ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

鹿児島再訪から帰宅して

二時間半前の昨日の夜、最終バスに間に合って帰宅。
ちょうど一年ぶりの鹿児島再訪二泊三日の旅でした(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140205)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140209)。一年前の初めての鹿児島は、汗ばむほど温かく、活気ある明るい印象が非常によかったものの、移動も含めて一泊で見学するのは、時間的に所詮無謀というもの。その時には、石橋記念公園や博物館や薩英戦争の現場やフランシスコ・ザビエル上陸地などを訪れましたが、肝心の維新ふるさと館やザビエルゆかりの教会や島津家のお屋敷庭園の仙厳園など、とてもとても....。
あまりにも心残りで、「来週にでも、また薩摩に行きたい!」とごねていたのですが、このような地味で平凡な生活でも、貧乏暇無しというのか、案外に予定が即座に立てられるほどの贅沢は許されず....。
一方、頻繁に国内外を旅する暮らしが身についている方達は、想像してみるに、顔見知り同士が場所を変えて平行移動しているか、表面的にその場だけ限られた時間を過ごす繰り返しなのかもしれず、何とも形容し難いところですが。
ということで、昨年12月に予約をしておいた鹿児島と霧島へ。この話は、また後ほどゆっくりと。とにかく、文化的に誇りを持って活発に活動している土地柄は、本当におもしろく楽しめるという一言に尽きます!

ところで、自宅にいる時には、めったにテレビを見ない生活の私でも、外泊中は、和風宿であれ、ホテルであれ、朝や夜、少しはニュースなどを見ます。それで今回、ようやく遅ればせながらやっと、池内恵氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C3%D3%C6%E2%B7%C3)が超多忙の中、こまめにフェイスブックやブログで、昨今の「イスラーム国」絡みで、各テレビのコメンテーター諸氏の問題点を、なぜ一生懸命に書いていらっしゃるのか、やっと意味がつかめてきました。これほど頻繁に部分引用させていただいていたのに、遅いと言えば遅いのですが、(一体全体、池内氏はどなたを対象に、こんな基本的なことを書いていらっしゃるのかしら?)と不思議だったので、余計に(あちゃぁ!ここまでメディアはひどかったの!)と。

おかげさまで、どの論客がどこでおかしなことを勝手に発言しているか、頭の中がすっきりしてきました。感謝申し上げます。
感謝ついでに、旅の間に新たに綴られたブログやフェイスブックなどを、例によって部分引用させていただきます。(公開しているので誰でも読める、と池内氏自らおっしゃっているので。)
私としては、お忙しいところを「お友達」申請などしてお邪魔したくなかったのと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150125)、私自身の賛同および感想や、多少見解が違う点については、公にこのブログで公開しているので、どうぞお許しを。

http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-273.html


『中東 危機の震源を読む』が増刷に
2015/02/06


・自分でも、書き留めておいて良かったと思います。そうしないとその瞬間での認識や見通しはのちの出来事によって上書きされ、合理化されてしまいます。


・瞬間瞬間での認識と見通しを振り返ることで、現在の地点からの将来を展望する際の参照軸が得られます。


・今起こっていることの、ほぼ全てが2000年台半ばから後半にかけて生じていたことの「繰り返し」であることに、気づくでしょう。それはより長期的な問題の表れであるからです。


・このような議論は「西洋近代はもう古い」「イスラーム復興で解決だ」と主張していた先生方が圧倒的に優位で、「イスラーム」と名のつく予算を独占していた中東業界や、中東に漠然とオリエンタリズム的夢を託してきた思想・文学業界では受け入れられませんでした。


・しかし学問とはその時々の流行に敏感に従うことや、学会の「空気」を読んで巧みに立ち回ることではないのです。学問の真価は、事実がやがて判定してくれます。

(部分引用終)
増刷、おめでとうございます!もちろん、『中東 危機の震源を読む』は初版で読んでおります(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090725)。
「書き留めておいて良かった」とは、次元は異なるものの、私も本ブログで経験済み。例えば、今回の旅の間にも、2008年のヨルダンのリベラル派の識見について『メムリ』から複写引用しておいたブログ記事が(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081218)、ツィッターで引用されていたのを知りました。7年前は、とにかく気が重くなるような話だと、自分でも鬱々していたのですが、今頃になって、どなたかのお役に立つことが判明しています。
「中東業界や、中東に漠然とオリエンタリズム的夢を託してきた思想・文学業界では受け入れられませんでした」という点、まさに東南アジア、特にマレーシアに関しても、似た雰囲気(空気?)があったと私は思います。レベルは異なるものの、池内氏も似たような心的経験をされていたなんて、とても光栄です!

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi?fref=nf


・このあたりを詳細に書くと、日本に興味のない多数の人には読んでもらえなくなります。基本的には日本の議論の状況は水準が高いとも普遍的とも言えないので、それに対する応答をいくら英語で書いても、一般的には読んでもらえません。


・まあ今のトルコへの過大評価は、アジア主義の流れです。右派と左派の民族派が「欧米支配に対抗する同盟者」を幻想の中に見いだす。時代によってそれが満州だったりインドだったり、そして最近は「イスラーム復興なんでしょ」「ポストモダンイスラームなんでしょ」ということでトルコになっていた。アジア主義は純日本思想で、相手側は日本のそういう幻想に若干気づいてはいるのだろうが、なんとも思っていない。そういったところはある程度カンのいい人は中東について知らなくても気づくものだと思いますが。


言論の自由は、自らの発言が検証されることへの責任を伴っている。それ以上でもそれ以下でもない。「空気」が怖いと言っている人は、普段「空気」で人を黙らせている人だ。


・別の大学の先生(見知らぬ人)が私の論文が「酷い」もので、同僚と一緒に「ろくでなし」と罵ったとのことを書き込んでいた。実名で、慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスの先生らしい。


・業界内にだけ「あいつは排除」というのを回すのですね。部下や後輩などに、こいつと付き合ってはいけないぞ、と知らせるわけです。自分の味方だけを集めた小集団の中で罵り言葉をぶちまけておきながら、公の場...


・コメントつけて罵っていた人は田島英一という人。何者かまったく知りません。肩書きは慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスの教授。

(部分引用終)

「トルコへの過大評価は、アジア主義の流れです」と、あっさり池内氏は書いていらっしゃるが、「ある程度カンのいい人は中東について知らなくても気づくものだ」とのこと。それで私も意を強くして、トルコについての私見は、過去ブログを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111009)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130214)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130628)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130718)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130911)。

最後に、別の過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150201)に関連して、mugiさんブログから、(我が意を得たり)の部分抜粋を四度目のご登場として(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141024)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141227)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150123)。

http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/8e9f6b0c4cc023a0dfdb9d7f275576d6


「神様が私を助けてくださる その二」
2015-02-08


・「後藤さんを思う」と題し、2月4日付河北新報の16面では後藤健二氏の2010年9月のツイートが紹介されており、内容はこのようなものだった。
「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むのは人の業にあらず、裁きは神の領域。―そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」


・このフレーズに感銘したならば、未成年並みの人間観だろう。内ゲバの連続だったイスラム世界の歴史に概観しただけで、単なる理想論なのが判るはずだ。


・「日本の社会主義者には、クリスチャンは少なくありません。フェミニストにも多数います」


・私も後藤氏の死には月並みなお悔やみを言う気はないし、同情や憐憫は感じない。

(部分引用終)
結局は、冷たいようだが、政府から複数回、渡航を思い留まるよう説得されても出かけて行ったというのは、田原総一朗氏もおっしゃるように「自己責任」だったのだ。しかも、責任を取れなかった甘い見通しの「自己責任」だった。