ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

新たな頼まれ事について

気がついたら、あと二日で3月も終り。今日は、オーストラリアから、イースターカードが早速、届きました。
私の方も、ささやかなプレゼントを用意してはあったのですが、何か新たな頼まれ事に専念し、あるいは、それに関与することによる影響や含意などを考えたり相談したりしているうちに、すっかり遅くなってしまいました。
それでも、人生とは愉快な側面と、面倒な部分とが入り混じっています。歳を経る毎に、だんだん、その微妙さや複雑さを楽しめるような自分を見出すようになってきました。
その「新たな頼まれ事」については、恐らくは、賛否両論あるかと予想はしていますが、迷いに迷い、難しい決断を迫られ、しかし、断ち切るにはもったいないような部分(それは決して、功名心や金銭面ではなく、マレーシアとの関連で重要な意味を含むもの)に惹かれて、思い切って始めることにしました。
先方は、もともと頭の回転が非常に早いだけでなく、癖のある気の短いタイプでもあるので、相当、しびれを切らしたのではないかと思うのですが、それでも、焦りおよび疲れなどから、ご自身の誤解もあって、すべてが相殺されたように、私の方では解釈しています。
なかなか微妙なところでしたが、あと2,3ヶ月もしたら、ブログではなく新たなウェブサイトを作り、そこで説明を試みるつもりです。私が最も興味を持っているのは、ある知識人がどうしてそのような世界観を抱くようになったか、という背景部分についてです。言論活動の部分だけを取り出して批判してみても、相手はますます激昂し、口と筆を極めて攻勢をかけてくるだけでしょう。そのようなことは、男性陣に任せておいて、私としては、もっとヒューマニスティックな側面に光を当てたいと思うのです。
幸い、今の私には公的な立場がありませんし、マレーシアの研究テーマについても、私自身の長年のスタンスに、ある意味での確証を与えるような騒動がまたもや発生しています(参照:http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120329)。ですから、その意味で、新たに与えられた課題についても、まったく無関係というのではなく、むしろ、非常に関連が深いとも言えるのです。
唯一、申し添えるとするならば、私自身が、先方の見解や活動の全体に対して、100%盲従しているわけではないということ、その一方で、単に見解が異なるからといって、バッシングして無視するには大変に惜しいような輝かしい分析や情報を多分に含んでいること、これが受諾した理由です。くれぐれも、誤解なきよう。