ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

オリーブの木

パレスチナイスラエルの紛争問題で、最近、NHKテレビでも話題になった「オリーブの木」があります。
入植地のイスラエル人が、パレスチナの農民が大切に育ててきた生活の糧のオリーブの木を、ブルドーザーで根こそぎ取り除いてしまったという話です。
この種の話を聞く度に、もちろん私とて、義憤を感じないわけではありませんでしたが、なぜか一方通行のようにも思われます。もちろん、入植者にもいろいろな立場の人達があり、宗教的に堅い信念で「ここは聖書に記された自分達の土地だ。パレスチナ人は出て行け」という強気の態度の人々もいることは確かでしょう。オリーブの木がそれほど「邪魔」なので、何とか話し合いによって両者の妥協点を探るやり方ではなく、力づくで突然、オリーブの木が根こぎにされた、という描き方もあるでしょう。
もっとも、イスラエル人の中にもその強引なやり方に反対している人々もいて、パレスチナ人の味方になっているケースもあると報道されました。
真相は不明ですが、どうも一部だけが拡大化されて外の世界に伝わっているようにも思われます。
パレスチナの人々が、長年、オリーブの木を植えて、それで生計を立ててきたのであれば、イスラエル入植者にも益するところがあるはずなのに、どうして突然のように取り上げられてしまうのか。また、根こぎにされたオリーブの木は、その後、どこに処理されるのか。もっと賢い利用法はないのだろうか。
というように、その部分だけ報道されても、よくわからない状況が多過ぎるのです。
他にも、例えば、イスラエル軍に破壊された家に住んでいたというアラブのおばあさんが、代々先祖から伝わっている家の鍵と土地の権利書を持ち出して、じっと眺めながら、「なんてイスラエル人はひどいことを」と、外国人ジャーナリストに言わせている映像や写真を、これまで何度か見てきました。そこだけ取り出すと、確かに強引でひどいのですが、後で調べてみたところでは、実はその家から自爆テロの実行者が出ていたのだとか。その報復として、イスラエル軍に事前予告され「荷物をまとめて出て行け」と言われたのに、出て行かずに犠牲になった事例もあるとのことです。
もう一つは、もともとパレスチナの土地は、徳富蘇峰の時代に訪問した日本人も少数ながらいて、その人達の日本語記録を読む限りでは、現在、「犠牲者」とされているパレスチナ人の語るような風土ではなかったとのことです。疫病がはやり、巡礼者をもてなすために留まっていたような僅かな人々が、やっと暮らしていたらしく、アラブの裕福な地主達は、レバノンやダマスカスなどの遠方の都市部で、快適に生活していたのだとか。
こうしてみると、東欧出身の近代生活を送ってきたユダヤ人達が、次々と祖先の土地に戻ってきて開拓を始めたとなれば、これは相当な軋轢を生むだろうことは、最初から充分予測できたことでした。
イスラエルを旅行した時、お世話してくださった日本人ガイド氏が、「日本キリスト教団聖公会の人達は、洗脳されているんじゃないか。政治面でしかイスラエルを見ていない。自分も、ここへ来て、ヘブライ大学で歴史を勉強してみて、日本で聞いていた話と全然違うことがわかった」とおっしゃっていたことを思い出します(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080514)。
さらに一点、前から気になっていることとして、日本がパレスチナの子ども達に「教育」が必要だとして、平和学習の話し合いのグループを作ったり、何とか自立して生きていけるように技術を教えたりすること自体、非常に好ましいのですが、そういう活動に従事している組織のパンフレットを読んでみると、なぜか結局は「イスラエルが拒否したので」みたいな、非難がましいパンフレットになっていることでした。
パレスチナだけに特化すると、アラブ諸国の無責任さなど問題を長期化させている諸要因が見えなくなってしまいます。善意だけでは通らない地域だということをしかとわきまえ、方策を考え直す必要があるのではないかとも思います。