ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

演奏会の余韻を思い起こしつつ

気がつけば、今年も残りあと一ヶ月。何と言っても、東日本大震災の影響は甚大で、今でも何とも言葉にならない。してはいけないような....。
個人的に振り返れば、その時々では充実していたとは思います。でも、結果としては何となくまとまらなかったような、一方で、長年、気になっていたモヤモヤがやっと晴れて自分なりに解決ができ、落ち着いたこともあります。5月から8月にかけてが、そのピークでした。
今月のブログが、どうして停滞したのか。週末に二回続けて、大きな演奏会に行けたことはよかったと思っています(参照:2011年11月5日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111105))。
ただ、11月19日のiPS細胞に関する京都国際会館でのシンポジウムに出席してみて、普段は記録だけ残して後はなるべく忘れ、あまり病気のことを考えないようにしていたものの、この世界競争の熾烈な大規模プロジェクトに期待する患者さんと介護者の方達を含めた人々の集まりを見ていて、(自分が思う以上に、この病気は深刻なんだなぁ)と改めて気付き、どっと疲れてしまったということがあります。ついでに、キリスト教による生命倫理の思想についても、専門外のためにそれほど詳しく見ているわけでないとしても、いろいろな経路で触れる機会は多く、長い間、何とも言えない違和感のようなものを覚えていたのが、そのシンポジウムで、ある発言をパネリストからうかがって、(あ!そうなんだ!)と、急に曇っていた眼がパッと開くような思いがしたのです。
すると、今まで抑圧していた考えや感情が次々湧いてきて、やはりこれは、生命倫理の専門家の方達には失礼であっても、患者および患者の家族の立場から、率直なところを発信しなければ、と思いました。と同時に、それがいかにエネルギーを要することか、疲れることかも実感しました。
これまでのブログを見てみると、何も書かない日々が続いても、ページビュー・アクセス数が最低でも300、平均して400ぐらいは毎日あります。時には、600から800まで上がることも。「はてな」さんの場合は、カウントが上がりやすい仕組みなのでしょうが、それにしても、(我ながら力を入れて書いたなあ)と思うものもあれば、(人間関係上、もっと当たり障りのないことに留めておけばよかったのに)と後で反省するものもあります。ただ、その時だから書けること、その場だから書きとめておきたいこと、という利点を活かさない手はありません。平板な内容なら、恐らくは、それほどアクセス数も上がらないだろうと思うからです。黙っていたら通じないことも多々あります。しかし、単なる鬱憤の捌け口になってはならないとは自戒しています。

しばらく、字数制限のあるツィッターhttp://twitter.com/itunalily65)に、上記の生命倫理に対する思いや研究関連の情報提示などを綴っていました(生命倫理に関しては、2011年11月19日・11月22日・11月25日)。本来ならば、ツィッターは、読書やCDの記録に留めておくはずでしたが、ブログよりは要点のみに絞るため時間の節約になり、簡単に書けるので、ついそちらに。ただし、難点もあります。
(1)語彙選択などを後で修正したくとも、ある程度パネルがつながっていると、ほぼ不可能なこと。
(2)以前に書いたことを参照引用したくても、ブログと異なり、日付がアドレスで提示されないために、その箇所がすぐに見つかるわけではないこと。
(3)時々、使用頻度の高さから、ボタンを押しても、書いた文章がすぐには画面上に出てこないことがあること。
つまり、ケータイ上のお喋りに向いているツールだということが判明。頭のいい方は、既に使い分けができています。ただ、「眠い」「これから帰る」「帰宅中」「●●を食べた」などのようなプライベートの発信が、一体どういう意図があってのことか、私にはよくわかりません。

さて、これから原稿二つという課題があります。一つは2ヶ月前から案を練っていたものですが、テーマの性質上、やはりいい加減なことは書けません。ある程度、事態が落ち着き、自分でも整理がつくまで、考えながら待っていました。必ず年内には仕上げる予定です。もう一つは短いもので、それはすぐにできると思います。
その前に、恒例だった演奏会記録を。実のところ、これが進まなかったので、とりあえず、他の事項についてはツィッターに仮移行していました。
とはいえ、演奏会の感想というものは、感動が続いている間に書くものであって、いくらメモを取ってあっても、時間が経つと、どこか冷めてきてしまいます。その意味で、ラジオでの再現は、ありがたいものでした(参照:2011年11月17日付「ユーリの部屋」コメント欄(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111117))。プロの演奏家など、毎日のように移動と練習と本番とその他の勉強という生活ですが、ご自分の演奏記録を、どのように作っていらっしゃるのでしょうか。

話は逸れますが、以前、豪快でスピード感万全のピアニスト、ブロンフマンの演奏について書いたところ、早速、コメントを寄せてくださった現役ピアニストで作曲家の方(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071121)のお母様が、今年4月、お二人で国内旅行中に急逝されたそうです。遅ればせながらたった今、知りました。これも、その方がブログを「はてな」で持っていらっしゃるからです。誰しも皆、いろいろなものを抱えながら、何とか折り合いをつけて日々を送っているとは、よく言われることですが、旅行中に突然、という劇的な展開でも、実に淡々と記していらっしゃることに驚きました。音楽を通して表現できるから、ということもあるのでしょうが、それにしてもびっくり。心よりお悔やみ申し上げます。

今回の演奏会(と言っても、11月12日のこと!随分昔の出来事みたいな...。参照:2011年10月18日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111018))は、初めてお目にかかれたアシュケナージ氏の気さくさが際立っていました。テレビで拝見した通りの指揮振りでしたが、(意外と小柄でおちゃめな方なんだな)というのが、会場に行ってみてわかったことです。正装の燕尾服ではなく、ジャケット風に黒いリボンテープの一本入った黒いズボン姿。アシュケナージさんに触れた過去ブログは、2007年8月6日・2007年9月8日・2007年9月20日・2007年10月3日・2008年2月9日・2009年1月23日付「ユーリの部屋」をご参照ください。
そして、シドニー交響楽団の明るさと親しみやすさ。アメリカの超有名楽団のような、いかにも気負った競争感覚というものが抜けていて、観客が座って待機しているのに、それぞれ五月雨式に舞台に出てきて、勝手に自由気儘に(?)大きな音出しをして、にぎやかに、実に大らかに練習を始めたこと。楽譜は少なくとも、客席から見える限りにおいては、サンクトペテルブルクとは異なって、新しい見栄えのいいものであったこと、なども記しておきたい点です。どちらかと言えば、庶民的な印象を与える楽団員も混じっていたかな、と。この秋の深まった時期に、ノースリーブの黒ドレスで肌を出している方達もいて、さすがは多民族国家ですね。また、チェロ奏者の椅子は、一昔前の黒くて四角いピアノ椅子だったのも、新鮮でした。(これまで、私が気付かなかっただけかもしれませんが....。)

ホール(兵庫県立芸術文化センター)の座席は、これまた良くも悪くも、以前のボリス・ベルキン氏と井上道義氏の時のように(参照:2011年5月21日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110521))、舞台に向かって右側の前から2列目という場所。ここだと、コントラバスとチェロとビオラがよく見えますが、ソリストアシュケナージさんの陰に隠れることがあります。
観客は、満席とは言えず、2階の左側バルコニー席などは後方が空席。ただ、一階席は満入りだったと思います。(途中で気づいてびっくりしたのは、最前列のA席に座っていらしたおじさん二人が、どういうわけか、かなり使い込んだ感じの運動靴で座っていたこと。かくいう我々も、正装ではもちろんありませんし、ラフな格好も普通になってきたクラシック演奏会ですが、それにしてもすっかり灰色がかった運動靴とは、すごいなぁ...。)
一切アンコールはなし。これも重厚なプログラムに対する一つの方法で、よかったと思います。一週間のツアーの終盤でもありましたから。大拍手を浴びながら、アシュケナージさんの(もう疲れたよ)のポーズは、単なるジェスチャーでもなかったでしょう。
さらに今回は、変なところで咳き込む人もほとんどなく、全体としては落ち着いていました。

また、ホールには、前回のサンクトペテルブルクの時とは違い、たくさんの種類のCDが積み上げてありました。録音もしっかり商業ベースに乗って、という感じでしょうか。その点が、アメリカでの演奏機会が与えられていても、旧ソ連から亡命をしなかったテミルカーノフ氏とは違ったあり方だと考えさせられました(参照:2011年11月5日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111105))。早めに帰って来たので確かではありませんが、どうやらサイン会はなかった模様です。
プログラムを、ここに改めて記しますと...

ベートーヴェン:「プロメテウスの創造物」序曲 Op.43
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.61
ラフマニノフ交響曲第二番 ホ短調 Op.27

どちらかと言えば、たとえ客席数がびっしり埋まらなくても、はっきりした信念や特徴やポリシーを持って、観客を引き込むようなオケが好みの私ですが、その意味では、シドニーの楽団が格別傑出していたとは、必ずしも言えないのかもしれません。ただ、曲目がいずれも豪華で、深くどっしりしていて、今回のツアーでは、キーシンのピアノでショパングリーグも披露されたそうですから、一度だけで判断するのは早急なのでしょう。
ベートーヴェンを聴きながら感じたのは、聴き込めば聴き込むほど、深く語りかけてくる音楽だな、ということ。若い時にはよくわからなかったことも、繰り返す度に、意味が開けてきて、決して飽きることがないのです。
「プロメテウス」は5分程度で、シドニー楽団の助走というのか、(私達、こういう音色なんです)と示すような印象。
次は、お待ちかねのソリスト庄司紗矢香さん。時計では2時10分に舞台登場されました。衣装は、テレビでもYou Tubeでも、以前の演奏会でもおなじみの、えんじ色生地にラメ風のビーズが斜めに一本入っているドレス。茶色のリボン風布ゴム(といってもよいのか?)でしっかりとポニーテールに結わえてあり、これまた以前のように、頭を振っても髪が乱れるようなことは全くなくなりました。彼女の演奏会、これで何度目でしょうか。それにしても、この頃急に、随分大人になったな、と。
今回の協奏曲は、ノリントン指揮・N響との共演で奏法が有名となったものですが(参照:2007年8月27日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070827))、あの時には、指揮者の様子をうかがいつつも、自分の意思で(?)、こっそりビブラートをつけたりつけなかったりしていたのが、今回は堂々とビブラートで朗々たる瑞々しい音色を通されました。最初の長いイントロ部分では、天井を斜めに睨みつけるような表情で感興が湧くのを待ち....という様子。ニコニコと愛嬌をふりまくようなこともなくなり、カデンツァも自作とは違ったものに変えていました。一言で言えば、若いなりにも一種の貫録が出てきて、落ち着いてきた、ということです。
アシュケナージさんは、客席から見ている限りでは、あまり細かく指示を出さず、紗矢香さんの思うように自由に演奏させている、といった雰囲気。本当に優れたよい指揮者だと思わされます。人気と尊敬を集める秘訣は、そこにあるのかな、と。
そしてボウイングノリントン指揮の時とは、フィナーレ近くの盛り上がりの箇所で、アップ・ダウンが逆だったことも発見。ダウンの方が体の重心をかければ音が響きやすいのだとは思いますが、古楽器風にビブラートを止められていたので、音が小さく聞こえ、だからなのだろうかと納得。アップにすれば、あのように響くんだな、と、今回、実演奏を間近で見ることの利点を再認識した思いでした。ただし、相変わらず、ピッチカートはビンビンとよく鳴っていました。五嶋みどりさんの優美さとはまた違ったフレッシュ感覚です(参照:2009年11月9日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091109))。
...と、こうして書いていると、ホールでの音色が蘇ってくるのが不思議ですね。
45分ぐらいの大曲を堪能した後、4分ほど、カーテンコールの大拍手。期待しても、アンコールはなし。3時でいったん締めて、20分の休憩。この時間が、歳を取るにつれて、だんだん短くなるんです。プログラムを500円で買いましたが、どちらかと言えば、一週間前のサンクトペテルブルクの方が、読み応えがあったかな、というところ。
後半部が始まると、突然、舞台が大人数で狭くなりました。しかし楽団員は皆、リラックス・ムード。交替したコンマスは、なかなかのやり手とお見受け。とにかく、ラフマニノフはスケールが壮大かつメロディーラインのはっきりした温かい演奏ぶりで、あたかもお腹一杯なのに、さらに豪華メインディッシュを出されたような、贅沢なひと時。たっぷり55分間。
この人気曲は、楽章を追うごとに、知名度が増すようなところがあり、プログラムに掲載されていた用語を一部お借りすれば、「哀愁とロマン」の反復拡大の連鎖の後、クライマックスは明るく楽しく弾んで、といった人生展望を与えます。
すっかり長くなってしまいました。不十分ですが、この辺りで失礼します。やっぱり、早く仕事を片づけて、音楽関連のパンフレットの整理や音楽雑誌の複写や新聞記事の切り抜きの目録整理など、すべきことはたくさんありそうですね。演奏会も、記録として残しておかなければ、その場限りの瞬時で消えてしまい、せっかくお金をかけたのに、もったいなく思うからです。