ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

サンクトペテルブルク楽団の演奏

突然ですが、ひと足早く自分にプレゼントした誕生日祝いも兼ねて、今日の午後は、以下の楽団を大阪で初堪能して参りました(http://twitter.com/#!/itunalily65)。

http://www.asahi.com/event/AIC201109280006.html

サンクトペテルブルグフィルハーモニー交響楽団が11月に来日公演
2011年9月28日12時46分


ユーリー・テミルカーノフ


 ロシアの名門オーケストラ、サンクトペテルブルグフィルハーモニー交響楽団が、11月に東京・文京区で来日公演します。

 音楽監督のユーリー・テミルカーノフの指揮で、同楽団の得意のロシアプログラムを披露します。曲目はラフマニノフ交響曲第2番とチャイコフスキー交響曲第4番。重厚な音と圧倒的な迫力をお楽しみください。

 チャイコフスキープロコフィエフショスタコービッチラフマニノフなどの中から、とりわけ旋律の美しいラフマニノフ交響曲第2番と、チャイコフスキーの作品の中でももっとも人気のあるヒット作として知られる交響曲第4番を演奏します。

 いずれも初演はサンクトペテルブルクで行われており、19世紀末の帝都サンクトペテルブルクの栄華がしのばれます。演奏会で交響曲が2曲演奏されることは珍しく、聴き応えのあるロシアの名曲に酔いしれることができます。

 巨匠テミルカーノフは、世界的歌劇場やオーケストラの芸術監督を歴任し、円熟味を増しています。最小限の身振りで激烈な興奮をオーケストラから引き出し、ドラマティックな演奏をリードすることで定評があります。

 同楽団は、1802年に設立された「フィルハーモニー協会」を前身とし、1882年皇帝アレクサンドル3世の勅令で設立されたロシア最古の交響楽団です。クレンペラーワルター、ワインガルトナー、ニキシュなどの著名指揮者がこのオーケストラに客演し、ホロヴィッツプロコフィエフソリストとして共演。R.シュトラウスマーラーブルックナーなど数々の重要作品の初演を行っています。1824年ベートーヴェンの「壮厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)」の世界初演も行いました。

 1938年にエフゲニー・ムラヴィンスキーが約50年間にわたって音楽監督を務め、1988年ユーリー・テミルカーノフ音楽監督に就任。サンクトペテルブルグからペトログラード、そしてレニングラードからまたサンクトペテルブルグへという都市名の変換に伴い、1991年に「レニングラード・フィル」という名称から「サンクトペテルブルグ・フィル」と改名されました。

サンクトペテルブルグフィルハーモニー交響楽団
■日時 11月12日(土)午後6時30分開演
■会場 文京シビックホール大ホール(東京都文京区)
■料金 全席指定 S席1万5千円、A席1万3千円、B席1万円、C席8千円、D席5千円
■お問い合わせ シビックチケット 03・5803・1111


主催:公益財団法人文京アカデミー、朝日新聞社
協賛:富士通株式会社

これは東京での日本ツアー最終日の宣伝。プログラムが4種類ある中の「プログラム2」という組み合わせで、大分と東京の文京シビックホールでしか聴けないものです。本当は、こちらがいいのですが、関西在住ならば仕方がありません。
今回、私達が拝聴したのは「プログラム4」。明日の横浜みなとみらいでも予定されていますが、ラフマニノフピアノ協奏曲第2番ハ短調Op.18とチャイコフスキー交響曲第5番ホ短調Op.64という人口に膾炙した有名な曲。多少、書く内容を先走りますと、ピアノのアンコールはショパンエチュード『革命』。第二部のアンコールはエルガ―の『愛の挨拶』と、いずれも広く知られたもの。
しかし、初めてテミルカーノフ氏の指揮振りを目の前で拝見し、サンクトペテルブルクフィルハーモニー交響楽団の音色に浸れたのです。もちろん、テレビやラジオなどではおなじみ(参照:2008年11月16日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081116))。いつかは生で聴いてみたいと願っていました。ただ、以前、チラシが送られてきた時、(どうしようかな。行こうかな)と少し迷ったものの、諸事情から見送った経緯があります。条件とタイミングを合わせるのは、一瞬の気合というのか、直感的なコツがいるもの。
今回も、忙しいといえば忙しいのですが、思い切りました。テミルカーノフ氏の来日ツアーで指揮を拝見できるのも、お歳から考えて、将来的には、案外限られるのではないかという....。

それで正解だったと思います。シンフォニーホールに到着した1時半過ぎには、かなり雨が降り、傘袋が必要だった程。11月にしては梅雨のように湿度の高い蒸し暑い天候で、楽器がきちんと鳴るかどうか心配もしていました。
しかしそれもなんのその、大地から湧き上がってくるような、ふくらみのある、まろやかで温かい音色。力強いエネルギーを内包させながらも、何とも典雅で気品にあふれた音響。高度な技術なのに、ひけらかすことなく繊細かつ抑制をきかせた弦。金管楽器も見事で、時折ホルンが並んで垂直に楽器を上げて揃った音を出すところも格好よかったです。ピアノもオケにしっとりと溶け込み、(え?ピアノってこういう音も出るのだったっけ?)と新鮮な気持ちにさせられるほど、いかにもロシアの正統的伝統を大切にした説得力かつ深みのある、あっという間の2時間5分(休憩20分を挟む)でした。

テミルカーノフ氏は、以前も書いたように、一見、上品なおじい様という雰囲気ですが、旧ソ連の方なので、あの厳しい時代を巧みに乗り切った、結構したたかな方なのでは、という印象もありました。つい最近、たまたま、お若い頃の白黒写真を何かで見かける機会があり、(わぁ、きりりとしたハンサムだわぁ)と、これまた驚きました。(余談ですが、今回、第一ヴァイオリンの二番目の席に座っていた方が、若き日のツィメルマン氏そっくり。口髭および顎鬚や髪型と髪の色までよく似ていたのです!)

シンフォニー・ホールは何度も来ていますが、今回選んだB席は、パイプオルガンを背にする位置の前方左側。それというのも、テミルカーノフ氏の指揮とお顔を拝見したかったから。チケット購入の際に確認しましたが、実際のところ、音響は全く問題なし。
お陰さまで、舞台では、じっくりとテミルカーノフ氏の動きや表情を記憶に焼き付けられました。全体として、暑さや湿度のせいか、ややお疲れのようにも見えましたが、指揮棒なしで、いきなり音楽が流れるように始まり、指先を細かく動かすだけで、楽団員の呼吸がぴたりと揃うのです。体の動きも最小限で美しく、常に計算し尽くされて落ち着きはらい、本当にクライマックスの必要な個所のみ、大きく腕を広げて上げる。そこはピタッと決まり、もう言葉は不要。ニコニコ笑ったり、無駄な動作や余計なパフォーマンスが一切ない感じでした。眼鏡をかけ外しするだけでも、合図が伝わる。まさに以心伝心。だから雰囲気全体が引き締まり、引き立つのだ、ということがよくわかりました。こういう指揮、私は大好きです。
(蛇足ながら、日本の誇りである世界的指揮者である小澤征爾氏や佐渡裕氏のことは、もちろん尊敬していますし、素晴らしい方達だと、いろいろな恩恵を享受してもいます。でも、あの汗を飛び散らせての激しい動きには、ちょっと...。だから、チケットを買って見に行ったことはありません。音楽を通して熱くなるのは聴衆なのであり、指揮者が先に一人で興奮するのはいかがなものか、と。これはあくまで私の好みですが。)
インタビューの際には柔らかそうな表情を見せるテミルカーノフ氏も、楽団に対しては、いつも相当厳しい練習をされているだろうなぁ、ということが感じ取れました。
この席からは、ティンパニなど、舞台の奥の方に位置する楽器が見えなかったのは残念でしたし、せっかく初めてお目にかかれたロシア出身のピアニスト、ルーステム・サイトクーロフ氏が、演奏中、指揮者の陰に見え隠れしたところも惜しいところでした。でも、悪くはなかったと思うのは、譜面立ての楽譜がよく見えたこと。ポピュラーな曲ばかりだからなのか、愛着がある上に、馴染んだ解釈を再現しやすいからなのか、茶色に変色し、セロテープを貼って修繕したような古い楽譜や、いかにも中古コピー機の複写で間に合わせました、という感じの汚れの入った楽譜を、特にホルンやトランペットなどの管楽器が使っていることがわかったからです。(いつかテレビで見ましたが、N響なら、楽譜係が神経を尖らせて、ミスのないよう、もっと見栄えのいい楽譜を取り揃えていたかと思います...。ただし、楽団付きの男性スタッフ3名ほどが、休憩時にピアノを舞台下に降ろすのに登場され、椅子の位置を直すなど、ホール側の日本人スタッフと協力して、こまごまと動いていました。)
また、演奏中の楽団員の動きも、左右満遍なく比較的近くで見られたのは有益でした。たまには、新たな席にチャレンジしてみるのもお勧めです!
お客の入りは、満席というわけではなく、2階席などは結構空席が目立ち、全体として7割強ぐらいでしたでしょうか。勿体ないなあとは思いますが、その代わり客層に乱れはなく、たとえ服装は普通でも、変なところで咳き込んだりするような邪魔は、ほとんどなかったように思います。指揮者の動き一つで拍手もピタッと止まり、息を呑んで音に聴き入る様子が、反対側に座るとよくわかります。私自身も、身じろぎもせず、我ながら驚くほど集中していました。よくこちらの客席を見ていらしたテミルカーノフ氏と、何度か目が合ったことも嬉しいことでした。
唯一、ブラボーや拍手がフライイング気味で、あと一呼吸置いてから、と思いました。これも、向かい側に座ったから余計に感じられた「時差」です。
話を元に戻しますと、ロシアの音楽はロシアの楽団が一番、というのか、やはり、自らの文化伝統に誇りと自信の感じられる演奏ぶりだと思います。CDやラジオやテレビではわかりにくかった音色のひだが、ホールではっきりしていました。また、曲の構成が明快に響き、モティーフさえ一音で即座にわかるような演奏なのです。演奏後、ドイツの楽団のように相互に握手したり、足を踏み鳴らして拍手代わりにするような所作はなく、あくまで正統を貫くといったプロ意識が感じられました。
ゲルギエフ指揮でマリインスキー歌劇場管弦楽団の時にも思ったことですが(参照:2007年11月20日・11月21日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071121))、アメリカやドイツなどの楽団とは、同じロシア曲でも、表情がかなり異なります。後者は、平たく言ってしまうと、自由な競争社会の中で、お金のかかった技術演奏という風情もなきにしもあらず。
一方、ロシアの楽団員は、旧ソ連の厳しい社会の中で、政治的には恐怖心や抑圧や差別なども経験し、少なからぬ音楽家の亡命者を出しながらも、音楽一筋に人生を賭け、ひたすら国家と人民に奉仕を強いられた時代を経て今がある、ということが大きいと思われます。だからこそ、「私達の理解しているラフマニノフは、伝統的にこのように演奏するんです」「チャイコフスキーは、本来こうなんですよ」と語りかけられているような印象。しかも、以前、本で読みましたが、共産圏が崩壊した後、競争の激しい資本主義社会の中で今後、楽団が生き残っていけるのかどうか、心配する楽団員が少なくなかった中で、「落ち着け、我々の演奏は大丈夫だ」と励まし続けたというゲルギエフ氏のエピソードからもうかがえるように、いずれにしても、この大変化の中で、いくら世界中を演奏して回ってきた楽団であっても、並大抵の覚悟ではなかったこともあるかと想像されます。
さて、コンマスがこれまた、いかにもロシアの人、という風格を備えた方で、ピアノで調弦を始めたり、ジロリとにらみを利かせると誰もがピタリと揃うという、見事なリーダーシップを発揮。テミルカーノフ氏も(お疲れさま。よくやってくれました)というように、握手されていました。
肝心のピアニストですが、これがまた素敵な方。今年40歳だとは思えないほど、チラシの写真より若く、青年のように端正で初々しく見え、ツィメルマン氏のようにお辞儀が丁寧で謙虚な感じ。ご両親が学者らしく、ご本人も知的で品のよさがにじみ出ている。安定感があり、テクニック云々の派手派手しさが全くなく、深く温厚な音色。あくまで曲の持つ本質重視という奏法。今後、ますます伸びていかれるような、素晴らしい演奏。今回の日本公演での共演は、今日が初めてというプログラムでしたが、演奏終了後、テミルカーノフ氏が握手をしながら何かコメントのような言葉かけをされ、麗しい師弟関係のように、素直に頷いていらっしゃいました。
一つだけ気になったのが、なぜアンコールが「革命」なのか、ということ。上記のマリインスキーの時も、ブロンフマン氏のアンコールは同じく「革命」。いずれもかなりのアップテンポでしたが、何か含意があるのでしょうか。ポピュラーでなくてもいいから、もっと他の本格的な曲を披露していただけたらな、と。
休憩時、ピアノを脇に運ぶのではなく、四角に穴を開けて床下に降ろしている様子を眺めるために、私にしては珍しく席についたままだったところ、近くのおじさんが話しかけてきました。「去年、ウィーン・フィルで同じ曲を聴いたけど、こっちの方がうまい。ホルンがえらいうまかったなぁ。こちら側の席、どうかと思ったけど、結構いいですね」と。私もつい、「ロシアの誇りが感じられますね。すごくあったかい音色で」と応答。「テミルカーノフ氏のお顔を拝見したくて、今回はこちらに席を取りました」と言い添えると、「お、通やな」と。いえ、そうでもないんですけど。
こういう、一見普通そうに見えるおじさんが、聴き比べをしっかりされている、というところが、日本の底力なのかもしれませんね。後半部も、身を乗り出して聴いていらっしゃいました。
500円で買い求めたパンフレットには、テミルカーノフ氏の興味深いインタビューが掲載されていました。サンクトペテルブルクの聴衆に限れば、「皆が裕福ではなく、チケットを1枚買うのに苦労している人々もいますし、生活の問題や暗い気持ちから救われるために来ている人々もいます。私はそうした聴衆を尊敬しないわけにはいきません」との発言が、いかにも旧ソ連出身の指揮者だということを再確認させ、こちらも襟を正されるような思いにさせられます。「ただ、日本の聴衆に関しては、音楽的なレベルがとても高く、要求が厳しいので、私も重い責任を感じます」というのは、単なるお世辞ではないと受け止めてよいでしょうか。
CDはどれも好きではありません」と「音楽のカンヅメ」と表現されたテミルカーノフ氏の意思を尊重し、会場で終演後、並べてあるCDを見には行きましたが、売り切れもあったようで種類が非常に限られており、買うことはやめました。その代り、気になったものは表紙を記憶して、帰宅後、インターネットで調べてノートに記入しました。
庄司紗矢香さんのインタビューもパンフレットには掲載されていました。来週、別の組み合わせでお目に書かれるので、その日を楽しみにしています(参照:2011年10月18日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111018))。
この度の東日本大震災に関して、4月にはテミルカーノフ氏からの温かいメッセージが寄せられています。北米ツアーでの収益金の一部である300万円以上を仙台フィルハーモニー管弦楽団などに寄付されたとのことです。