ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

イランと日本の核意識の相違

久しぶりに「メムリ」からの引用です(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120712)。

メムリ」(http://memri.jp/bin
調査および分析シリーズ

Inquiry and Analysis Series No 888 Oct/14/2012

核武装境界国になるイラン」
A・サヴィヨン(MEMRIのイランメディアプロジェクト長)Y・カルモン(MEMRI会長)
背景
 核拡散防止条約(NPT)は、加盟国に対して、ウラン濃縮レベルに規制を加えている。即ち、エネルギー生産用には3.5%−5%、医療研究用は19.7%まで。それ以上の濃縮は禁じられている。更にこの濃縮作業は国際原子力機関(IAEA)の許可と査察を必要とする。
 IAEAは国際社会を代表して、加盟国の濃縮ウラン使用権を、合法的民生目的のためにIAEA/超大国(ウラン濃縮を独占している)から必要な濃縮ウランを得る権利、と解釈してきた。この線に沿って2005年1月に、IAEAエルバラダイ事務局長(当時)が、ウラン濃縮活動の5年間モラトリアムを提案した。或いは彼が朝日新聞に語った「我々が、燃料サイクルのための国際とりきめに関して話合いがまとまる迄」のモラトリアムである。更に事務局長は、このようなモラトリアムはすべての国に「(核燃料の)フルサイクルを開発する権利に制限を課すので価値がある」と言った※1。 2005年2月にはAFPのインタビューで、エルバラダイは「我々は、万事平常通り、というわけにはいかない。つまり、どの国でも、プルトニュウム分離やウラン濃縮の工場をつくれるのである。ということは、このままでは30ないし40ヶ国が核兵器開発能力のフェンスの上にのり、数ヶ国は核兵器に転換できる力を持つことになる」と述べた※2。
 さらに、2005年に、ブシェール原子炉への核燃料供給に関してイランとロシアの間に協定が結ばれたが、本協定はこの政策がベースになっているのである。この協定のもとで、ロシアはブシェールの軽水炉へ核燃料を供給し、一方イランは使用済み燃料棒をロシアへ戻す。−勿論すべてIAEAの査察下で実施されるのである。
 これまでIAEAがとってきたすべての決定は、ウラン濃縮プロジェクトを直ちに中止するよう、はっきりとイランに求めてきた。イランと国際社会との交渉は、IAEA超大国がイランの必要とする合法的民生用濃縮ウランを供給し、一方のイランにはウラン濃縮中止を求めることが、焦点であった。イランがウラン濃縮中止を拒否すると、国連安保理はイラン制裁の決議をした。つまり国際社会による制裁である※3。
核政策を次第に転換させるアメリカ政府
アメリカ政府は、ウラン濃縮に関する政策を次第に反転させてきた。新しい政策のもとでは、濃縮ウラン使用の権利は、自国領で諸国がウランを濃縮する権利(但し民生/平和的目的)とされる。この新解釈は、2009年6月オバマ大統領がカイロでおこなった演説で、表明された。オバマ大統領は「イランを含むすべての国は、核拡散防止条約の規定する責任を守るならば、平和的核エネルギーにアクセスする権利を持つべきである。この厳守義務が条約の核心である…この地域のすべての国がこのゴールを共有できることを望む…(イランに対する)何十年もの不信感を克服するのは、困難であるというのは認める。しかし我々は、勇気、厳正、決意を以て進んでいく。我々二国間には話合うべき課題があるだろう。勿論我々は相互に相手を尊重することをベースとし前提条件なしで交渉し、前進する。しかし、核兵器の問題になるとその余地はない。我々が決定的な点に達していたのは、当事者にとって明らかである」と言った※4。
 この政策転換は、後にもっと明確な言葉で表明された。例えば、2009年7月タイ開催の安全保障サミットに先立って、クリントン国務長官が、核武装化イランの支配下に入る恐れがある中東アラブ親米派の安全保障に関して、「我々はイランが計算することを願う。私が求めるのは、きちんとした判断である。即ち、もしアメリカがこの地域に核の傘を広げると、もし我々が湾岸域に対する軍事力支援を増強すれば、イランが今よりも強くなることはなく安全でもなくなる。何故ならばイランは威嚇しあるいは支配することができなくなるからである。彼等は、核兵器をひとたび手に入れると、できると信じているようだが」と述べた※5。
 オバマ大統領は、この防衛の傘に加えて、米政府がイランの核兵器取得阻止の固い公約を繰返し表明した。しかし大統領もクリントン国務長官核兵器だけに反対、と制限をつけるだけで、民生用と査察対象という条件をつけたウラン濃縮権に最早反対表明をしなくなったのである※6。
 2009年10月19日付イラン通信Farsは、イランと5+1の間で行われるウィーン核協議について報道し、アメリカの代表団が、自国領でウランを濃縮するイランの権利を公式に認める方途を検討中とし、アメリカの政策転換はヨーロッパの代表団から反対されているとつけ加えた※7。
 Farsの報道は、2009年5月のABC放送インタビューでマイケル・マレン米統合参謀本部議長が発言した内容を反映していると思われる。インタビューで「日本と同じように、完全に査察されている核燃料サイクル計画をイランが持てるのかどうか」と質問され、議長は「確かにひとつの可能性」であると答えた※8。
 民生用という条件でイランの自国領内ウラン濃縮を認めたのは、政策の転換である。これこそ、イランが長年要求してきたものである。イランは、日本及びドイツと同じ地位(日独モデルとして知られる)を求め、2005年にこの要求を公けにした経緯がある。
 2005年2月ベルリンを訪れたイランのハラジ外相(Kamal Kharrazi)は、イラン・EU協議のたたき台として日独モデルを提案した。ドイツのフィッシャー外相との会談で、ハラジ外相はイラン対EU3との問題紛糾を解決する方法に触れ、「ドイツと日本の平和利用核プラントを、イランの核開発計画の良きモデルとして考える。この日独モデルは、協議のたたき台になり得る」と言った※9。
 2009年5月には、日本の中曽根外相との共同記者会見で、イランのモッタキ外相(Manouchehr Mottaki)が、日本の核モデルをイランに適用することを提唱し、「日本の核(利用)活動に関する見解を、イランを含む諸国に適用すべきである」と述べ、イランの核活動は‘合法的且つ平和的’と繰返し述べたうえで日本は、核にかかわる仕事について、永年信頼醸成に努めてきた。イランも同じ道を進んでいる…信頼醸成時代、日本が(核)活動を停止せざるを得なくなったことはない」と言った※10。
日独モデルはイランに適用できるか
日独とイランとの間には主な違いが三つある。
1 日独は共に法制上核兵器を禁じている。
2 両国は民主々義国家であり、表明した意図が信用されるように、何十年も努力してきた。
3 両国はIAEAによる核施設の完全査察ができるようにしている。

一方イランは、
1 IAEAによる核施設の完全査察ができないようにしている。IAEA報告と安保理決議は、イランが、核施設の完全査察を許さず、IAEAに協力していない点を強調する。更に、2012年9月、IAEA出向のイラン大使ソルタニエ(Ali Asghar Sollanieh)が、IAEAに対するイランの協力は、イランの求める前提条件をIAEAが受入れるのが条件、と言った※11。
2 民主々義国家ではない。表明意図が信頼されるような振舞いをしていない。最近イランの原子力庁長官は、イランが慣習的にIAEAに嘘つき欺いてきた、と公然と言った※12。更にイランはここ数カ月、軍用(原子力潜水艦建造)に90%濃縮を意図している、とすら言っている。
3 日本及びドイツと違って法制上核兵器禁止の保証がない。つまり、核兵器保有の意図がないことを法的に確約しない。2012年4月、法制上の核兵器禁止が保障されていないことに関し、トルコのエルドアン首相とイランのハメネイ最高指導者が、その代用をつくりだそうとした。ハメネイ核兵器禁止のファトワをだすという形をとるという。2012年3月下旬のテヘラン訪問時、エルドアン首相はイランの国営テレビに、「私は、オバマ(大統領)に対する最高指導者の発言を共有しており、この確約があるから、私が云々するまでもない、と彼に言った。私は、彼等(イラン側)が原子力を平和的に使っているという言葉を信じる」と言った※14。しかしながら、この試みは失敗した。ハメネイは、話のあったファトワについて、アメリカ政府をミスリードしたのである。彼は、核兵器禁止のファトワをださなかった。それだけではない。出す気もなかった。彼は、核兵器は禁じられているとする政治声明はだした。しかしこの声明は、法的裏付けを持つものとして米政府に提示できるレベルのものではなかった。つまりそれは、イランのようなイスラム体制とつり合ったファトワではない※15。
 前IAEA事務局長エルバラダイが指摘したように、アメリカのこの政策転換には危ういところがある。つまり、NPT(核拡散防止条約)加盟国が核兵器保有境界域国家として、自国領内で高レベルのウラン濃縮能力を保持する恐れがでてくる。
 2012年9月、CNNインタビューで、クリントン元大統領も、この政策転換の危険性を指摘、「イランは複数のテロ集団と大々的接触を維持している。政府が直接正式に許可しなくても、ガールスカウトのクッキーを作る分くらいの放射性物資を入手する位は難しくないだろう。爆弾男テイモシーがオクラホマシティを攻撃した肥料爆弾に混入すれば、ワシントンDCなら20から25%は汚染されてしまう。自前濃縮をやる国が登場する度に、放射性物資を充填した一種の核汚染弾の拡散が生じる。この種の兵器はペイロードは小さいが、広範囲の汚染で恐るべき被害をもたらす。我々はこれをコントロールできない。手渡す側もその後をコントロールするのか判らない」と語った※16。
アメリカの相反する二つの核政策
 アメリカが前の政策を維持し、イランの自国領内濃縮に反対しても、イランは高濃度レベルの濃縮と核兵器取得の努力を続けるだろう。しかしながら、転換後の政策は、イランの濃縮活動を正当化し、はずみを与える。イランは自国領内での5%以上の濃縮をしないという取引きをもちかけている(最後通牒でもあった)それによると、イランが低濃縮ウラン1,200を輸出し、代りにロシアが医療研究用20%レベルの濃縮ウランを供給するという内容で、アメリカの転換はこの種取引きをいわば先買いする※17。
 前述のようにアメリカ政府は核兵器(の取得)に絶対反対で、このような状況は中東に核軍備競争をもたらすとして、イランの取得を阻止する意図を表明している。しかし、核軍備競争を促すのは、アメリカの政策転換の方である。アメリカの新政策は、イランが核兵器取得境界国になることを許してしまう。現実に核兵器を手にする日はさほど遠くない。オバマ政権が認めないと決意していることが、起きる。
 オバマ政権は核の非拡散とグローバルな核非武装化という歴史的ビジョンを打ち出した。2009年4月プラハで表明した通りである。しかし、実際には、イランが核武装境界国になることを許す新しい政策が、打ち出されたというわけである※18。
 核武装境界国になることを許す新しい核政策、そして核非拡散と核のグローバルな非武装化政策。この二つの政策は完全に矛盾している。イランのようなケースの場合、絶対許さないという意向がたといあったとしても、核兵器開発への道をあけてしまうのである。

※1 2005年1月1日付朝日新聞、AFP
※2 2005年2月23日付AFP。次も参照
http://www.iaea.org/newscenter/news/2005/fuelcycle.html
 エルバラダイ事務局長は、加盟諸国のウラン濃縮を防止するため専門家委員会すら設置した。委員会は、その結論を国連ドキュメントの報告書(May 2005 NPT Review Conference)として発表した。本報告は、秘密裡の核兵器開発を防止するため、核燃料の生産を個々の国の手から取上げ、多国間グループの手に移さなければならない、と述べている。次を参照。
http://www.iaea.org/Publicatios/Documents/Infcircs/2005/infcirc640.pdf
 一方イランは、2005年のエルバラダイ提案(ウラン濃縮活動の5年間モラトリアム)を拒否した。ハラジ外相(当時)は、イランを含む発展途上国は、その協議における新しい差別を受入れない、と述べた。2005年2月1日付IRNA(イラン)。
次を参照。2005 年2月23日付MEMRI I&A No.209
※3 国連安保理の反イラン決議は次の通り
●国連安保理決議1696(2006年7月31日採択。濃縮関連及び再プロセス活動一切の停止をイランに義務づけ、制裁を示唆した)。
●国連安保理決議1737(2006年12月23日採択。濃縮関連及び再プロセス活動の停止とIAEAに対する協力をイランに義務づけ、核関連物資と技術の供給を禁止し、核開発計画に関係する個人と企業の資産を凍結した)。
●国連安保理決議1747(2007年3月24日採択。武器取引を禁止し、イラン資産の凍結を拡大した)。
●国連安保理決議1803(2008年3月3日採択。資産凍結を更に拡大し、関係諸国にイラン銀行の活動をモニターし、イラン船舶と航空機の立入り検査、入国する開発計画関係者の動静モニター、を呼びかけた)。
●国連安保理決議1835(2008年採択)
●国連安保理決議1929(2010年6月9日採択)
※4 http://www.whitehouse.gov/the-press-office/remarks-president-cairo-university-6-04-09
※5 2009年7月22日付Guardian(イギリス)、2009年7月23日付New York Times
※6 例えば次を参照
  CBSの番組「60ミニッツ」におけるオバマ大統領の声明(2012年9月25日)。この番組で大統領は「核武装したイランは、封じこめのできる国ではなくなる…アメリカは、イランの核兵器取得を阻止するためにすべきことをする」と言った。2012年9月25日付ロイター。一方クリントン国務長官は、2012年9月14日付報道声明で、「アメリカは、イランの核兵器取得阻止を決意しており、そのため二重路線政策をとっている」と述べた。
http://still4hill.com/2012/09/14/hillary-clintons-statement-on-iran
※7 2009年10月19日付Fars(イラン)。次も参照。
2009年10月19日付MEMRI S&D No.2605
※8 http://abcnews.go.com/thisWeek/story?id=7664072&page=4#.UGYTSK4ngzk
※9 2005年2月17日付Fars。次も参照
2005年2月23日付MEMRI I&A No.209
※10 2009年5月4日付Iran Daily。次も参照
2009年5月7日付MEMRI I&A No.513
※11 ソルタニエ外相は、次のように言った。
「我々は、(イランの核エネルギー計画に対する)主張に根拠がないことを証明するため、引続きIAEAと交流する。しかし我々の仕事の枠組がまず最初に決められるべきである…イランの国家安全保障にかかわる主な考慮、そしてIAEAによる所謂ドキュメントに関する我々の要求が、テキストに含まれない限り、(新しい手順の合意の)枠組は合意されないだろう」2012年9月10日付Press TV(イラン)。
※12 イランの副大統領で原子力庁長官のアバッシは、次のように言った。
「我々は、我方の核施設を守りその成果を隠すため、間違った情報を時々提供している…時には弱くないのに弱点なるものを示し、時には実際はそうではないのに強く見せることもある…」。2012年9月20日付Al-Hayt(ロンドン)。
※13 次を参照2012 年9月27日付MEMRI I&A No.885
※14 2012年3月29日付Eutimes.net
http://www.eutimes.net/2012/03/turkish-pm-backs-irans-nuclear-rights
※15 2012 4 19 MEMRI I&A No.825
※16 http://transcripts.cnn.com/TRANSCRIPTS/1209/25/pmt.01.html
※17 次を参照。2012 年5月17日付MEMRI I&A No.610
※18 http://www.whitehouse.gov/the_pressoffice/Remarks-By-President-Barak-Obama-In-Prague-As-Delivered

(引用終)