ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

じっくりとマイペースで

フェイスブックを勧められたのは数年前(参照:2010年12月21日・12月23日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101221)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101223))。きっかけは、マレーシアのムスリム学者とキリスト教神学院のスタッフからという、見事な取り合わせでしたが、未だよく使い方がわかっていません。ほとんど放置状態。

というよりも、あまり時間がなくて、お世話になった方への祝祭のご挨拶やお誕生日のメッセージ程度。こういう細かなやり取りが大事なのでしょうけれども、本当は顔と顔を合わせてのコミュニケーションこそが必要だと思っています。
うまく使いこなせば、これほど便利なものもないのでしょうが、本を読む時間も欲しいし、一人で考える時間も欲しいし、何より、家事などの家庭生活の基盤を整えることも自分の課題だと思うので、なかなか...。あちらこちら飛び回るのは、私の性に合っていません。じっくりとマイペースで、本当に納得し、自分なりの咀嚼ができて初めて、内的発露の衝動に促されての表現、こういうことを大切にしたいと考えています。
ただ、フェイスブックに一人一人の出身地や出身校などが書いてあると、思わぬ発見というのか、(まだまだ知らなかったなぁ)と感じることがしばしば。1990年代に知り合った方が大半なので、(あの時のあの反応はここから来ていたんだなぁ)と思いを深くするのです。

そうしてみると、情報だけ要領よくかき集めて、何か量産するというやり方については、いかに生存競争の激しい時代だとはいえ、見る人が見れば一目瞭然。
話は変わりますが、昨晩、たまたまパソコンで学術論文検索をしていたら、学会誌に掲載されているはずの拙文が、毎回載っているのではなく、ある年とある年の関西での発表分のみということが判明。これでは、ここしばらく一連のシリーズで続けている、19世紀前半中葉の海峡植民地におけるロンドン伝道会の宣教師についての抄録が抜けてしまい、見ようによっては「やっている人がいない」と誤解されてしまいそうです。もう、10年以上前からコツコツノートを作って進めてきた作業なのに、です。
慌てて、学会事務局の担当の先生にメールでお尋ねしたところ、今朝、すぐにお電話でお返事がありました。「こちらとしては、学会誌のこのページを掲載し、このページを載せるな、というような選択はしておりません」と。それなら一安心ですが、では、どういう基準でデータベースに載ったり載らなかったりするのでしょうねぇ?
それはともかく、結局のところ、どこに価値を置くかが重要になってくると思います。そして、その過程がその人なりの人生を築きあげていくのではないでしょうか。
だから、専門とは別の次元で、古典を大切にしたいし、良質の哲学や思想などにも触れていたい。芸術、特に音楽がもたらすものを、これからも時に応じて深めていけたらと願っています。