出版崩壊とシンクタンク動向
1.(http://www.nippon.com/ja/features/h00092/)
「出版崩壊」2014.12.26
・日本の出版業は、大正時代にビッグバンを迎えたといわれている。第一次世界大戦バブルの好況に、明治以来の近代教育制度の整備で読書人口が蓄積されたことが重なり、総合雑誌、全集など、一気に、大衆文化として花開いたのである。いわゆる大正デモクラシー、教養主義の時代である。
・明治以降、近代化を進めるにあたり、海外の学問を翻訳して国内に広める役割を担った大学を頂点とする教育が、その推進役を果たしていった。つまり、社会的な上昇志向は、教育と知識の取得に日本人の情熱を向けさせたが、いかんせん、最初からすべての人に教育機会が開かれていたわけではなかった。そのギャップを埋める役割を担ったのが出版物であったのだ。
・近代化が進み、経済的に発展し、高等教育まで機会が広がっていく過程で、常に大学を頂点とした「知」の世界とその媒介手段である出版物は、日本社会に対し常に権威の立場に立ち続けてきた。出版に限らず情報全体について、受け手は限られたパッケージの中から選ぶしかなかった。さまざまな意味で売り手市場だったのである。しかし、戦後も70年代には大学進学率が頭打ちになるほど、高等教育は国民に浸透した。そしてバブル崩壊後の低迷期の中で、大学卒業者の主要な就職先であったホワイトカラー職が縮小し、学歴社会が以前ほど意味を持たなくなってくると、出版物が持っていた「知」の権威も色あせてきた。この情報の供給サイドの一方的優位は、日本が開発途上国であった時期の「知」の属性であったともいえる。
・ネット社会の出現は、この情報の構造を根本的に変えた。アーカイブの規模と検索能力が飛躍的に向上する中で、受け手側、需要サイドが優位となったのである。しかし、このような環境変化に対し、日本の出版界は、これまでと根本的にその在り方を変えてきたとは言い難い。ネット世界のように、情報の受け手の需要に併せ柔軟に対応し変化するわけではなく、あくまでも作って流すだけという供給体質のなかにある。これは出版社も執筆者も同様である。企画内容や商品性格、さらに言えば執筆者の顔ぶれがほとんど変わっていないことからも、それは分かる。
・要するに、質、量とも日本の出版界は供給過剰体質なのである。その結果、過去のスタイルの「知」の生産を続けることができても、次々と生まれる世界や社会の新しい局面に対応する能力からは、ますます遠ざかっているのである。
(部分引用終)
2.(http://www.nippon.com/ja/features/h00099/)
「世界のシンクタンクは爆発的成長、日本は縮小:「日本国際問題研究所」は世界13位に評価」2015.02.12
・米ペンシルバニア大学による2014年の「世界有力シンクタンク評価報告書」が1月に発表されたが、それによると、世界のシンクタンク数は6618に上り、「日本国際問題研究所」(JIIA)が「世界のトップ・シンクタンク(米国を含む)」で13位にランキングされ、アジアで最高位となった。28位にはアジア開発銀行研究所(ADBI)が入ったが、ベスト100にランクされた日本のシンクタンクはこの2つだけだった。
・シンクタンク(think tank)は、政策立案や政策提言を業務とする公共政策研究機関をさす。1910年米国ワシントンに設立されたカーネギー国際平和基金が始まりとわれている。直訳すれば、頭脳集団に当たるが、米軍の「作戦を練る部屋」を意味する「think tank」に由来するといわれる。多くの政策集団が非営利団体という形態をとっている。
・世界のトップ・シンクタンク
1.ブルッキングス研究所 米国・ワシントン
2.王立国際問題研究所(チャタムハウス) 英国・ロンドン
3.カーネギー国際平和基金 米国・ワシントン
4.戦略国際問題研究所(CSIS) 米国・ワシントン
5.ブリューゲル(Bruegel) ベルギー・ブリュッセル
6.ストックホルム国際平和研究所 スウェーデン・ストックホルム
7.ランド研究所 米国・サンタモニカ
8.外交問題評議会(CFR) 米国・ニューヨーク
9.国際戦略研究所(IISS) 英国・ロンドン
10.ウッドロー・ウィルソン国際学術センター 米国・ワシントン
11. アムネスティ・インターナショナル(AI) 英国・ロンドン
12. トランスペアレンシー・インターナショナル(TI) ドイツ・ベルリン
13. 日本国際問題研究所(JIIA) 日本・東京
14. ドイツ国際安全保障研究所(SWP) ドイツ・ベルリン
15. ピーターソン国際経済研究所(PIIE) 米国・ワシントン(2014年ペンシルバニア大「世界有力シンクタンク評価報告書」による)
・アジアで最高の13位にランクされた「日本国際問題研究所」は、吉田茂元首相の強い意向で1959年12月に設立され、吉田自らが初代会長に就任した。英国のチャタムハウスに倣い、国際問題の研究・知識普及、海外交流の活発化を目的としている。1960年9月からは外務省所管の財団法人(現在は公益財団法人)となり、さらに2014年には一般財団法人世界経済調査会を併合した。
・また、日本の主要シンクタンクは、JIIAのほか、日本国際交流センター(JCIE)、平和・安全保障研究所(RIPS),世界平和研究所(IIPS)、国際文化会館(I-HOUSE)などが海外でよく知られているが、JIIAを除くと世界的なランクはいずれも低い。
・日本でシンクタンクのニーズが高まったのは、1970年代前後で、高度経済成長に伴い、行政中心ではない観点からの社会開発、研究の必要性が高まったからだ。1965年に設立された野村総合研究所が(NRI)を皮切りに、社会工学研究所(69年)、三菱総合研究所(70年)、未来工学研究所(71年)などが創立された。1970年は“シンクタンク元年”といわれている。
・1980年後半には、笹川平和財団(86年)などが発足したが、金融や生保、地方銀行系のシンクタンクが乱立し、バブル崩壊とともにブームは去った。1990年代後半には、民間の非営利独立系シンクタンクが設立される。「21世紀政策構想フォーラム」(96年)、「東京財団」(97年)、「21世紀政策研究所」(97年、経団連)などが誕生した。
・最近では、「国際公共政策研究センター」(2007年)、「キヤノングローバル戦略研究所」(08年)、リコー経済社会研究所(10年)などが誕生している。また、ユニークなシンクタンクとしては、本格的な民間非営利独立型シンクタンクを目指している「国際研究奨学財団」(1990年)や、市民が自ら政策や法律の提案を目指す「市民立法機構」(97年)などがある。
・日本が伸び悩んでいる理由
日本のシンクタンクが米欧諸国に比べ、社会的な役割や影響力が小さい理由は、財界や企業主導で設立されてきたものが多く、より広い視点から政治、経済、外交、文化などに影響を及ぼすよりは、個々の組織に対する貢献度が重視されたことが大きい。その背景には、日本の官僚機構が政策形成、制度設計、アジェンダセッティングなどを長く独占していたこともある。また、日本のシンクタンクは、組織設立、資金、税制などの面で多くの社会的制約を抱えている事情もあったといえる。
・しかし、ペンシルバニア大の「評価報告書」は、シンクタンクが世界的な現象と化し、その業務範囲と影響力が拡大していることについて、「知識と権力の橋渡しを務めることで、世界の政府と市民社会に不可欠な役割を果たしている」からだとしている。
・また、同報告書は、21世紀にシンクタンクが成長する理由について、①IT革命②政府による情報独占の終焉③政策課題の複雑性・専門性の拡大④政府規模の拡大⑤政府職員・政治家への不信感⑥グローバル化、国家・非国家アクターの成長―などを挙げている。
(編集部・原野 城治)
(部分引用終)
ダニエル・パイプス先生は、上記リストの4(http://www.danielpipes.org/14973/)と8(http://www.danielpipes.org/11520/)(http://www.danielpipes.org/14483/)(http://www.danielpipes.org/14769/)(http://www.danielpipes.org/15325/)と10(http://www.danielpipes.org/12429/islam-europe)に関係されています。