ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

パレスチナ問題と日本の関与

オスロ合意二十周年(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130918)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130920)と日本のプロジェクトについて、ダニエル・パイプス先生に率直なご意見を伺ったところ、毎度のことながら、原則に忠実で簡潔なお返事をいただき、新たに勉強することが増えました。自発的に学びたくなるような啓発的なお返事を頂戴するのです。ほとんどインターネット遠隔授業を受けているようなものです。
その詳細は後ほど記すとして、何事も基本は、理論と現実のデータ分析に基づくご意見であるということです。
多分、私はパイプス先生とは気質が合うのだろうと思います(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120608)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121012)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130322)。訳文をお手伝いしている以上、パイプス先生が私に相当合わせてくださっている面も大きいのでしょうけれども、結局のところ、膨大な多作のパイプス論考文を読めば読むほど、細かい点での相違はあっても、根本路線で徐々に同意せずにはいられなくなります。すごい牽引力を持つ戦略文章群です。
最近は、フランスの女性外交官がイスラエル国防軍の男性兵士に殴りかかるなど、欧州がおかしな方向へ流れています。それで、イスラエルユダヤアメリカ人の中でも、「もう西洋を見るのはやめて、東アジアを見ようじゃないか」という意見が出ているようです。ただし、その場合の「東アジア」とは、インド、中国、韓国であって、日本の「に」の字もありませんでした。「クール・ジャパン」と、政府自ら恥ずかしげもなく公言して、アニメやぬいぐるみなど大衆文化に現を抜かしているうちに馬鹿にされるのではないか、と昔から気になっていましたが、やはりそのようです。
例えば、しばらく前にたまたま主人がテレビを見ていたら、イスラエル大使館が日本にイスラエルのプロモーションをするのに、子どもだましのような着ぐるみ人形をつくって「イスラエルって怖い国じゃないんですよ」と宣伝するという企画があったと報道していました。忘れられないのが、そこでイスラエル側が「日本人って何を考えているのかわからない」と発言したこと。全く同感。マッカーサーが日本占領期に「日本人の精神年齢は十二歳」とか何とか発言したらしいのですが、時代が異なっても、口に出すかどうかは別として、そういう見方をされているのではないのでしょうか?それを「差別」「偏見」「理解がない」と怒るのは間違っていて、素直に猛省して全力を挙げて自己改善に努める以外に方法はないのではないかと思います。
「罪の文化と恥の文化」と対立的に捉える考え方が一時期はやりましたが、パイプス先生を拝見している限り、ユダヤアメリカ人も「恥の文化」を同時に体現されていることがわかります。「恥」には「恥ずかしい、決まりが悪い」と「不面目だ」の両方が含まれますが、何を「恥」と呼んでいるかというと、例えば、文化的イスラミストの企みにまんまとハマって、「宗教間対話会合」なるものにユダヤ教代表として出て行って「ムスリムからいい扱いをしてもらいましたよ」などと呑気な発言をされていた改革ユダヤ教のラビに対して。そのラビとのテレビ討論でパイプス先生は、‘A shameful moment! A shameful moment!'と声を荒げて机を叩かんばかりに怒っていらっしゃいました(http://www.danielpipes.org/12818/daniel-pipes-eric-yoffie)(約一時間の番組中24分過ぎの頃)。「証拠がたくさんあるんだ。あの人達が背後でどんな恐ろしいことを考えているか、こんなに私が長年主張してきたのに、まだわからないんですか!」というわけでしょう。それは、国を失って二千年も流浪の民として世界中をさまよってきた自民族を深く思う気持ちの吐露であって、決して極端な思想の持ち主だからではありません。もしそこで(有名なラビに対して、何ということを...)と思う人がいたとしたら、それこそ筋違いというものです。
ダニエル先生のお父様のリチャード先生の回想録"Vixi"を読んでいた時、ポーランドホロコーストの被害に遭って亡くなった共同体の場合、実はナチの意図を見抜けずに「ドイツ人は前も法と秩序をポーランドにもたらしてくれたのだから、今回も大丈夫でしょう」と、安穏としていた事例があると記されていました。また別の本では、異常に気づいた人がいても、ラビが「我々はここで祈りの生活に専心することがユダヤ教徒としての務めなのだ」と説得して、パレスチナに逃げようとする人々を止め、結局はホロコーストで犠牲になってしまった例もあるとか。
日本の一般向けの読み物ならば、ホロコーストの犠牲者あるいは奇跡的な生存者に焦点を当てて、感情面に訴え、信仰心の大切さを誘うようなもの、あるいは反戦思想へと結びつけるものが人目を惹くようですが、パイプス両先生の場合、それにはほとんど目もくれないで、とにかく自分達の自助努力を重視し、情勢判断力の欠如や指導的立場にある人の誤った導きに盲目的に従ったことを「恥ずかしい」と考えるようです("Vixi"pp.54-58)。基本的には、どの国のどこにいても、人間は創意工夫次第で、どこまでも環境を向上させてよりよい生活ができるという信念をお持ちのようなので、誇り高いユダヤ系として、自分達の同胞がそのような目に遭ったことを、とにかく羞恥のように思っていらっしゃるようなのです。
これは非常に大切な根本精神です。だからこそ、パレスチナや大半のアラブ・ムスリムのように、「帝国主義」「植民地主義」「差別」などと訴え続けて、犠牲者精神を武器に相手から譲歩を引き出そうとする戦略に対して、嫌悪感を露わにして反論されるのでしょう。そして、その延長線上に、オスロ合意の二十年に際しても、「失敗」と一言で要約。
さて、そのひそみに倣い、我々日本側も、善意のつもりかもしれなくても、その内実には恥ずべき傾向が多々あることを認めなければならないと思います。

私からダニエル先生へ9月19日付でお送りした質問です。新たな訳文19本(プラス&)を送る前に、という条件付きです。ご参考までに、関連資料をどうぞ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130917)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130919)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130923)。

1. 著述、ご講演、ビデオ画像から、1993年、2003年、2013年のそれぞれで、オスロ合意に関する先生のお立場は理解しております。要するに、失敗であって、二十年後に何らよいニュースはないということです。


2.アラブ・ムスリムパレスチナ人やイランが、さまざまな側面で政治的な究極目標をどのように変えていないかを知る度ごとに、私は今でもショックを受けています。メムリ、パレスチナ・メディア・ウォッチ(PMW)、ミッチェル・バード博士のAICEプロジェクト、先生の書かれたものは、明らかにこれらの事実を示唆しています。


3.それでは、1993年にあの行事を推進し、支援したノルウェーの促進者達をこれまでに先生は批判なさいましたか。ノルウェーは今でもパレスチナ人に資金を送るよう奨励しています。1970年以来、ノルウェーの労働運動と左派クリスチャン団体がパレスチナ人の経済状況に関心を持ってきて、イスラエル労働党と協働しようとしたというのが私の理解です。労働党は、他の右派政党よりもパレスチナ人に対してより同情的であるように見えると考えられました。


4.日本政府は現在、エリコ近くに、イスラエル人とパレスチナ人の間で協力を促進するための農業プロジェクトを持っています。一緒に働くことによって、パレスチナ側の経済状況を改善するためです。一般的には、ここ日本で肯定的に支援されているようです。なぜならば、それはアラブ・イスラエル紛争において和平プロセスというものを促進する貢献をするための、日本による小さな手段の一つだと考えられるからです。


5.二国家解決策はまだ日本政府と日本の中東専門家によって奨励されているように思われます。西岸のイスラエルによる入植は、ここのメディアやジャーナリストや専門家によって、ひっきりなしに非常に批判されてきました。エルサレム問題も例外的ではありません。日本はまだ、UNRWA国連パレスチナ難民救済事業機関)の寛大な寄付国の一つです。


6.私の意見:農業プロジェクトは、よい意図でなされているように見えますが、残念ながら、その効果は一時的で表面的でしょう。西岸とエルサレム問題は、イスラエル国家の将来のために、もっと大きく長期的なスケールで思い描かれるべきです。不幸にも、これらの特別な問題に関して、先生のご見解と日本の公的あるいは一般的な立場の間には、大きなギャップ、ほとんど正反対の傾向があるようです。


7.ノルウェーや日本のようなパレスチナ人向けの外国援助は、先生の戦略を促進するための障害だとお考えですか? 最近、私宛てにお書きになられたように、あと二、三十年間働き続けられるならば、先生の展望に沿ってアラブ側から何か肯定的な変化が見えると期待されていますか?先生の立脚点に沿うように、どのように日本政府を説得できますか?

一日おいて、次のようなお返事をいただきました。

1.正しい。
2.その通り。
3.いいえ、私はノルウェー人に留意を払ってこなかった。自分が本当に知っていることに焦点を当てるようにしている。
4.そのようなプロジェクトは「マンチェスター学派」を前提とするもので、経済的絆が戦争なしを意味するだろうという仮定だが、果てしなく誤りだと証明されてきた。
5.何がそれに続くかではなく、戦いに焦点を当てる方を私は好む。
6.強く同意する。
7.パレスチナ人達がまだ戦時下にあり、イスラエルを除去しようとしている間、彼らに今報酬を与えることは間違いだと私は考える。今から二、三十年経てば、アラブ・イスラエル紛争に新たなアプローチがあるだろうと私は楽観的だ。日本政府は米国政府に従うと私は思う。だから、その仕事は、ここ合衆国のものだ。

私が上記で述べているエリコの農業プロジェクトは、外務省の広報で知ったものです(http://www.mofa.go.jp/region/middle_e/palestine/pdfs/factsheet.pdf)。

日本的感覚では、「誰だって食べるのだから、同じ仕事を一緒にすることで、少なくとも経済状況が改善され、パレスチナ人とイスラエル人の間で相互理解が芽生え、対立解消に向かう可能性も期待できるだろう。農業開発事業は平和を促進するのに有効な方法で、特に中東から敵視されていない日本が貢献できる場だ」と考えるのは自然だろうと思います。ただし、私が懸念しているのは、次の理由からです。
(1)パレスチナやイランやアラブのメディアおよび学校教科書や各種ロゴ・マークや地図などで、いまだにイスラエル破壊を目指す動きが明白なのに、内部事情をどこまで知っているのか、「第三者」の日本がお膳立てをしたからといって、本当に和解のきっかけとなるかどうかは不確定だ。
(2)仕事にありつけ、賃金も得られるとなれば、規定時間内は一緒に働くかもしれないが、だからといって相互理解につながるとは限らない。むしろ、相手を知ったばかりに嫌悪感が募り、距離を置きたくなる可能性も大きい。民族が違っても好感を持っているならば、最初からプロジェクトなしに自然に交流しているはずだ。
(3)日本政府の事業だということは、一国民として長年支払っている私の税金も使われているわけで、納税者の一人としては、意見があるなら黙っていないで公表するのが責務だと考える。
(4)マレーシアの事例を見ていても、クリスチャンとムスリムの対話会合や協働プロジェクト(環境問題、女性の地位向上など)が無数に長年あるものの、お互いに顔見知りになり、一緒にテーブルにはついていても、マレー語聖書の発禁没収問題や「神の名」問題など、根本的な事例は何十年も全く解決していない。従って、一部の人々の表面的な接触に過ぎないことがわかる。
(5)概して、利害や条件が一致すれば、限定的に一緒に行動する(同じ学校で学ぶ、同じ職場で働く、ご近所に住む)のは、人間世界どこでも観察できる現象で、だからといって平和に結び付くという保証はどこにもない。

そこで、マンチェスター資本主義について教えてくださったパイプス先生へのお礼も兼ねて、続きのメールをお送りしました。

日本がアメリカ合衆国と政治的同盟関係にある限り、“日本政府は米国政府に従う”」。

問題は、このプロジェクトがマレーシアとインドネシアとも提携していることです。現在のマレーシア首相のナジブ氏が今年の1月に、パレスチナ人との連帯を示すために、ハマス支配のガザを訪問した事実を考えると、その状況はもっと複雑になるでしょう」。

実を言えば、マンチェスター学派/資本主義については、もっと理論と具体的な実践および失敗の事例を知りたいと思うのですが、時間が許せば、ということにします。私が考えるのは、もっとシンプルなことで、あのような長期に及ぶ未解決の暴力非暴力の対立問題に関しては、上からの劇的な改革が起こらない限り(例えば、イスラエルを銘記した地図に変える、学校教科書も墨塗りをして抜本的な改革をする、サマーキャンプでも変な反セム主義や反イスラエルの歌を子ども達に歌わせない、メディアの問題あり番組を削除するなど)、外国政府関与とはいえ、比較的小規模の草の根事業では効果が限定的だということです。また、「失敗が繰り返し証明されてきた」のが事実だとすれば、日本政府は我々の税金を無駄に使って国境を越えて人まで動かそうとしているわけで、この不景気の時代に何たることを、とも思います。

二国家解決策がまだ有効だと日本政府が支持していることに関しては、私が知る範囲では、現在のイスラエルでもアメリカのユダヤ系組織でも「幻想」とする意見が強く表明されていることをどう考えるか、だと思います。ましてや、一国二民族解決案に至っては「妄想」だという意見、現在では「三国家解決案」(ガザをエジプトに、西岸をヨルダンに任せる)さえ出ている状況です。
よく「それはその国の人達が考えて決めることだ」と、他人の仲介を叱咤する方がいますが、同じ論理で、「それはイスラエルの人々が決めること」「ユダヤ人が考えること」だと唱導したいと思います。私が二国家解決策に反対しているのは、ガザと西岸が離れているのに、どうやって一国家を樹立できるのか(バングラデッシュが「東パキスタン」と呼ばれていた時代を想起)、あまりにも非現実的だという理由からであって、それ以外は上記のように「長期的視野から安定したイスラエル国家の存続を願う」以上の考えは何ら持ち合わせていません(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121129)。つまり、当事者が充分に話し合って、お互いが納得のいくように決めればよいことであって、我々日本としては、「余計なお世話」をしないで、じっと見守る姿勢の方が賢明ではないか、というのが私のささやかな意見です。
それにしても、パイプス先生は、ずけずけ物を言っているようでありながら、実に控えめな賢明な態度を保っていらっしゃるんですね。本音ではノルウェーのお膳立ても日本のプロジェクトも、(えい、邪魔するな)と思っていらっしゃるかもしれなくても、「自分が本当に知っていることに専念する」とのみおっしゃり、「間違い」を指摘する以外に、余計なことは言わないからです。