ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

美しいベートーヴェンでした

「美しいベートーヴェンでした」
昨日の‘Meet & Greet’で、自ら右手を差し出した五嶋みどりさんに申し上げた私の言葉です。場所は兵庫県立芸術文化センター。もうこれで、4回目のご対面になるでしょうか(参考:2007年7月4日・7月31日・2008年5月25日付「ユーリの部屋」)。サイン会の時には、必ず、その場で浮かんだ、その時々の気持ちをお伝えすることにしています。
徹底したプロフェッショナリズム。決して手を抜かない緊張度の高い演奏。約40分の集中したコンチェルトの後、三回のカーテンコールに、5分のアンコール(「バッハの無伴奏ソナタ 第一番の第一楽章」とやや早口のご紹介。長めの調弦。)20分の休憩をはさんでワーグナーが1時間続いたとはいえ、毎日の移動だけでも大変なのに、笑みをたたえて、長い列を作った一人一人に握手とサインで応じるみどりさん。
以前とは異なり、今回は、カメラ、携帯、ビデオは不可との表示が出ていました。ブログのために、肖像権の問題も発生しますし、サイン会の時間がそれだけ長引きますから、充分理解できるところです。それでも、これまでは、極めて気さくに、写真におさまってくださっていました。
舞台衣装は、白地にオレンジ色の模様を全体に散りばめた、たっぷりしたギャザー入りの、シンプルでオーソドックスな半袖ワンピース風ドレス。レモン色に輝く金色の靴。舞台ではとても大きく見え、左右に体を揺らしながら、決してぶれることなく、のびやかで透明感あふれる音色を奏でる時、スカートのひだも動いて、とても幻影的。研ぎ澄まされた知的で繊細な高音。常に抑制のきいた深みと余裕のある歌い方。技巧において、衒いも冷たさもない、何とも品のいいまとまり。初めて聴いたかと思われるようなカデンツァ。
演奏が終わって舞台袖にさっさと戻られる時には、フレアーが大きく広がり、脇のリボンもひらひらとたなびく。女性ヴァイオリニストにありがちな、露出的に肌を見せたりしない、極めて清楚で誠実な雰囲気。これがみどりさんの生き方そのものであり、持ち味であり、小さな子ども達からおじいさんおばあさんまで、世代を問わず尊敬され、敬愛される秘訣なのでしょう。
ひとたび舞台を降りると、地味な黒のスーツ姿に変わり、どこからあんなスケールの大きな演奏の源が出てくるのかと不思議なほど、小柄なみどりさん。軽く握られる手も、本当に小さくて細くて、少しヒンヤリしていて、いつでも驚かされます。けれども、お会いする度に、音楽以外にも、さまざまな経験を積み重ねられて、風格が出てこられたなあ、と感動します。
毎回、みどりさんのチケットを購入するのには、覚悟が要ります。即日完売だそうですが、初日の販売開始直後でも、まず1時間半は、回線がつながるまで忍耐強く待たなければなりません。今回も、6月29日に郵送されたチケットでしたが、席を取るのがとにかく大変で、希望かなわず。結局、誕生日プレゼントということにして、B席一人1万7千円の計二枚を奮発。三階席の正面やや右寄りから、見下ろす形になりました。見渡せば会場は、正しく満席。もう一つ上に四階席も。
それというのも、今回は、日本ツアーの一環として、マリス・ヤンソンス率いるバイエルン放送交響楽団のドイツ・シリーズだったからです。しかしさすがは、南ドイツ。全体として、規律正しく均整がとれていながら、非常に温かく明るい音色でした。選曲も、いかにも本場ドイツの本領発揮というベートーヴェンワーグナー。弦の響きが細やかで堅実で、派手派手しく押しつけてくるような興奮や刺激ではなく、自然に音楽の中に溶け込めるような、いつまでも深いところで余韻が残るような、素晴らしい演奏でした。伝統に深い誇りを抱いた、落ち着いて端正な雰囲気は、ドイツならではのもの。
時間は厳刻主義。きっかり始まりました。最初に、第一ヴァイオリンの最後部に位置していた女性の楽譜に何か不備があったようで、思わずご愛敬の笑いが会場から。これで、一気に緊張がほぐれて、いい雰囲気が醸し出され、みどりさんとヤンソンス氏のご登場となりました。
ここから先は、何も言うことがないのですが、(今日は咳もなくていいなあ)と気分良く過ごしていたところに、やはりソリストの聴かせどころで、ゴホンと変な咳が。こういう箇所でこんな咳が出るということは、音楽がわかるとかわからないという以前の問題で、そもそも曲を知らないのではないか、と。知っていたら、少なくとも咳は抑えるはず。また、集中していたら、咳も自然に止まるというもの。何より、演奏家に失礼です。そして、ホールの皆にも失礼だ!

"Woltuen, wo man kann,
Freiheit über alles lieben,
Wahrheit nie, auch sogar am
Throne nicht verleugnen
."


BEETHOVEN, Albumblatt 1792.


能うかぎり善を行ない
何にても優りて不羈を重んじ
たとえ王座の側にてもあれ
絶えて真理を裏切らざれ


ベートーヴェン(1792年 記念帳)


(出典:ロマン・ロラン(著)片山敏彦(訳)『ベートーヴェンの生涯岩波文庫1938年/1980年 第34刷 p.19)

そして、マリス・ヤンソンス氏がせっかく、次のようにおっしゃってくださっているのに....。

産経新聞』(http://sankei.jp.msn.com/entertainments/music/091106/msc0911060212001-n1.htm
「日本は特別な尊敬を抱く国」マリス・ヤンソンスバイエルン放送交響楽団と来日公演(2009.11.6)
バイエルン放送交響楽団と来日公演を行うマリス・ヤンソンス
 ドイツのミュンヘンに本拠を置くバイエルン放送交響楽団の首席指揮者を務めるマリス・ヤンソンスが、同オーケストラと11月7日から16日まで、東京、川崎、福岡、兵庫・西宮、岡山・倉敷の5都市で8公演の日本ツアーを展開する。
 1946年、リトアニアのリガに生まれたヤンソンスは、ロシアを代表する名門オーケストラ、サンクトペテルブルクフィルハーモニー交響楽団(旧レニングラードフィルハーモニー交響楽団)の指揮者を務めた親日家のアルビド・ヤンソンスを父に持ち、日本に対する特別な思いを抱く。
 「父がレニングラード・フィルの初来日に帯同して日本を訪れたのが1958年。その時から私は日本に対する特別な思いを抱くようになりましたクラシック音楽が生まれ、継承されているヨーロッパからはるかに離れた場所にあって、日本の聴衆はとても広い知識を持ち、深い理解を示し、知的で熱狂的な感動を表してくれます。これは奇跡ともいえる素晴らしいことで、私は来日を重ねるごとに日本に対する尊敬の念を深くしています
 ヤンソンスが2002年から首席指揮者を務めるバイエルン放送響は、世界的なオーケストラが名を連ねるドイツにあって、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と双璧(そうへき)をなす名門。
 1949年にミュンヘンに創設され、オイゲン・ヨッフム、ラファエル・クーベリック、コリン・デイビスロリン・マゼールが首席指揮者を務めて歴史的な名演の数々を残してきた。
ヤンソンスバイエルン放送響と5年から同オーケストラと日本ツアーを2年ごとに展開する一方、4年からはアムステルダムロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者も兼務。ヤンソンスバイエルン放送響と交互に来日公演を行っているコンセルトヘボウ管は、1888年に創立された名門中の名門。
 ヨーロッパを代表する英国の音楽専門誌「グラモフォン」がコンセルトヘボウ管を昨年の11月に世界のトップにランクづけしているが、ヤンソンスは2つの超一流オーケストラのシェフを務め、世界の楽壇で揺るぎない位置を占めている。
 「私はいくつもの幸運を得ました。良い教育。良い教師。良いオーケストラ。その3つに出会い、私は育てられてきました。良いオーケストラは高い技術ばかりでなく、音楽に対する動かしがたい情熱を持ち、新鮮な気持ちを決して失うことなく音楽に立ち向かいます。バイエルン放送響は技術と情熱の分野において非常に高いレベルが維持された世界のトップオーケストラです。本当の一流は物質的な側面ばかりでなく、精神的にもこれ以上ない最高のものがいつも求められ、それにこたえることができるのです
 日本公演の直前にはシェーンベルクの超大作「グレの歌」、ヨーロッパなどでは特別の機会にしか演奏しないベートーベン「第九」で楽団創立60周年の記念演奏会を行い、大成功を収めている。
 「どちらも声楽を伴った大規模な作品。記念碑的な大作で先人たちが築いた素晴らしい伝統と足跡をたたえることができたと思います」とヤンソンスは矜持(きょうじ)を口にする。「記念事業の一つとして、大変に興味深い一日も設けることができました」と言葉を続けてほほえむ。
 「第九を2日連続で上演した次の日の10月31日、わたしたちは『とびらの開いた日』と題したイベントを開催しました。朝の10時くらいから夜の11時まで1日中、街に音楽があふれたのです」
 リハーサルを公開し、フル編成のオーケストラコンサートを2回、小編成の室内オーケストラのコンサートや子どもたちを対象とした音楽体験のワークショップ、親しみやすい内容のレクチャーや愛好家向けの講座をいくつも同時開催したという。
 「コンサートホールだけで1万人が集まり、定員オーバーで消防署の指導が入るほど。客席に入りきれないお客さんはステージに上がってもらいました。すべての催しは無料。音楽ですべての人たちが通じ合い、喜びを共有することができました」
 深い思索を盛り込んだ難渋な作品も、長大で多様な感情、壮年を包含した交響曲や情趣に富んだ愛らしい小品も、すべて生き生きとした息づかいのうちに演奏する魔法のようなタクトの使い手は、音楽家がいかにあるべきかについて考えることを忘れない。「とびらの開いた日」も、その思いを形にしたものだった。
 「世界全体が経済的に困窮し、活動を著しく低下させています。物質的な豊かさばかりを追求した結果です。自動車は1台あれば用が足ります。豪華な車を2台も3台も持つ必要がありませんし、無用な物欲は何を手にいれても満足することがありません。今こそ精神的な豊かさが求められています。かつてのソ連は経済的に停滞していても、精神的な豊かさを守っていました。社会の体制がどうあれ、精神的な豊かさを忘れては人は幸せになりません。音楽、芸術の本当の価値や意味が問われる時が来ています
(谷口康雄)

ホール内の掲示板によれば、ヤンソンス氏の希望により、「ローエングリン」第一幕への前奏曲はキャンセルとなったようですが、アンコールには、グリーグの「ソルヴェイグの歌」とワーグナーの「ローエングリン」第三幕への前奏曲を演奏してくださいました。例によって、ドイツの楽団らしく、終了時には互いに「お疲れさま」と、握手をし合っていました。(第二ヴァイオリンかビオラだったか、中には抱き合っている楽団員も!)
今回の記念として、休憩時間に、ショスタコーヴィチ交響曲第13番 作品113バビ・ヤール」のCDを購入しました。群がるお客さんを、大柄のドイツ人男性が、満足そうに眺めながら写真に撮っていました。これがまたすごい作品で、これについては、明日、続きを書く予定です。夜は、たまたまテレビの「N響アワー」で、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番と交響曲第10番の一部を放送していました。
すばらしい誕生日プレゼントとなって、大満足です。