ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

常に最悪を予想して

私的な重苦しい話が続いたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151107)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151110)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151111)、少し公的な話題と連関させよう。単なる個人的な愚痴として済ませるには惜しいような日本社会の病弊が、徐々に浸透し、確実に広がっているとしか考えられないからだ。
まずは、こちらを。

http://news.livedoor.com/article/detail/1517566/


ファンキー通信】どんどん格差が広がっている!? 「下流社会」ってなんだ?
2005年12月2日


・『下流社会』「単に所得が低いということではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低い」「いわゆる団塊ジュニア世代と呼ばれる現在の30代前半を中心とする若い世代に」多く見られる傾向


・現在の日本の若者に、大金持ちや社会的な名声が得られなくても自分らしい生活ができればそれでいい、という価値観が支持されているのも、この下流化が進んでいる背景にあるようだ。書籍などで年収300万円の生き方が注目されているのも、それを裏付ける証拠。

(部分抜粋引用終)
ちょうど10年前のウェブ記事だ。『下流社会』の言葉そのものは、朝日新聞などで知っていたが、そもそも興味がなかったので、無視していた。当時は、研究会や学会の発表でも、若い人達からの変なコメントに憤っていたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091218)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111029)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141204)、こちらの原因を追及する暇もなかった。ただ、今振り返ると、実は底流で相互関連があるのかもしれない、と気づく。
ははぁ、これが年収200万円か300万円の牧師を生み出している大学の背景だったのか、とまで勘ぐってしまう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140324)。宗教系というところが、ますますいかがわしい。
私達は、20代の頃から「自分らしく」目標を掲げて真面目に勤勉に働き、同時に、いざという時に備えて保険にも入り、老後資金もコツコツと貯めてきたんです。人生への意欲が前向きだから、今でもこうして暮らしているんです。
事実も確かめずに、勝手に一緒にしないでください!
そうは言ってみても、病気そのものは結構深刻である。国民の義務として(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)、周知を。正確な知識こそが、的確な対応と暮らしへの指針を与える。

http://nambyocare.jp/results/topics2/chap1-3.html


・病気の進行や障がいの出現によって、生活の再構築を繰り返すプロセスを歩むことになる。生活や人生設計の見直しだけでなく、価値観の変換も求められるであろう。


・病気の初期の段階では、疾病と生活をコントロールしながら見かけ上は今までと同様の生活をおくれる場合もある。


・難病に罹患するということは身体的な能力を失うだけに留まらず、仕事や家庭内の役割喪失、今までの生活スタイルの喪失など、喪失体験の連続につながっていく。


家族もまた、生活の再構築を求められ、いつまで続くかわからない介護役割を引き受けていくことになる。


・社会参加の機会が乏しくなることから、人間関係の範囲・交流も自然と縮小していくことになる。


・難病患者は医療ニーズも介護ニーズも大きく、家族の介護負担が大きい。難病患者を支える制度としては、難病対策、介護保険法、障害者自立支援法などがあるものの、量的にも質的にもニーズに対応できているとは言い難い


・進行性である難病療養者の社会参加の支援を考えるときには、単に学校、就労、通所、患者会活動、余暇活動など自宅外活動だけでなく、広く人や社会との交流を伴う活動と位置付け、インターネットや メール、電話、手紙などの利用、人を招待しての交流なども含めて社会参加とすることで、支援の方法に広がりや工夫が生まれる。


・介護は家族の役割という社会的規範や専門職のなかにも「家族は患者を介護する資源」と捉える傾向がある。専門職や支援者は、まず自らもこのような規範に捕われていないかを見直す必要があるだろう。


パーキンソン病患者をはじめとして、統計的には難病患者の年齢層は中高年以上の患者層が多くを占める。しかし、全ての患者が中高年になってから発症したわけではない。難病患者を理解するための一つの視点として、その患者が何歳頃にその病気を発症したかということは、非常に大きな意味を持つ。


・神経難病患者には、20歳〜30際代の青年期に発症する人もいる。脊髄小脳変性症や多系統萎縮症、筋萎縮性側索硬化症パーキンソン病(若年性)、ハンチントン病など代表的な神経難病においても意外に青年期に発症する人は少なくない。



・この時期で発症する人たちは、学生時代頃までは健常に過ごしてきた背景を持つ中での発症であり、疾患の受容という点では先天性の人たちとはまた違う苦悩を持つことになる。直面するのは、就業や結婚などの青年期の発達課題であり、それらに対して困難を伴うことが多い。また、既に就職や結婚生活を送っていた人にとっても、症状の進行と共に退職を余儀なくされたり、離婚に追い込まれたりすることも少なくない。


人生の志し半ばで自分のなすべき仕事をあきらめざるを得なくなることは、本人にとって断腸の思いであろう。また、一家の大黒柱としての役割が果たせなくなることもあり、最悪の場合、家庭が破綻することもある。


・以上のように、難病患者を理解するための一つの視点として、その患者が何歳頃に発症したかということは、非常に大きい意味がある。仮に現時点で患者が高齢になっていたとしても、発症年齢を把握することはそれまでの患者の人生(発達課題)を深く洞察することにつながり、看護者としてその視点を忘れてはならない。

(部分抜粋引用終)
...ということなのだが、その点、主人も私も、その苦悩プロセスは年齢的に過ぎたので、後は淡々と、できる時にできることを実行するのみである。二人だけでここまでやってきた、ということは、結婚式の準備のように、時間が経ってみると、非常に自信を与えるものである。
別に強がっているわけでも、見栄を張っているわけでもない。主人の場合は、恐らく、実家と田舎の両方の家で、三世代の暮らしを小学一年生の時から見てきたために、塾で詰め込まれなくても、本を必死で読んで暗記しなくても、マニュアルに頼らなくても、自然と身についた強さや備えがある。私の場合も、子どもの時からの親戚づきあいを通して、(自分にはこんな生活は無理だ、できない、嫌だ)等と好みがはっきりしており(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151111)、本を読むことが好きだったために、自分で世の中を理解しようと求めていった結果が、厳しい人生に対する備えにつながっていると思う。
慢心はいけないが、常に最悪を予想して人生を歩んできた。だから、あまり動揺もせずに来たのかもしれない。これからも、恐れずに正面から立ち向かっていければと願っている。

ただ、本が好きと言っても、堅苦しい本を読むことが好きなので、逆説的だが、偏見の目に晒されやすい。世の中の大変さを知らない、とレッテル付けされやすいのである。
しかし、すべきことを怠ってきたとは必ずしも言えないのではないか。
例えば、父の母、つまり父方の祖母が入院していた時に、お見舞いに行ったことを思い出す。祖母の話す名古屋言葉は、いわゆる名古屋弁ではなく、本当に穏やかでゆったりとした調子だった。さまざまな理由で「おばあちゃん」と親しく呼べる関係になれなかったのが極めて残念だが、その時、母方の祖母から入れ歯を洗うように言われ、「はい」と、洗面所へ一人で行ってきれいにした。亡くなったのは、私がマレーシアに赴任中の時だった。
その祖母の弟が、信州大学学長だった加藤静一である。実家の本棚にあった著書二冊を、高校生の時に読んでいたが、結婚後、父に頼んで送ってもらった。今でも手元にある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080806)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091215)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091216)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091227)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091228)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110515)。大叔父による「積善」の書も自宅の部屋に掛けてあった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091223)。勲章をいただいた際のNHK松本放送の朝のインタビューも、父が録音してテープに保存してある。(今、どうすれば再生できるのか?)そして、信州大学に行った時、大叔父の書になる石碑を見つけて、私のために写真を主人が撮ってくれた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100726)。
ところが、何年も前のことだが、「あなたの叔父さんじゃないでしょう?」と、同じ信州出身の学者が私に言ったのである。マラヤ共産党の抗日研究をしていた東大卒の人だ。
そして、今や、その大叔父の考えとは似ても似つかぬ研究会が、新たな後続として立ち上がろうとしている。地元人かもしれないが思想背景が異なる方(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080107)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091110)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120126)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140306)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150214)が代表だと知っているので、親戚の末裔としてお招きをいただいても、とてもじゃないが出席できない。
左翼系思想の弊害は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080818)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090829)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121117)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130908)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141012)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141118)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150201)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150214)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150402)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150403)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150406)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150408)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150409)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150809)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150823)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151020)、ここかしこに現れているのである。