ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「あんたは負け!」

「あんたは負け!」と宣言して相手に認めさせるのが、対立下にある状況の戦略だとのことです。これは古来からの戦略上の知恵で、何ら極端でもないそうです。
非常に単純明快ですが、一方で「人権」「差別はいけない」「弱者への配慮を」「両論併記」などごちゃごちゃと気配り(一時期は「目配り」など軽率な言葉が流行していました。配るべきは「目」ではなく「心」!)を要求する勢力があると、ただ状況を攪乱させるだけで結局は問題解決が先送りになり、両者共に何も得られず、不満だけがたまるという状況に陥ります(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120521)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120929)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130704)。
シオニズムとは「ユダヤ人が自分の国を持ち、存続する権利を認めること」だとのことですが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121007)、パレスチナ自治政府の内部資料などを見ると、「お互いに認め合って仲良く一緒に暮らす」どころか、人口で押してきたり、権利の主張で相手を黙らせたりした末に、結局はユダヤ人国家の独自性が失われるように進めようとしていることがはっきりしています。武器を取って殺すばかりではないのです。
そして、いつ、どの世論調査を取っても、アラブ・パレスチナ側に好感を持つアメリカ人は圧倒的に少なく、イスラエル寄りは常に過半数を遙かに超えているのが現状です。
それなのに、「このままではイスラエルは孤立する」「どんどん右にぶれている」などと煽り立てるような本を書いていた日本の女性記者がいました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120608)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121202)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130121)。あるいは、単純な事実をわざわざ小難しく複雑化して、アラブ・ムスリム世界の陰謀論まがいの怪しげなソースまで「資料」として、「現地万歳」「地元の声こそが真実だ」と言わんばかりに執筆を続けている日本人ジャーナリストがいます。要するに、「自分達はアメリカやシオニストの本音を見抜いているんだぞ。騙されないぞ」と虚勢を張っているわけです。しかし、そういう力の入った側こそが、問題をあえて作っているのだとも言えます。

中東の厳しい現実を学ぶプロセスを一年半続けてきた結果、長らく違和感を覚えつつも、自分もしっかり左派教育あるいは左派思想の影響下にあって、随分、犠牲にしてきたものがあると気づかされています。左派の人は一見、進歩的で新しい柔軟な考えを出しているように見えますが、私個人の経験では、かなり慇懃無礼で平気で人を切り捨てる失礼なタイプが目立ちます。望むような社会改革をするためには、邪魔な人は切っていかなければ自分達が前に進めないからです。
米国から「強い日本を期待している」と言われると、元気が出てきます(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130927)。安倍政権が出現しそうになった時、「きゃぁ、また日本軍政時代に戻るの?怖い〜」と言ったマレーシア華人女性がいましたが、そもそも、マレーシアの教育の偏りのせいで、現実のあるがままの日本および日本史をきちんと知らないからそういう態度に出るのです。ところが、左派メディアでは、ことさらにそのような「アジアの声」を拡大して、社会を攪乱させてきたのではないでしょうか?
中国の共産化によって逃げてきた華人には二通りあって、裕福な教養層は香港か台湾に、下層はマレーシアにやって来たのだそうです。そういう話も、私個人の経験では「差別はいけない」「今はそういう時代ではない」「どの国の人々とも公平に」と目くらましされていたと思います。事実は事実として、まっすぐに知らされるのが教育であり情報社会でもあるのに...。
この態度の根本的な問題と危険性は、「裕福な華人がマレーシア経済を牛耳っている」という誤った偏見が広まることです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130820)。
私も言いたい。「あんたは負け!」