ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「戦略思考」について再考する

孫子』を読み終わり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130606)、戦略思考について考えを巡らしていたところ、次のようなサイトに出会いました。例によって、ポイントのみ部分引用をいたします。

(http://www.jmrlsi.co.jp/menu/mnext/d02/01/intro.html)
「戦略思考を鍛える」  代表 松田久一氏


・戦略を持つべき当事者の愚かさを指摘
→そういう論者に限って、戦略も明確に定義せず代替案も提示しない
・組織的に可能な科学的な分析手法+個人の創造力に依存
・個人の創造力:歴史と伝統によって培われた社会関係である組織体験+幅広い知識
・政治の延長としての戦争等の歴史を題材にした幅広い自立的学習
→戦略思考を鍛え、独自の見方を養う
孫子の兵法:魅力あるテキスト←普遍的な人間精神の洞察力あり
・戦略論は、戦争から生まれた知恵
(例1)ナポレオンに負け続けたプロシアが生んだのが「戦争論」のクラウゼヴィッツ
(例2)イギリスとフランスを手本に近代化を進めていた日本と中世ヨーロッパを脅かしたトルコ
(例3)山県有朋モルトケに懇願。メッケルを参謀教育指導に。モルトケはもうひとりの弟子をトルコに派遣。その影響を受けたのが日露戦争を辛勝に導いた児玉源太郎
・幅広い自己学習:歴史的資料+現代的な材料
・ものの見方や発想が違うという印象
・自分の大脳を通過し、腑に落ちたものこそが戦略
・戦略思考には原則が必要。原則とは例外のある規則性
・自分の頭脳を通過した思考

これを読みながら思い出したのが、某大学の教授のシラバスの言葉。学生達に「その研究テーマが戦略的にふさわしいかどうかを指導する」という意味のことが書かれていました。わざわざ「戦略的」という言葉を出しているところが、私にとっては危うさを感じたのですが、もっと危険だと思ったのは、実は戦略的に世渡り上手だと自負していらしたのであろう、その先生こそが、外国人の別の先生からは「あの先生には、いくら言ってわかってもらえない」「あの先生はイスラームを知らないから」と言われていたことだったのです。
個人攻撃や批判をしたいのではありません。自分ではうまくやっているつもりでいても、現地生まれの現場を知る外国人の先生から見れば、非常に危うげで間違った方向だという指摘に対して、一体どのように責任を取られるのか、ということです。
上記のサイトで興味深かったのが、アメリカ流の戦略思考を鵜呑みにするのではなくて、「腑に落ちたもの」「自分の頭脳を通過」という表現をされている点。つまり、テクニックや付け焼き刃は物にならないということです。
実は、アメリカ流とはいえ、ダニエル・パイプス先生も『孫子』を愛読され、実践されている節が垣間見られます(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130605)。もちろん、英訳テクストを読まれているのでしょうが、日本人の私が原文の漢文付きの『孫子』を現代日本語の解説で読んでみると、あの巨大なパイプス・サイトの原則や骨子が透けてみえるのです。つまり、情報戦を戦っているわけです。
昨晩のメールのやり取りで、その点を確認されたようで、パイピシュ先生も「僕の考え方にもっともっと相性が合うことがわかってくれて、僕はうれしい」と書いて来られました。実のところ、正確に言えば、訳業を通して私が影響を受けているということなのですが。
例えば、パイプス・コラムを訳している過程でも、(あれ?こういう側面もあるはずなのに、一切書かれていない)と感じることは時々あります。また、講演の質疑応答を聞いていても、さり気なく冷たく無視したり、話題を一言で逸らしたりしている場面も少なくありません。それを(あの人のパーソナリティじゃない?)と見ることも可能でしょうが、『孫子』を読んだ私にとっては、まさにわかっていてもあえて無視する戦術をとっている、と理解します。彼我の差違を熟知した上で、あえて無視するというのも、勝ち戦にとっての一手法。つまり、勝てる場で勝つことが目的なのです。
パレスチナとの紛争問題についても、時に過度に響くイスラエル賛美についても、日本から見ればいろいろ文句をつけたい部分があったとしても、そこは我々の戦略思考が問われていると私なら考えます。
結局のところ、だらだらと交渉して妥協するよりは、既にあの地にしかユダヤ人の国はないということならば、「ユダヤ人国家を認めろ」と一貫して言い続け、他に土地も広くあるアラブの人々には、イスラエル内で人口増加をもくろまれるよりは、いずれアラブの地に帰ってもらう、という結論が先に来ているわけです。その最終目標をまず設定した上で、ありとあらゆる情報を集めて、事実だけをより分けて自分の路線に沿って分析し、文筆とメディア出演を通して、世論および議会および各国の有力政治家達に働きかけてうまく説得していく方法です。
嘘ではないものの、論調が時に偏って見えることがあるのは、そのためです。そして、そこに反発したくなったならば、実際のところ、日本および自分は本音でどちら側につきたいのか、どちらが短期長期的に見てプラスになるか、よく自己分析することでしょうか。
例えば「これからは、大学に就職するならイスラーム研究だ」と言っていた人が身近にいました。もちろん、一般知識としては必要です。ムスリム諸国の歴史および現状をしっかりと研究分析する作業も不可欠です。外交政策も充分に検討すべきでしょう。しかし、ムスリム改宗者ならともかく、現代日本で本当にイスラームが人々の心の奥底まで浸透するかどうか、近い将来、原油が枯渇した場合に、中東の現状を考えて、どこまで敬意を持って日本人として接することができるか、充分に考えるべきではないでしょうか。
心にもないことを当座の「戦略」だからと言って乗ずるのは、力も集中できない上、情勢が変化した際に収集がつかず、何より自分に対する信用が失われるのではないかと思います。