格差社会は当然の成り行き
(http://hirobuchi.com/archives/2014/12/post_663.html)
December 13, 2014
「格差のない国ってあるの?」
野党は「格差があることは絶対の悪だ」という前提に立って物を言っています。しかし、冷静に考えてみてください。この地球上で、格差のない国や地域がどこにあるのでしょうか? 人間はそんな社会をまだ実現していないのです。ほとんどの国での格差は日本のそれよりもはるかに大きいのが実情です。国家権力によって平等を実現しようとすれば、どういう社会が生まれるでしょうか? 怠け者や税金で養ってもらうことを求める人間の天国になり、社会は活気を失うでしょう。なんとか生きていることは可能でも、夢もなく希望もないどんよりとした官僚支配の社会になるのは目に見えています。自由競争が絶対の善だとまでは言いませんが、活気ある社会にはなんらかの格差が生まれるものです。成功している人間を羨んだり恨むよりも、自分も成功者になるのだと決心する若者がふえる社会の方がよほど望ましいのではないでしょうか?
(コメント)
・それが人生の結果なんだよ。努力も運もすべてひっくるめて、自分の人生なんだよ。人のせいにするな。
・国に文句を言うって事は、依存しているのと同じだよ。自分しか信じるものなんているわけないだろ世の中。
(部分引用終)
と、中途で終わってしまいましたが、野党の主張の理論的背景と日本の歴史を事実として直視すれば、なぜ「格差、格差」と騒いで皆が平等でなければという主張がおかしいかは、明確だろうと思います。
もともと民族的に均質度の高い国なので、ある程度は相互扶助の関係が自ずとできていたこと、試行錯誤の末に何とかバランス感覚が自助努力的に働いてきたこと、力や経験のある人を理念や制度で形式的に整えたり押さえつけたりすると、かえって判断が遅くなったり、誤った決断を下す可能性が増えること、それぞれが各々の立場で自分の役割をしっかりと果たすことで、総体として、安定して繁栄した社会が築けること、などです。
「人のせいにするな」「依存しているのと同じ」「自分しか」というコメント氏の意見は、誰に向かっての言葉かわかりませんが、子ども時代から教えるべき基本ではあると思います。もっとも、勘違いしたり、自分を追い詰めたりするケースもあるので、「人を見て法を説け」だとは思いますが。
カール・ヒルティが「社会主義は嫉妬からくるもの」と書いていたことを、二十代の頃に読みました。岩波文庫の解説では、その点が批判されていたことも合わせて思い出します(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100209)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110523)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121109)。しかし、理論を勉強すれば、今でもヒルティは正解だったと思います。制度上は一見よさそうに見えても、実は摩擦や余計な作業が増えるのみ。保守主義の方が、伝統と経験に基づく叡智の蓄積の上に立ち、問題があれば自由自在に議論して修正を加えるので、時間はかかっても結局はこれに落ち着くのが妥当だということになりそうです。