ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

中西輝政氏の本の要約から

メーリングリストからの部分抜粋を。

中西輝政日本人として知っておきたい外交の授業』を読み解く


・同盟の本質:約束を信じられる心理あるいは互いの絆に賭けようとするスピリット、精神。


普天間基地から辺野古移転の話が流れてしまえば、おそらく日米同盟体制そのものが根本から崩壊。


スパイ:体制の中に深く入り込まなければならない。皇室、政治家や軍人の世界


・2005年、自民党憲法改正草案の前文を書いた中曽根康弘氏。
「日本国民はアジアの東、太平洋と日本海の波洗う美しい島々に、天皇を国民統合の象徴としていただき、和を尊び、多様な思想や生活信条をおおらかに認め合いつつ、独自の伝統と文化をつくり伝え、多くの試練を乗り越えてきた」
舛添要一氏らリベラル中道派によってバッサリ削られた


明治維新は民主的な手続き、具体的には選挙によるものではない。桜田門外の変を筆頭に、すべて「テロ」によって成ったもの。歴史的に見れば、明治維新とはテロリズム革命と軍事蜂起、クーデター。岩倉具視大久保利通の二人による「決死の共謀」。明治維新はいわば陰謀によって成功。


・「日本はどんな国ですか、教えてください」「その国が世界をどう見ているか」「世界観」。「日本にはこんな神話があります」「日本の国の成り立ちはこう伝えられています」。古事記イザナギイザナミの話「面白い国」。神話:想像している以上に大事なもの。国家の本質や国民の心の動き、社会の構造、人間関係の基本


・「日本を知ること」基礎教育、道徳や修身を徹底的に教育。『古事記』『日本書紀天皇を中心とする日本国家の歴史。揺るぎない軸。「一からやり直せばよい」という覚悟。深い世界観。日本という国はどんな国か。神話によって、天皇の祖先は神様と結びついている。透徹した国家観に裏打ちされた徹底的なプラグマティズム。「国体の維持」皇室の存続こそが根本。


・「日本人がインテリジェンスや戦略的思考の分野で世界基準に追いつくには、どうしたらいいですか」「手っ取り早く戦略的思考を身につける方法はある。それは『日本人であることをやめること』です。日本人の行動原理を守る限り、世界水準には永久に追いつけない」


・日本人離れした外交手腕。物事をはっきりさせる必要がないときは、思いっきり無原則。
憲法9条、いいじゃないか。日本は自衛権を放棄したのだから、未来永劫、軍隊を持つ必要はない」共産党のほうが「それでは具合が悪いのではないか」と質問したほど。


・人間の幅がとても広く、根性が据わっている。変幻自在が可能。


・「金融」「文明」「インテリジェンス」の教養必須。


・「日本を知る鍵は、卓越した歴史の連続性を深く理解」国家観・歴史観の完成。

(部分抜粋引用終)
追記:池内恵氏が、またもや雄弁な持論を展開されていたので、部分引用を。『中東協力センターニュース』は時折見ているが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120321)、実務に直結するだけに、読める。

http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-225.html
『中東協力センターニュース』に寄稿
2014/11/08
(前略)
「業界」によって読者の質量と資金的支えがなされている媒体に書くということは、常にそれだけやっていると大学の研究としての市民社会的公共性に制約が出てくる危険性を伴うといえども、中東の現実(日本での幻想ではなく)にコミットしたステークホルダーに直接届けられるという意味で欠かせない。


アカデミックな学会は規模と多様性がある程度以上の厚みがない場合は議論が行き詰まる傾向がある。しかしだからといってメディア・商業出版業界の提供する、不特定多数の消費者に「どっちが面白いか」という基準で評価される場に、常にいたくはない(たまにはいいが)。
(中略)
部外者の興味本位の消費の対象となる商業出版市場に選択機能を委ねるしかなくなる状況は、専門家の業界が本来持っているべき、適切な議論を取捨選択して高度化していく機能が低下しているということを意味する。まずは専門家の業界を正常化・高度化するべきだ
(中略)
しかし、小規模・閉鎖業界の制約をバイパスする可能性がある消費社会の市場による選択機能も、現状を見る限りは、悪い方に行っているね、というのが私の観察。メディアが多様化し無料化して、産業として苦しくなっていることが根本の原因と思う。
(中略)
ネタとしてウケる話を乱造する特定の論者(元外交官、(元)社会学者・宗教学者:これらは何時「元」となったか判然としないが)の議論が、完全に間違っていたり一行も原典に当たっていなかったりするにもかかわらず、顔と名前が知られているといった程度の理由で雪崩のように集中して出版・発信される。それらが議論の参照軸になる。


国や社会としては自滅ですね。どんなにアメリカの社会や政府や政策に問題があっても、あちらには国の政策を定めていくための専門家の育成と研磨のシステムがある。それと日本では気が遠くなるほどの違いがある移民社会・競争社会・流動性の高い社会は、こと卓越した専門性を組織的に、大きな規模で生み出していく面では強い。そこに膨大なお金が流れて巨大な産業になっている。日本では人とお金の流れが乏しく、消費材としての書籍・雑誌の市場によって買い叩かれて消費されているのが現状。


商業出版社の採算が苦しくなっているから、以前には大きな企業の一部の部門が担っていられた、ある種の公共的なレフェリー機能やフォーラム機能が果たせなくなって、ひたすら数をこなすようになっている。
(中略)
日本は民主主義の国なので、社会の知的水準が下がれば自らの国の運営・判断の質にやがて影響してくる


あるいは、そのような趨勢を見て、社会は質の低い議論に影響されているから相手にしなくていい、というエリート主義・テクノクラート支配が進んで、大多数の国民が判断・意思決定から実質的に疎外される可能性もある。
(中略)
そもそも希少性の高い情報・知見を持っていれば、一般消費者にウケるための文章を書く必要はない。知らない人が損する、というのが世界の原則だから。
(中略)
消費者=神様になったつもりでの議論自体が、格差社会で落ちこぼれる人を自己満足させようとする「陰謀」なんだ、という風に見た方がまだましなんじゃないかと思う。
(中略)
戦後はほとんどあらゆる分野について、「ほどほど」の程度の情報を米国が日本の官僚を通じて注入してくれて、それを受け取った官僚は「ほどほど」の水準で広い層の国民に便益を均霑するという原則のもとに動いていたからだ。今後は、自ら情報を求める人が得する社会に不可避になっていく(すでになっている)。
(後略)

(部分引用終)
概ね、大筋に賛成。