては、どう考えるか?なぜ、その道を選ばなかったのか?
5.要するに、人生設計や社会動向や世間というものの見方が甘かったのではないか?
私などは、いつも繰り返しているように、父方母方の祖父母の兄弟が医学部の大学教授だった関係で、1968年頃の大学紛争の恐ろしさから、「勉強が好きで続けていくことと、大学に残ることは別物」だと高校生の頃から自覚があり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120312)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121007)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141010)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141012)、最初から、その辺りは割り切っていた。特に、女性の人生はある程度フレキシブルに考えておかなければ、絶対に対応がムリだ、とも。
例えば、今でこそ結果論だが、主人の勤務先は結婚してからずっと同じ場所で、同じ地に住み続けている。だが、もしかしたら転勤があるかもしれない、という話も、結婚前後にはあった。私がどこかに専任職を確保していたら別居となり、それでは結婚の意味がないと思っていた。それに、家事や子育てのことを考えたら、自分の職の確保なんて順番が後だと、最初から思っていた。
家事は、昔より随分楽になったとはいえ、結構大変だ。ゴミ屋敷で手抜きでもいいならともかく、家計簿をつけ、クレジット・カードの明細に誤りがあれば逐一問い合わせて確認をし、ガスや電気などの定期検査にも立ち会い、通院記録をつけて申請をし、確定申告期には、書類の整理もバカにはならない。私など、睡眠時間が二、三時間でも充分頭が働くほど体力がないため、読書量と語学力が勝負の文系など、とてもやっていけないと最初から見切りをつけていた。

また、現今の状況は、自分が大学院生だった1980年代末頃に、既に予測できていたことでもあったので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070930)、いつまでもダラダラと「大学に残る」より、どうやったら早く自分で稼げるか、世の中で何とか一般に通用する人間になれるか、に焦点を当てていた。狭い分野を人より少し知っているからというだけで、他分野を知らないで人生を終わるようなことにはなりたくなかった。
私が困惑させられたのは、一部の「大学に残っている」先生達の凝り固まった人間観だ。

(1)2000年の頃、「そんなテーマをやっていて、将来、どうやって生きていくんですか」と、某有名私立大学の専任教員になった東大卒の男性研究者から、問われたことがある。
←「どうやって」って、あれから15年経っても借金ゼロで、こうして不自由なく暮らしていますけど、何か?
(2)研究会後の懇親会で、「自分は博士号を持っていて、威厳があるんだ」と名刺を見せびらかしていた男性教授もいた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130108)。
← そんな権威と暇があったら、もっと早くから、第一級の史料を海外から購入して図書館に入れてください!指導もろくにできないのに、どうして「威厳」があるとご自分でおっしゃるんですか?
(3)主人が病気の診断を下された時も、ある女性大学教員が軽蔑口調で私に言った。「だからぁ、どこでもいいから大学の非常勤の口を探せばって、前から言っていたのに。まだやっていないの?バッカじゃない?」
← 論理が支離滅裂。どうして夫が病気になったからといって、いきなり妻が月何万円かの低収入の非常勤を務めなければならないのか?なぜ、責任を持って自己選択をしているのに、バカ者呼ばわりされなければならないのか?大切なのは、「お大事に」という常識的な言葉掛けであって、大学にしがみつくよう嗾けることではないはずだが。
(4)「あなた、そんな状態で、よく離婚しないで生きているわねぇ?」
←「健やかなる時も病める時も」という結婚式での誓いの言葉は、キリスト教だけではなく、神道でも同じだったが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100303)、逆を考えればよくわかる。「あなたが病気になって夫が離婚を申し出た場合、それでも受諾できますか?」
(5)「今、あなた『主人』って言ったわね?」「結婚したら、もう働かなくてもいいと思っているんですか?」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091221
← 何をか況んや。呆れて物も言えない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110127)。
(6)民博図書室は国立機関なので、広く一般にも開かれているはずだが、納税者の私が資料を閲覧に行くと、「身分証明書を提示してください」と言われる。ずっとパスポートを見せていたが、ある日のこと、図書館司書から「クレジット・カードを見せてください」と言われ、1分ほど写真付カードを表裏までじろじろと眺められた。そんな規定がいつからできたのか知らないが、想像するに、複写料金もその場でずっと現金一括払いしているのに、いつまでもリサーチを続けているので、身元確認と人生指導が必要だと言わんばかりの態度だった。
← しかし、そういう非常識な行動は、一般社会では通用しないのではないか?なぜならば、クレジット・カード申請の場合、「家族会員」欄も記入できる用紙があり、公的な身分証明書が提出できれば、何ら問題はないからだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150226)。一体全体、夫と夫の勤務先に非常に失礼ではないか?
今まで続けてきた自分の勉強は、二十代で稼いだ時の貯金が残っているので、それを使っている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140519)。誰それがそう言うからと盲従するのではなく、自分が納得のいくように、自分のペースで勉強を続けたかったから。自分と本当に考えが合う先生や仲間が見つかるまで、自分の考えを温めておきたかったから。(最近、ようやく見つかりつつある。)そこまで計画して実行しているのに、テーマ内容も理解できないような手合いに、どうして文句を言われる筋合いがあろうか。

最も腹立たしかったのは、私まで同類に勝手に範疇化されて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091219)、「いつまで勉強しているんですかぁ?」「私はぁ、恵まれているんですけどぉ」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130402)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140324)などと、(時には初対面で年下の)お節介な図々しい人達に言われたことだった。要するに、勉強は一生ものだと子ども時代から心得ている者に対して、「あなたは恵まれていない」と勝手にレッテル付けしている。しかし、その価値観に合致しないことが、どうしてこちらが恵まれていないという意味になるのか?
ところで、1の「女性は無職の場合でも、相手が正規社員の方であれば結婚も可能」には、首をかしげたくなる。この発想は、「食べていくための結婚」観であり、その思想的背景は、もちろん社会主義である。今の日本社会で、単なる無能の「無職女性」に「正規社員」の男性が結婚を希望するかどうか、あまりにも単純で表面的な発想ではないか?夫が「正規社員」で、その妻がいくら家事育児に勤しんでいても、たとえ内助の功を発揮していたとしても、外の仕事を持っていない限り「無職」というレッテル付けもおかしい。

そもそも、研究テーマや長く勉強している専門分野があるからといって、それが大学の正規職に結びつくべきだという安直な考えがいただけない。

かてて加えて、1の「せっかく優秀な頭脳を持っている人たち」なのに、という発想が単純過ぎる。本当に優秀ならば、人より長く大学に通い続け、人様がせっせと働いている間ものんびり勉強する人生選択のリスクを考えないはずがないのだ。長期的視野と総合的分析と冷静な判断と人並み以上の努力を備えていてこそ、「優秀な頭脳」というものではないだろうか。

この話を読むと、いつも不愉快になるのは、二つの大きな理由からである。
(1)自分の見通しの甘さを、社会や国のせいにしている無責任さがあること。
(2)範疇外の私のような者まで、「自分と一緒の価値観あるいは境遇ではない」憂さ晴らしからなのか、節穴だからなのか、事実と異なる、ありもしないレッテルを勝手に貼って、人前で「そういう人がいてもらっては困る」と言う人が必ず出てくること(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070930)。忙しい昨今、鵜呑みにする人も出て来た場合、こちらの研究発表などの妨害となる可能性もなきにしもあらずだ。例えば、最初から(あ、またあの人か)という先入観ができてしまい、真剣にコメントもせず(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150302)、発表内容をきっかけに議論を深める刺激としようともせず、単なる行事として形式を滞りなく済ませるだけで終わってしまう傾向が垣間見られるのだ。発表者に対するねぎらいの言葉一つなく、懇親会でも勝手に食べ始め、メールを送ると何度か言っておきながら、実は一度も送られてきたことがない。
それでいて、そこから出てくる学生達は、何と年収200万以下の牧師だったりもする(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140324)。

一緒にしないでください!

ところが、力強い援軍が見つかった。冒頭の1の元記事を複写した上で、読者が自由に感想を書いているサイトだ。コメントを抜粋して、内容毎にまとめ直すと、以下のようになる。

http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-11582878364.html


① ふるい落とされた人間がいつまでもしがみついて不平を言うのは感心しないけどね。本当に価値ある研究がされてるなら評価されて何処かに迎え入れられてるはずなんだけどね。
・自分の人生を振り返って、卑屈になり、上手くゆかなかったことを社会や他人のせいにすることは、恥ずべきことだと考えます。


② 非常勤講師をひとくくりにしてワーキングプアとおっしゃっていますが、余裕のある人も結構います。もともと余裕があるから、専業非常勤でやってきたという人たちも少なくないんです。


③ 以前は、大学はとてものびのびして、働きやすい職場でした。非常勤だから卑屈になる人ばかりでもなかったのです
・専任と非常勤、事務職員と教員、経営陣と非常勤を含めた教職員の関係も、鷹揚で、学問をする人たちの集まりとしての「自由」があったと思います。
・昔も、非常勤はそれほどよい待遇ではありませんでしたが、それなりに非常勤の存在を受け入れる温かさが、専任の先生方や事務職員、経営陣の中にもあったと考えます。
・最近は、非常勤講師イコール貧乏という図式ができてしまって、かえって不自由な思いをしている人も少なくありません。


④ 組合で戦おうなんて考える間に、ほかの収入源を確保している先生方も多いんじゃないでしょうか。特に、語学関係は、実力次第で仕事を得ることがありますので。
・要は、個人の能力だと思います。なんでも社会のせいにするのは、みっともないです。それから、他の非常勤も巻き込んで、ワーキングプアの仲間にしないでほしいです
・大卒で就職し、働きながら奨学金を返している人はいっぱいいるわけで、非常勤講師だけの問題ではありません。大変だ大変だと言ってますが、日本の労働者はみんな大変ですし、もっと大変な人もいっぱいいます
・全体として、いかにも世間知らずの学者先生、という甘ったれた印象を受けました。子供の頃からエリートコースを歩んできた人、大学院まで出た人が、最後にキャリア形成に失敗してワープアで大変ですといっても、同情する人は少ないと思います。市民の賛同を得るのは難しいのではないでしょうか?
・社会人経験なしで非常勤講師を長くされている方、一般的な社会常識が欠落された方が多々見受けられます。
・このインタビューには、非常勤講師は世間知らずのあほだとアピールする意図でもあるのでしょうか。


⑤ どういう人材を正規教員として採用するかといえば,それは大学教員としての社会的責務をまっとうできる(と思われる)人材だと思います。その社会的責務には,教育だけでなく,研究も含まれます。40代に入っても正規の職に就けないのは,多くの場合,その研究の能力を客観的に証明しうる業績を持たないためだと思います。
・競争から漏れた当事者が,大学や国の問題を指摘するだけで,自分たちの問題を一切振り返ろうとしないのでは,根本的な問題の解決にはならないと思います。
・これからの時代は、そこのところをわかって、それでもやっていける環境にあるか、強い意志をもっているか対応できる柔軟性が備わっているか、よく考えてから学界には入るべきでしょう。


⑥ 基礎研究については企業での研究が壊滅的な現在、大学には継続的に基礎研究に邁進していただかないと、この先の30年後に大変なことになってしまうと個人的には危惧しています。

(部分引用終)

もう一点、気づいた誤解がある。
東大は日本の学歴ヒエラルキーの最高峰だということで、東大(院)卒であれば、最高の収入が得られると勘違いしている若い男女およびその母親がいること。あるいは、博士号は最高学歴なのだから、博士号を取得したら最高の社会的地位を得られると信じ込んでいる人がいること。だから、「高学歴プア」なる自分の成れの果てが我慢できないという状態(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091223)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100718)。

と思ったら、都合良くいいサイトが見つかった。

http://itmama.jp/2014/01/21/53886/


「子どもを高学歴ワーキングプアにしやすい要注意な親の特徴5つ」
2014年1月21日
佐藤由紀子


高学歴ワーキングプアにしやすい親の特徴5つ
(1)「とにかく勉強さえできればいい」と教える親
(2)「学歴が全て」「人生は学歴で決まる」と教える親
(3)自分の娘にちゃんと”女子”教育をしない
(4)自分の息子の前で父親を否定し続ける
(5)子どもの教育だけが生きがいになっている親

(部分引用終)
だそうです。