ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

数え年なら半世紀

数え年なら今日でちょうど、半世紀を生きたことになる。フェイスブックなどでお祝いの言葉をくださった方々、ありがとうございました。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

しかし、生まれた当日、このような人生を誰が予測していただろうか?
ちょうど私の年齢の時、祖母には孫がいた。父には大学生の娘がいた。親戚づき合いも昔は頻繁で、父方母方の両方の祖父母からも、叔父や叔母からも、皆にお祝いしてもらい、人生の出発点としては、かなり高潮だったはずだったのだ。
その時その時の自分の判断の積み重ねで、今がある。客観的に見れば運に恵まれている面も少なくはないのだが、今ひとつ、このままでは終わるに終われない、という気がしている。
少子高齢化や経済問題や、近隣諸国との軋轢など、必ずしも自分の選択のせいばかりではないが、こんなはずではなかったのに、という思いもある。
学生時代、ちょうど今の私の年齢に近かった頃の犬養道子氏のエッセイを読んでいたら(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090317)、読者の方達からの「もうこんな年になってしまって」などという悲観に対する叱責が書かれていた。「もったいない」と。人生が長くなればなるほど、経験知を積み重ねて視野が広がり、現状をよりよく把握することもできる。病苦も年齢とは、必ずしも関係がない。起こるかどうかわからない将来の不安にくよくよしているなんて、というお叱りだった。
その頃の私にとっては、遙か遠くの話のように思われたが、寿命が全体に延びたこともあってか、気づいたら今日を迎えた感じだ。
先程、韓国や北朝鮮や中国の現状を直言するテレビの録画を少し見た。申し訳ないが、日本に生まれて本当に幸運なことだと思った。そして、絶対に日本が良き伝統をずっと長く守って欲しいと願わされた。そのためには、歴史からよく学ぶことである。
主人からも、思いがけず、品のいいきれいなネックレスのプレゼントをもらった。何だかんだ言っても、これが私の選んだ人生なのだ、と納得した。