ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

現実離れの思考は恐ろしい

朝日新聞』に書かれていることの反対を実行すれば、日本は安定して繁栄する、という説がある。古森義久氏が繰り返し主張されているが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140629)、これは、史実と背後の思想を検討すれば肯定できる。
この頃、その『朝日新聞』では「終活」記事が目に付く。50歳になったら、そろそろ「終活」を、というのだ。周囲の人に迷惑をかけないよう、身の回りのものを整理して、不要なものはどんどん捨てましょう、ということである。いざという時のために、エンディングノートも作っておきましょう、とある。
類似例で、亡くなった親戚の家に片付けに入ったところ、本がたまっていて、その本たるや、埃とベトベトの垢で売りにも出せず、迷惑この上ない、という話がインターネット上にもあった。だからこそ、「体力のあるうちに、早めにすっきりした人生にしましょう」というお勧めである。
この発想のおかしさは、突き詰めるところ、「どうせ捨てるのだから、本など買わなければいい」「場所を取るだけだから、図書館を利用すればいい」という一方的な消極姿勢につながることである。図書館利用は、賢く(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120210)。でも、手元に置かなければ読めない本、即座に読まなければならない本だってある。埃はともかくとして、そもそも本がベトベトになるなど、煙草を吸う人か、余程空気の悪い所に住んでいる人か、手を洗わずに本を読む人か、という事例である。つまり、普段から掃除もろくにしていない人の事例であろう、と想像される。そこを指摘しないで、なぜ片付けばかり奨励するのだろうか?

一体全体、読者の年齢をどこに想定した記事なのだろうか?私など、小学校4年生の時から『日経新聞』の文化欄を読める範囲で読み始めていたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080301)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091221)、もし『朝日新聞』を律儀に読んでいる小学生がいたとすれば、どのような人生観を抱くことだろうか?
それに、まだやりたいことが山ほどあって時間のやり繰りに毎日困っているのに、今からエンディングとは、一体全体、どういう悲壮感漂う内向き人生なのだろうか?栄養状態が高まり、医療水準も上がったおかげで、長寿社会として100歳を超える元気な人も増えているというのに、働き盛りの間に、早々と「終活」モードに入るのだろうか?ピーク時に終わることばかり考えているというのは、極端な話、最初から、太宰じゃないが「生まれてすみません」「生まれなければよかった」と宣言しているようなものである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100625)。少子化を邁進している思想である。
そういえば、数年前の『朝日新聞』記事には、年末の大掃除が大変ならば、10月頃から毎日少しずつ掃除を始めておくと、年末も慌てずに済む、などと出ていた記憶がある。
私など、違和感を覚えざるを得ない。10月から始めていたら、生活が続く以上、結局は回り回って年末にも汚れがたまっているはずだから、同じことである。それに、新年を迎える前に大掃除をするからこそ、気分が爽快になるのである。もし、秋から早々と真面目に大掃除を実践しようとすれば、何だか、行動する度に掃除にかかり、あたかも掃除するために生きているような生活になってしまう。区切りも季節の意味も、霧散する。
似たようなことで、朝が忙しいならば、「朝食の用意を前の晩に支度しておくと、あとはチンするだけ」という記事もあった。余程手の込んだ料理を朝から豪勢に食べるというならまだしも、朝の用意を前日の夜にすると、お皿の片付けも二度手間になる。しかも、鮮度も栄養素も落ちる。時間を節約したつもりが、かえって面倒なことになるのだ。ならば、最初から、朝、食べるものを朝、時間通りに真っ直ぐ用意した方が、全体として効率的である。
「終活」に戻ると、奇妙な投書が最近出ていた。「終活」を文字通り実践してみたところ、家の中がガランとして淋しくなり、ついでに思い出の品まで捨ててしまったので、これまで生きてきた実感が伴わなくなった、というのである。その話をすると、主人曰く、「当たり前じゃないか。自分だったらお金を用意して、業者に片付けてもらうよ。それまでは、思い出に囲まれて生活して、何が悪い」と。
これなど笑い話のようだが、パソコンが普及し始めた頃、「これからはペーパーレスの時代になる」とばかりに、デスクにパソコンが一台、あとはペンもノートも不要になり、文房具品は一切無しという、きれいなオフィス・ルームの写真が出ていたことも思い出す。ところが、実際には、ウイルスでデータが全滅になったり、メモリに入れておいた大量の貴重なデータをそっくり紛失してしまったり、手作業をしなくなったばかりに記憶が薄れてしまったりなど、業務が不振に陥ったケースも少なくはない。
どうにもこうにも、頭の中だけで理想を考え、現実離れしているからこそ、このようなおかしな話が続出するのではないだろうか。