ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

流行らない本を再読する意味

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Lily2 @ituna4011
『歴史とは何か』(岩波新書) E.H. カー・清水幾多郎(訳)(http://www.amazon.co.jp/dp/4004130018/ref=cm_sw_r_tw_dp_BKaiub02HQAT2 …)がサランラップに包まれて届いた。「歴史家を研究せねばならない」の言葉を探し出すために入手。確か、学生時代に図書館で借りて読んだかと思うが、全く意味がわからなかった。


Lily2 @ituna4011
アメリカ人のソ連観』(朝日文庫)下村 満子[著](http://www.amazon.co.jp/dp/4022605073/ref=cm_sw_r_tw_dp_EDaiub0D4849C …)を中古で注文し、今日届いた。院生の頃に読んだ記憶があるが、当時は、米ソ対立を、日本の立場から元気のいい優秀な女性ジャーナリストが公平に見ようとしているのだとばかり思っていた。

いずれも1円で入手した中古本。今では、流行らない内容なのだろう。清水幾多郎氏は、学校の教科書で文章を読み、何となく発展的に図書館で借りたもの。『論文の書き方』だけが、よくわかる内容だった覚えがある。何のことはない、マルクス主義者だったからだ。それがわかれば、何ら劣等感に捕らわれることもなかったのに、あの当時は、学校教育と図書とメディアなどで、知的文化的装いのマルクス思想が席捲していた。読書好きなら、どこかで矛盾や葛藤を覚えながらも、何となく影響されてしまうだろう。
下村満子さんは、今も元気で活躍中のようだが、当時は、ハーバードにニーマン・フェローで留学できる女性なんて、すごく頭がいいんだろうと思ってひたすら恐縮していた。ところが、何のことはない、彼女はリベラル左派で、フェミニスト思想の走りだったのだ。今では、彼女のどこが問題かがわかる。お互いに歳を取るというのは、そういうこと。それこそ「歴史が判断する」ではないが、時代が証明してくれることでもある。
なぜ入手したか。この中に、パピことリチャード・パイプス先生がインタビューされているばかりか(pp.95-114)、末尾の解説でも一人名指しで「ガンコな反ソ主義者」と描写されているからである(p.614)。(リチャード・パイプス先生についてのブログ記載は、(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140917)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140918)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140919)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140920)を参照。)

今でも曖昧に覚えているが、院生時代に読んだ時には、(アメリカにはすごい反ソの学者がいるんだ)という印象が強かった。それだけは記憶の底に残っていたのだが、まさかその二十四年後に、そのご子息から自分の英語ブログが引用され(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120124)、それをきっかけにメール交信が始まり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)、日本語訳を依頼され(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120330)、実際に面会する機会に恵まれることになるとは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)、全く予想だにしていなかった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130516)。そもそも、2007年春にイスラエルから帰国した直後、エルサレムに関する極めて理路整然とした論文と出会った時には(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120127)、あまりの大胆さと斬新さに(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140205)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)、筆者がペン・ネームを使っているとさえ思い、まさか親子だとは、すぐにはわからなかったぐらいだ。(その論文の内容をまとめたノートの背景などについては、(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120608)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130620)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130625)を参照。)
今では、下村満子氏が、いくら公平にソ連アメリカを交互に観察し、バランス良くインタビューをしようとしたとしても、政策上、どちらに軍配が上がるかは歴然としている。(「米ソ両国を平等にみて、同等の価値を置くのは間違いだということを、あなたは知るべきだ。それは、1938年にヒトラーが言ったこととチェンバレンが言ったことに同等の価値を置き、共に真実だと言い張るようなものだ」(p.105))。でも、その判断材料に関して、インターネットがなかった時代に学生生活を送った私には、証拠として具体的に確認するすべがなかった。せいぜい、図書館や書店の本と、新聞と、テレビやラジオと、学校で聞く話程度だった。
この種の古い本を再読するのは、暇人だけがすることのようだが、自分の立ち位置を確認し、固めるためにも、無駄な作業ではないと思っている。第一、時代による検証ができるので、おもしろい。もっと重要なことには、案外インターネット上では出てこないような情報も書かれている。そこを読み取る日々の作業の繰り返しが、咄嗟の情報判断の際に役立つと思う。(2014年9月22日記)

PS:

(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B2%BC%C2%BC%CB%FE%BB%D2)
下村満子(しもむらみつこ)
ジャーナリスト
1938年年東京都生れ。ニューヨーク大学大学院青卒。経済学専攻修士
朝日新聞記者、朝日ジャーナル編集長、朝日新聞東京本社編集委員を経てフリーに。
現在経済同友会副代表幹事、「女と男の未来館」(福島県男女共生センター)館長、外務省外務人事審議会委員、東日本高速道路(株)コンプライアンス委員会委員等を務める。

上記は、このブログ元のリンクをコピーしただけだが、それだけならば、最近流行の『朝日』系叩き、左翼思想批判で終わってしまう。上記本には、他の情報が書かれている。
慶應義塾大学経済学部卒、ニューヨーク大学大学院を経て、1965年朝日新聞社入社」とあり、どうやら1983年のニューヨーク特派員の頃、パイプス教授などをインタビューされたようだ。(ユーリ後注:これは上記書だけを見て推定したものであり、英語でのご紹介によれば、「「1980年に初の朝日新聞ニューヨーク女性特派員」とある。)そして「1982年ボーン・上田国際記者賞受賞」。

私自身は、下村満子氏のファンではないが、それほど批判的に見ていたわけでもなく、ただ単に、私とは違う系統だというのか、最初からそもそも生きる場が異なると思っていただけである。『朝日ジャーナル』なども、ほとんど読まなかった。でも、盲従したり一方的に決めつけるだけではなく、できる限り「公平」に物事を見ようとする姿勢、女性が抑圧感を覚えずに生き生きと尊厳を持って生きていけるようにという呼びかけ、世の中の人が目を背けたり、無視したりしてしまいがちなトピックに光を当てる精神などは、私の世代にとっては、眩しいような一種啓蒙的な新しい態度だったとは思う。ただ、どうしても、どこか現実として違和感があったことも否めず、だから上記の本を読む程度で終わってしまったのだ。(確か、キャリアウーマンの走りの一人だった故千葉敦子さん(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101025)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101026)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101027)とも親しかったのでは?病魔に襲われたニューヨーク在住の彼女の壮絶な生き様を引き立てたのも、下村満子氏だったかと記憶する。)
リチャード先生との丁々発止のインタビューは、記録としては興味深い。お互いに率直にぶつけ合っているところがあるからだ。リチャード先生が自叙伝で、アメリカ流フェミニズムを馬鹿げていると喝破し、女性がもっと不安定になっているとまで言い切っているのは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130629)、当時の下村満子氏にはカチンとくることではあっても、今の少子高齢化時代の日本を見れば、また、アメリカの一種混乱と凋落ぶりを振り返れば、本当に世の中の本質を見据えてハッキリと提言されていたのは、果たしてどちらか、と思うのだ。
その意味で、イスラーム主義の危険性に早くから警鐘を鳴らしていたダニエル先生も、その筋を受け継いでいることは確かである。(太平洋の遠く向こうにいる君に、それがわかったんだね)ということで、殊更にダニエル先生から喜ばれたのだろうか。
明日24日からユダヤ新年、ロシュ・ハシャナーである。よいお年を迎えられますように。(2014年9月23日記)