ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

献辞のない本のありがたみ

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Lily2 @ituna4011
"History of Communism: A Brief History" (http://www.amazon.com/dp/1842124846/ref=cm_sw_r_tw_dp_z9uiub0CJR8YY …) arrived here today. The cover design is different, though.


Lily2 @ituna4011
"Russia Under the Bolshevik Regime" by Richard Pipes (http://www.amazon.com/dp/0679761845/ref=cm_sw_r_tw_dp_42uiub1VBCYAZ …) arrived here today.


Lily2 @ituna4011
"Communism: A History" (Modern Library Chronic...(http://www.amazon.com/dp/0812968646/ref=cm_sw_r_tw_dp_m1uiub1WH1WGC …) arrived here today.

三冊とも、パピ先生ことリチャード・パイプス先生のオリジナル版著作。(リチャード・パイプス先生についてのブログ記載は、(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140917)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140918)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140919)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140920)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140922)を参照。)
実は、一冊目(ハードカバー版)と三冊目(ペーパーバック版)は、タイトルに‘Brief’が付いているかいないかの違いだけで、インデックスを除いて、本文は同じだと判明。また、この二冊の邦訳書は、既に二年半以上も前に入手し、読んでいる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120131)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140917)。ただし、内容をざっと見てみると、バーナード・ショウなど、心当たりのある話が次々出てきて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140605)、改めてびっくり仰天している。
本当に、父と息子の知的コンビネーションで著述に励んで来られたのだなぁ、とびっくりするやら感心するやら....(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140922)。
今年4月上旬に、ニューヨークの前座会合にもお招きいただいた時、参加者全員が一言ずつ自己紹介をしたのだが、一人の男性が「高校の時、彼(主催者)のお父さん(「誰?」と別の人が質問し、ご本人が「リチャード・パイプス」と答えた)の共産主義に関する本を読むようにと紹介されたので、その縁続きで、彼の仕事を支援している」という発言が聞かれた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140512)。その時、(アメリカの高校では、そういう本を読本として読ませるんだわ)と妙に感心したと同時に、相当レベルの高い学校のご出身の方なのだろうと思ったことまで覚えている。そういう年代の方達だったのだ。

上記三冊には、特に家族宛の献辞がない。それは、私にとって少し助かることでもある。執筆された本の内容だけが関係してくるからだ。
アマゾンなどでも閲覧可能なページが時々抜けているのは、恐らく、著作権の問題と同時に、個人情報開示とも抵触する可能性があるからだと思われる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131101)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140731)。
著者本人は、自分の仕事を支えてくれた家族に対する気持ちと感謝と、普段はじっくりと話せないかもしれない自分の仕事内容を理解してもらえればと、その場では後先を考えずに、記念として名前を添えているだけであったとしても、もし、その後の家族関係に何か予期せぬことが生じたりすれば、少し厄介でもある。場合によっては、言論活動の内容如何で家族にも何らかの危害が及ぶ可能性もゼロとは言えず、警戒が大変である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)。
確か桐島洋子さん(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070903)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080319)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120313)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130208)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130629)の娘さんが書いていたかと思うが、特に子どもが小さい頃は、自分の名前が本になったということで単純に喜んでいたとしても、後に社会生活を送るようになると、それが自分の人生を開くことにも閉ざすことにもなる可能性がある。それに、矢内原忠雄氏のお墓を多磨霊園で調べていた時、事務所の方が、「子どもは嫌がっていても、孫は喜ぶ、という例もあったりします」などと教えてくださった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091124)。
もっと複雑になるのが、皆が健在の中で家系が途中で二手に分かれることだ。つまり、家族を新たに作り直すというのか、家庭生活をやり直すというのか....。そこに子どもが新たに生まれたりすると、当事者同士の間で、ちょっと感情面が複雑になる。それを、読者はどのように察知し、理解すべきか。例えば、係累の中で一人、人生のタイミングによっては献辞が抜けてしまう場合もないわけではないのだ。
著者が単独で生きているのでない限り、そういうリスク全てを背負っての執筆活動だということである。
アメリカは離婚率が50パーセントと高い。表面的に見れば、社会の中で特に珍しい現象ではないと言える。難民の子を養子として引き取って育てるケースも稀ではないお国柄だから、感覚が我々とは異なるのかもしれない。アメリカ人自身は実にあっけらかんと「パパとママのこと」を外国人にさえ話すそうなのだが、一方で、聞く側の心理としては、実に複雑だ。特に女性の立場ならば、何とも返答に困る。と、私は思うが、これまた緒方貞子先生も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120420)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120618)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140512)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140621)、ご著書でそのようなことを書いていらしたのを思い出す(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090909)。一時期、緒方家も、双方の仕事の事情で東京と海外の別居生活だったことがあり、アメリカで「あら、あなたのとこもそうなの?」と尋ねられ、娘さんが「いえ、うちはそうではなくて」と説明しなければならなかったとか。
アメリカ女性は「仕事を持って自立」しているので、離婚しても自活できる、などとも聞く。経済面では、そうなのだろう。法的にも、だから弁護士が大活躍の国だ。だが、夫と妻の関係は仮にそれでよしとしても、子ども達はどうなるのか、と不思議だ。法的に処理して、落ち度なく両方に権利が分配されるとしたとしても、気分的に、暮らしそのものが何かと落ち着かない。
実は学生時代に、共産圏の方が離婚率が高いと聞いた。女性が男性と肩を並べて仕事ができ、賃金に差別がないからだ、ということだった。しかし、それでいけば「食べるための結婚」ではなくなるので、当然のことながら、家庭を維持する努力が薄れていくだろう。ならば、なぜ反共政策で鳴らしていたはずの豊かなアメリカでも、離婚率がそんなに高いのだろうか。
ということで、献辞の扱いには、工夫ないしは繊細な配慮がいる、という結論である。読者としても心得たいところだ。