ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

世の中の実相

最近、亡くなった義父のいとこで、兄弟のようにして育ったという叔母さまと電話でお話しした。小さい頃のことをよくご存じで、素直に真っ直ぐいい子に育った、という話だった。大学生の頃には、おもしろいことを言い、楽しかった、とも。柔軟で、賢くて、頑張り屋だった、と。
そういうお話が直に聞けることの幸いを思う。子育ては社会で、という呼びかけがあるが、行政や地域では、このようにはいかないからだ。父方母方どちらの血を引いているか、家系の癖のようなものは何か、どういう来歴で、どのような環境の下でその子が生まれてきたかということは、やはり血を分けた人同士が最もよく知っている。誰でも、そこだけは嘘がつけない。自分の生存基盤に偽りがあれば、すべてが歪み、それこそが社会に対する義務と責任を果たしていないことになるからである。
その叔母さまとお話ができて、ますます主人と暮らせることの幸いを思い、この関係を大切にしなければ、関西のあちらこちらで暮らしていらっしゃるご親戚の方々にも申し開きができない、と思うようになった。そして、主人を育み見守ってくださった岡山のご先祖の方々にも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100325)。

その後、今度は私の方の母方の叔母と電話でお話しする用件ができた。時間では、ほぼ同じ長さをかけて話したのだが、その内容の深刻さと異常さに関しては、こちらの方が重篤だった。
日本は、情ではなく法に基づく国だと思っていたのだが....。
それもこれも、主人方と我が方の間で何が最も大きな相違かと言えば、事実を直視し、問題解決のために本筋を通しているかどうか、である。本当の問題はあそこにあるのに、他人の目を気にする余り、別の人のせいにしたり、知らぬ存ぜぬで通し切ったりした結果、孫の代および、その配偶者の係累にまで深刻な影響を及ぼしているのだった。
実は、私は子どもの頃から、「まっすぐ物を言い過ぎるからいけない」「心理学者のように(?)人の心を見透かして口に出すから、気をつけなさい」「理屈っぽい」と叱られてばかりいた。以前も書いたように、先生が白を黒と言っても「ハイ」と言え、という教育である。この過ちの極端な一例が、一酸化炭素中毒事件である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141124)。幸い、無事だったからよいものの、死因を説明するのに、「(換気もまともにできないような無責任な)先生にさえ逆らってはいけないという前近代的、いや、原始時代以前のような躾のせいで、我慢し過ぎて死に至りました」というのでは、いくら先進国ぶってみたところで、「やっぱり、あの人達の近代化はツラの皮程度なのよ」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140224)。「だから、神風特攻隊なんだな」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130105)。それに、「本当に大学院まで出た人なんですか?」
つまらなさ過ぎて、漫画にもならない。
しかし、アメリカでもそういう悲喜劇があるらしい。パパ・パイプス先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141029)が冷戦期に共産ソビエト圏内の実情をまっすぐ述べたところ、「本当のことを言ってはいけない」と周囲の偉い教授陣から諫められたようだ。でも、孤立しようが何だろうが、まるでお構いなしに「なぜいけないんだ?」とパパ先生は反論された。そして勝利した。だから、私はパパ先生を心から尊敬する。
もう一つ、感じたこと。恨み節は、結局は自分の人生を破壊するのみならず、周囲および子孫代々にまで悪影響を及ぼすということである。
以前も書いたが、こちらが何度も連絡をしていたのに、自分から拒絶しておいて、親に黙って結婚し、黙って出産し、既成事実をつくった後で「あんたは何もしてくれなかった」「あの人は何もしない」と文句を言い、内輪で気勢を上げている不正直なバカがいる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140128)。ついでに、「だから親の遺産なんて当てにしていません。あんた欲しいの?」と、わけのわからないことまで抜かす。
ここで一言。私共の婚姻届には、挙式後に義母と亡父が署名した。複写も残してある。何よりも、借金も女性問題も飲酒問題も喫煙もなく、真面目に働いて将来に備えて貯金をし、自分の力で真っ当に社会人生活を送り、ここまで生きてきた者同士が、随分遅くなったけれど、「結婚します」ときちんと挨拶をし、お披露目までした実子の婚姻を認めるのは、法的にも社会的にも当然の行為ではないか?主人の亡くなった伯父も、「誰が何と言おうと、ユーリさんを応援する」と喜んで迎えてくださった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091217)。失礼ではないか?それに、晩年の亡父と結婚後一年で診断を下された主人は、期せずして同じ病気を患っている。国もバックアップしての研究体制で鋭意解決に挑戦している病気である。従って、薬も重なっているため、いろいろと話が合うはずだった。「もっとお父さんと話がしたかった」と主人は今でも言っている。父も「連絡をくれるのはユーリだけだ」と書いてきた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140128)。「ユーリのところは大変だから、悪いようにはしない」とも言っていた。それが、「実は、遺産目当てではないの?」という話にすり替わってしまうのだ。
分に応じて問題なく暮らしているのに「印鑑は、夫婦別々に保管しましょう」と、お節介な‘指導’が入る。二人だけなので、時にはストレスで喧嘩もするが、基本的に満足して暮らしているのに「いつ離婚するの?」とも尋ねられた。
「子どもを産んだことのない人には、わからないでしょ?」と威張り散らす。はい、わかりません。でも、勝手にこそこそ黙って産むことにしたのに、後でそう言い張る人の気持ちも、わかりません、と言いたいところだ。
「そっちは子どももいないし、難病患者で人生が終わっているんだから、遺産は要らないでしょう?」と言いたげな者もいた。なぜ?「そんなことを言うなら印鑑押してやらないからね」とも言われた。なぜ?その理由を述べよ。
思考回路の理解に苦しむ。物事は、筋道を立てて、事実に即して、シンプルに考えましょう!
まずもって、いい歳をして土台や出発点が初めから歪んでおり、揺らいでいる。誰が婚姻届の証人だったのか?周囲を拒絶しては、誰からも真に祝福されるはずがなく、困った時の助けもなく、よい家庭が築けるはずがない。従って、責任ある仕事を任せられるはずがない。働くためにいくら資格を取得してみたところで、そんな無責任でいい加減な人に、信頼が置けるはずもなく、堅気の仕事で高い収入が得られるわけがないのだ。貧困家庭に陥ったとしても、それは自業自得である。
そういう生き方を選んだのは、私ではなく、その人なのだ。男女の結びつきと子どもの出産という、人生の出発点の肝心要のところで、長い間、来歴を隠してこそこそしておいて、未だにまともな挨拶一つない。こちらが頭を下げているのにも関わらず、である。それを人のせいにするということは、そういう選択をした親から生まれた子どもも、相当の努力をしない限り、人のせいにする人生を送ることになるだろう。親が悪い、きょうだいが悪い、親戚が悪い、先生が悪い、学校が悪い、社会が悪い、日本人が悪い、日本国が悪い、世の中が悪い、世界情勢が悪い、と。目前には、無秩序で放埒な人生が待っている。
そういう恨み節こそが、安定して繁栄した社会を内部から密かに崩壊させていくのである。
しかし、そういう態度を取らせた元凶はどこにあるか?もちろん、三代前にまで遡って、いや、四代前かもしれない。当然、戦争も影響している。戦後の価値観の大転換もある。だが、そもそも祖父母の代のたった一人の言動が、孫および曾孫の代にまで否定的な影響を及ぼし、行動を規制しているのである。
これは非常に恐ろしいことである。
国レベルの話に譬えよう。私は日本文化に誇りを持っている。だからこそ、学部では国文学を専攻した。そして、明治期の日本の「近代化」成功は、世界史においても広く認められている事実である。しかし、近隣諸国には、その日本を東アジアで三等の地位に置くことを是とする思想がある。従って、本当の実力や客観的な事実とは裏腹に、「かくあるべし」で歴史を勝手に書き換え、法秩序も平気で破り、日本側の努力も無視して鼻高々に振る舞う。そこから摩擦が起こるのである。当然、日本としては、本当に三等の地位がふさわしければ三等におさまるが、今のところ、現実がそうでないのであれば、距離を置いて相手にしない方が、日本の身のためであり、世界のためでもある。
それなのに「皆平等に」「対等に」「お互いに認め合って」「仲良く」「多文化共生」などとわけのわからないことを言うので、おかしなことになる。
具体的に述べよう。兄弟は血を分けているから、やっぱりわかり合えるし、仲良くしたい、と主張する人がいる。しかし、アベルとカインの話を、どうお考えか?まさか、世界に広まっている古代の話そのものを知らないわけではあるまい。
もう一つ気になった点は、事実として亡父と主人と私の三人で、十七年前に(心的エネルギーとして)尽力したことを知ろうともせずに、あたかも私が勝手に逃げていったかのように責任転嫁する人々の存在である。いくら無知を取り繕ってみても、医学的にも医療的にも、客観的に誰がどのように問題なのかは、歴然としているのである。問題児は一人ではない。嘘をついている人、隠している人、しらばっくれている人、自分のところだけが問題がなくて「最も安定して成功している」(と誰も思っていないのに)自慢している人など、多種多様で実に興味深いのだが、見る人が見れば、この十七年間、それこそ朝日新聞のように、「もっとおもしろくなります」。
それから、「死人に口なし」とも言うが、亡くなった人の残した言動は、この世が続く限り、どこかで生きている。周囲にはそのように言っていても、私にはこう言っていた、という記憶と事実がある。そこが実は肝要なのだ。そういうことになるだろうと思い、学生時代からこまごまメモを取り、何かと複写を取り、日付を書く癖をつけた理由は、まさにここに存する。
もちろん、誰にも過ちはあり、成長途上の失敗もある。誰もが完璧ではないし、生まれ持った個性や立場というものもある。細かいところでは間違いも多々あることだろう。そこを筋違いに責め立ててくるからダメなのだ。
主人が教えてくれたことだが、義母が遠くからじっと見ていて「皆、冷たいし、挨拶ができないし、計算尽くしで動いている」という観察結果を述べたらしい。子どもの頃から、最年長なのに「一本気で正直に物を言うから世間知らずだ」「あんたがいない方が都合がいい」「いてもいなくても、どっちでも同じ」「本を読むからかわいくない」「うちの子は頭がいい」「うちの子は(あんたと違って)しっかりしている」「(存在が)迷惑だ」と私は言われてきたので(今更慌てて「そんなことは絶対にない。記憶にない」などと言わないように)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081024)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140910)、仰せごもっとも、計算ができなくて当然だと思っている。それに、私に子どもが産まれたら、「さっそく床に落としてやる」と、十歳も年下の弟が息巻いていた。私よりも「先に子どもを産んで見返してやりなさい」とも言う人がいて、妹はうれしそうにうなずいていた。
だから、予防線を張ってなのか、最初から産まれてもいない。夫の病気のことがあるので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110515)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111130)、誰も何も言えないはずだ。そして、そのことで実はほっとしている。こんな反倫理的な無法環境で産まれてくる子どもがかわいそうだ。自分の子はかわいいだろう、と年賀状で写真を見せびらかされても、申し訳ないが、私には意味がよくわからない。子どもがかわいいのは、誰だって同じ。世界中、いつの時代、どこを見渡しても、あなたの子だけがかわいいのではなく、誰でもかわいいのである。問題は、どう育てるかだ。
それに、皇族や現日本国首相にも子どもがいなくて困っているというのに、自分の子の拡大写真を送りつけて、「かわいいでしょう?」と見せびらかすのだろうか?流産で悲痛に暮れている人の目の前で、「私の子ども、見て見て」と言って回るのだろうか?交通事故に遭って子どもを亡くした人の前で、「うちの子は、うちの子は...」と自慢するのだろうか?
でも、これで私は、自分が産んだ子による見苦しい行為で、世間と後世に迷惑をかけなくても済む。自分達の生活さえきっちりと守っていれば、充分に社会貢献ができる。その意味で、世の中は実に公平で、実にうまくできている。
そして、この世は決して見捨てたものではない。そういう私を密かに助けて応援し、励ましてくれた人々や教え導いてくださった方々が、国内外に数限りなく多いのだ。その恩に報いるために、真面目に自分の力で分に応じて秩序と法を遵守して、まっすぐ生きていくことが、与えられた課題であり務めだと考えている。
もう一度言う。不労所得で寄生して食べている人はダメだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141222)。仮に財産が多少あったとしても、考えが浅く、他人を見下し、ごまかしにごまかしを塗り重ね、社会責任と義務を果たしていないならば、意味はない。ついでながら、そういう人達は、なぜか顔も心も厚化粧だ。
しばらく前に、もっと楽しい話を聞いた。「財産がある家は、嫁がなかなか来ないのよね」。「魅力」がないから、の間違い。
関西だと、本当の資産家は博物館などを建てて、広く公平に皆のために社会貢献しているのだが、自分達だけで握りしめている人は、心根が違う。
「自分の力で生活している人でなければ」と、現天皇陛下もお后選びに際して仰せになられたと読んでいる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091130)。
今日は、ハヌカ最終とクリスマス前夜。暗き世に光を求め、見上げる祭典でもある。古来からこの日を大切に繰り返し祝っている共同体を見れば、教えの実態が明らかである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20141224)。

https://twitter.com/ituna4011
Lily2 @ituna4011

"Liberal Fascism: The Secret History of t... " (http://www.amazon.com/dp/0767917189/ref=cm_sw_r_tw_dp_g.RMub0MNSCBA …) arrived here today from the U.K..

(参照:http://www.danielpipes.org/15266/
「複雑な内容で、驚いた。字数制限下では要約が困難だった。読む価値はある」と、ダニエル・パイプス先生から、2014年12月6日付メールでご回答いただいた。リチャード・パイプス先生のお名前が、二度出てくる(pp.74,139)。