ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

グロスマンの悲劇を踏まえた今

今日は5・15事件のあった日として銘記されます。犬養道子氏を思い出しますが、もう世代交代してしまって、「どうして批判されているんですか?」みたいな素朴な質問が、このブログのリンクで、ひっきりなしに続いた時期がありました。(それぐらい自分の頭で考えなさい!)というのが私の答え。そういうことを尋ねている人々にも、「全ての人に高等教育を」と、政府が呼びかけている時代なので、何だかなぁと思わされます。
さて、「消えたブログ」の補填をしようかと思います(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120511)。実はあれから、他事に夢中になってしまい、熱が冷めたというのか、どうでもよくなってしまった感がありますが、文章というものは、馬鹿げたようでも書き続けていけば、それなりの効用があるということを、ダニエル・パイプス先生から学びました。
何だか皮肉のような言い方ですが、実感です。今も、一つ訳し終わったところですが、何度も笑ってしまいました。普通、そういう次元の話は、エチケットとして黙っておくのが社交上の鍵かと思うのですが、パイプス先生は、どうも黙っていられない性格のようで、あえて文章化されているのです!しかも、その対比として、我々日本人が登場します!(正直なところ、あまりうれしくはない事例....)
(こういうことを書くから、「あいつはイスラームの悪口を書きまくって食ってる」とか何とか非難されるんだろうね)と思ってみたり、(しかし、どうしてそこで、我々日本人が対比されなくちゃいけないの?)と疑問に思ったり、不思議な思考回路を辿る方なんだなぁ、と改めて思ったりもしました。
ともかく、学生運動がなければ、今頃は、どこかの大学で、もっと落ち着いた学者生活を送られていたのかもしれません。せっかくテニュアももらったというのに、自分で叩き付けて出てきたとか、追い出されたとか、何とももったいない話です。
そして、ある箇所を訳していたところ、なんと、トルコの英字新聞の1998年3月11日のロイター記事(p.7)が、そのままそっくり一文、出所引用なしで論文に含まれていることが判明。先生、ダメじゃないですか、一文盗用ですよ。
主人は最初から、訳文の見直しを手伝いながらも「そんなに力入れることじゃないよ。ま、適当に気楽に続けていけば、お互いにハッピィなんじゃないか?向こうがどうとるかわからないから、あんまりごちゃごちゃ書かない方がいいよ」と言っていましたが、ここへ来てようやく私も(そうかもしれない)と納得。
ま、あれだけ書きためていれば、玉石混交というのか、日によっていろいろな質の文章が出来上がってくるのでしょうね。それにしても、いかにもアメリカ。普段、私はめったにテレビを見ず、たまに見るとしても、BBCの方が落ち着いていて好きなので、何がそう問題になっているのか、よくわからなかったこともあります。勉強になりました。

https://twitter.com/#!/ituna4011


8 May Lily2‏@ituna4011
鎖国の思想―ケンペルの世界史的使命』(中公新書 358) 小堀 桂一郎(著) (http://www.amazon.co.jp/dp/4121003586/ref=cm_sw_r_tw_dp_MamQpb0A2YAQV)が、今日届きました。ケンペルさんの聖書引用がどの箇所だったのか知りたいけれど、日本語文献では無理なのでしょうか?


5h Lily2‏@ituna4011
イスラエル全史 (上)』 マーティン・ギルバート(著)千本健一郎(訳) 朝日新聞出版(http://www.amazon.co.jp/dp/4022504943/ref=cm_sw_r_tw_dp_eIXQpb1V80JM8)が今届いた。久しぶりに手応えのありそうな一冊。まずは上巻から。訳者は、アモス・オズやデイヴィッド・グロスマンも手がけたジャーナリスト。


1.鎖国というものは、聖書解釈からも、自然の摂理にもとるが、条件付で日本の鎖国状況は理解できるとしたケンペルさん。
・その聖書の箇所とは、「ヨブ記38章」だと判明。相澤啓一先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120406)の謎めいた解説の意味が、ここで説き明かされました。聖書になじんでいれば、(そうだろうなぁ)と素直に思うのみ。
・特に、「鎖国はいけない」「国境を開けておけ」と、聖書に書いてあるわけではない。該当の箇所は、説教調の散文詩のような記述で、創造主に造られた我々が、相互に壁を隔ててはならない、という内容。

2.イスラエル情勢について
・中道とされるカディーマ党と強硬右派とされるリクード党との連立が数日前に成立。
・2007年3月のイスラエル旅行の前後に、図書館から借りて読んだ「ピース・ナウ」の三羽ガラスの作家の中では、グロスマンが最も私の好みにあう。
グロスマンの二番目の息子ウリ君が、2006年8月の紛争時、停戦を求める声明を父を含めた三人の作家が揃って出した二日後に、レバノンで殺害された。
・その翌日に読んだ電子版『エルサレム・ポスト』のコメント欄には、「ほれ見ろ、いくら左派が平和運動でいいことしていても、結局は息子を殺されてしまうんだぞ」とあり。
・その直後に、『ハーレツ』だったかで、グロスマンの美しい英語の詩を読んだ。呆然とする父親ではなく、子を殺されて復讐を企むのでもなく、淡々と、自分の息子として生まれてくれたことへの感謝、一緒に家族として過ごした楽しい思い出の数々。
・一定の知名度は日本でもある「ピース・ナウ」運動と、極めて困難な共存状態であるアラブ系やパレスチナ人の「隣人達」。
・和平を求めて運動していても、当然のことながら、それが直接、恵みに満ちた安全な暮らしを保証するわけではないことが、証明されてしまったということが、グロスマンの悲劇。
・ここ数年の反芻を踏まえて、結局は、ダニエル・パイプス先生のような「強硬右派、過激なジャボティンスキー流シオニズム」と、一部の日本やイスラエル内を含めて批判されている人の主張を認めるようになった私。限界を承知しつつも、必死になって応援に回っているユダヤ系米国人に、私としては、盲目的な全面共感というのではなくとも、やむを得ない選択としての一帰結として賛意。
・最初は、(人の非難が多い文章ねぇ)と、びっくりしていた。同時に、今の米国も欧州もイスラエルも、先進国であるが故の悩みというのか、深い問題を抱えていて、大変だなぁと。数年たてば日本も風邪を引くことになるので、今から要注意。その意味では、国際ニュースがわかりやすくなり、お金をもらって勉強させていただいているようなもの。