ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

訳文の見直し作業

昨晩から今日一日、3月下旬と4月半ばに提出した訳文14本の見直しをしていたところ、見つかりました!全体の内容は問題ないとしても、構文把握がところどころ乱れていたり、小さな語釈の相違、表記のマイナーミスなどです。
先月には送り直すと宣言していたものの、ある程度、まとまった時間に集中した方がいいことに気づいた上、見直すには、さまざまな根底および周辺の勉強と資料集めも必要だということで、こんなに延びてしまいました。

翻訳を依頼された当時(2月上旬)は、まだ、1月半ばに、突然のようにメール連絡が始まった上司たるダニエル・パイプス先生の人となりや物の考え方を知るのに精一杯で、あの頃、次から次へと週に2,3回ぐらいの頻度で送られてくる原稿やテレビ出演やラジオ放送などを受けとめるのに、大変に忙しくしていました。そのために、(私でさえそうなのだから、当然、専門家なら英語でそのまま読んでいるだろうし、日本語は、読者層を増やすための手がかり程度に)と、意訳を心がけていたところがあります。
ところが最近は、先生もお疲れなのか、年明けからずっと海外旅行も含めてご多忙だったための整理をされているのか、次の新たな案を練っていらっしゃるのか、ここ十日ほど、メーリングリストは止まっています。止まったら止まったで、とても心配になり、何だか寂しくなるのが人情というもの...。
すると、(やっぱり、一つ一つ、きちんと丁寧に仕上げよう)という気にもなってきます。一期一会、ですから。そうして、逐語訳ではなくとも、正確さを心がけるように注目してみると、(こりゃ、やり直しだ)ということに。

それに、以前にも書いたように、既に70本以上、選び出して部分的に訳し始めたものがたまっています。これも寝かせておいてから送るつもりですが、1980年代ぐらいの著作から現在に至るまで、ダニエル・パイプス先生が精力的に書きためてこられた、さまざまな話題について訳を積み重ねていくと、だんだん、思考パターンと人生経験と時代潮流との関係が明確になってくるのです。この頃は、お父様の自叙伝も手元にありますし、フェイスブックでお若い頃からのお写真も拝見すると、背景の裏付けができてきて、理解が進んできたように思います。
最初は、日本での評判がどうもあまり芳しくないところがどうしても気になって、(どういうことなんだろう?)と、決していずれの立場も鵜呑みにはせず、自分でいろいろ調べて確認して納得がいくように、と思っていました。しかし、先生の人柄と同時に、孤立を恐れず、自分の信念に忠実に行動される姿勢に、ますます敬意を深めています。単に有名人だからというのではありません。これほど一部からひどく批判されていながら、細かく集めて整理してある膨大な情報を、国内外での講演旅行やテレビ出演の合間に、タイミングよく文章化して、次々に出していく手法は、お見事です。あまり人と群れたり社交に時間をかけないタイプらしく、確かにとっつきにくい点もありますが、先見の明に優れているというところが素晴らしいです。

初めの頃は、エリート家系に生まれて、恵まれた学歴でうらやましく思い、身が引き締まるような恐縮の思いがしていたのですが、少なくとも自分の場合は、世間的な非難中傷という目に遭ったことはないし、出自で差別されたり、迫害を受けたりしたことがない、結構な身分だということに気づいたら、なぜ、パイプス先生が、真っ直ぐ連絡を取り、自分の意見をストレートに出す私を、そのまま受けとめて信頼してくださったのか、今にしてわかるような気がしてきました。
さて、こんなことを書いている間に、また訳文の見直しです。では、この辺で。