ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

やっぱり彼女を応援したい

来月12日、アシュケナージ率いるシドニー交響楽団と共に、庄司紗矢香さんが西宮へ来られるんです。実は私、アシュケナージ氏にお目もじするのは、今回が初めて。シドニーの楽団も、もちろん初めてです。ベートーヴェンのコンチェルトにラフマニノフのシンフォニー。音色を楽しみにしています。おっと、その前に原稿が仕上がるかしらんねぇ。予定は目白押しなのですが。いえ、コンサートではなくて、仕事関連で。では....

http://ja-orchestra.seesaa.net/article/230079777.html


2011年10月12日
庄司紗矢香に聞く―(シドニー交響楽団と共演)


ベートーヴェンの協奏曲は、単純な音階とアルペッジョに膨大な音楽の核心が凝縮されています。
庄司紗矢香に聞く ─



 いまや若手の域を超えて世界中から熱い視線が送られるヴァイオリニスト、庄司紗矢香。今秋のシドニー響との日本ツアーでは、アシュケナージとの共演、そして演目がベートーヴェンの協奏曲である点に注目が集まる。


 今年3月、庄司はアシュケナージシドニー響と、地元シドニーメンデルスゾーンの協奏曲を共演した。アシュケナージとの共演は「2001年のフィルハーモニア管日本ツアー(曲はやはりメンデルスゾーン)以来」10年ぶりであり、シドニー響との共演は初めてのこと。その際の印象はどうだっただろうか?


アシュケナージさんは、大変モデスト(謙虚な、慎み深い)な方で、音楽に誠実さを求めているように思います。シドニーでの共演では多くを共感しました。何よりも“音楽家”でいらして、指揮者という域を超越なさっていると感じました。また、シドニーの町は国際的でオープンな印象を受けましたし、オーケストラもフレンドリーでした」


 ベートーヴェンは、以前ソナタに関してインタビューしたときこう語っていたように、彼女にとって特別な作曲家だ。


「幼い頃からクラシック音楽の象徴的な存在です。ソナタは13歳頃から勉強し続け、リサイタルにもほとんど毎回入れてきました。惹かれるきっかけは、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』(ベートーヴェンをモデルにしたとされる小説)に感銘を受けたこと。もちろん音楽もインスピレーションに満ち溢れています」


 では、今回演奏する協奏曲については?
ベートーヴェンの協奏曲は、主にオーケストラがメイン旋律を奏で、ソロ・ヴァイオリンはオーナメント(装飾)を演奏する形です。しかしその単純な音階とアルペッジョに膨大な音楽の核心が凝縮されているのが偉大です」


 現在録音が進行し、昨年日本でも演奏したジャンルカ・カシオーリ(ピアノ)とのソナタは、遅めのテンポでじっくりと弾かれた印象がある。同じベートーヴェンの作品で、今回もそうしたアプローチがなされるのだろうか?


「各曲に対して、テンポの固定観念はありません。私は音楽が持つ内容の全てがクリアに届くのであれば、どのテンポでもよいと思っています。楽譜のメトロノーム表示はほんの少しのヒントでしかありません。テンポは特に演奏される場所のアコースティックにも大きく左右されるものですから、残響が大きければ、音楽の明確さのためにテンポを緩める事は必然です。また、それぞれの音楽の情報の多さに比例します。楽譜に多くの情報を見いだすほど、その全てを聴衆に明確に伝えたいという気持ちになるのです。一番大切なのはそこに存在する情感の表現なので、固定されたテンポによって感情が抑制されてしまうのが一番残念です」


 もうひとつ、以前ノリントンNHK交響楽団と同曲を共演した際に、自作のカデンツァを弾いていた点も気になる。


カデンツァは、ノリントンとの共演を機に自作しました。私はこの協奏曲にヴィルトゥオージティを超えた音楽そのものの叙情を感じますので、そこに焦点を当てています」


 これは今回も大きな楽しみだ。ちなみにこの曲の録音では、「メニューインの1945年モスクワ・ライヴが気に入っています」とのこと。また先頃、カシオーリとのベートーヴェンソナタ第2弾の録音を終えたばかりでもある。「共感する」アシュケナージとのベートーヴェンの協奏曲演奏は、あらゆる面で期待が大きい。


インタビュー・文:柴田克彦(音楽ジャーナリスト)

毎日新聞』(http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20111018dde012200072000c.html
Crossroads:庄司紗矢香 真の芸術家へ、歩み着実


 ◇自分の未知の部分探して他分野にも踏み込む


 世界のトップクラスのコンクールの栄冠を勝ち得ても、そこから真の芸術家へ至る道は厳しい。バイオリニストの庄司紗矢香がバッハとレーガーの無伴奏曲を入れたCDは、芸術家としての神髄を発揮した演奏として高く評価され、一段と高みに登ったことを証している。【梅津時比古】


 ピリオド(作曲された当時の)楽器奏法によってバロック、古典派作品を解釈する演奏が全盛のなかで、庄司がバッハに、後期ロマン派や新ウィーン楽派にもつながるレーガーへの流れを見たのは衝撃的だった。バッハとレーガーを交互に入れたCD(「MIRARE」)は、2人の作品が照らし合って、互いになくてはならない存在として聞こえてくる。


 「13歳のときにレーガーの弦楽三重奏を初めて聴いて、特にゆっくりした楽章の和声感にひきこまれて頭から離れない作曲家になりました。ソロバイオリンのために書かれた作品を発見してからは、私の中ではバッハとレーガーの無伴奏は必然的に一緒にあるものとして、もしいつかバッハを録音することがあれば、レーガーは必ず一緒に入れたい、という気持ちでいました」


 「それはレーガーのプレリュードやフーガのモチーフがバッハから取られているということだけでなく、作曲家としての存在が兄弟的です。2人ともとても職人的な作曲家で、大変な厳しさとともに深い感情的な美しさの二重性を持っている。2人ともオルガン奏者で、2人ともフーガの巨匠。もちろん違うところもあって、たとえばレーガーには、たどりつかない憧れのような、永遠に終わらないフレーズがある」


 たどりつかないものに対する憧れは、すなわち、庄司の作品に対するアプローチのようにも見える。その演奏は、次々に何かを探しているようにも聞こえる。


 「まさしく、そうです。おそらく演奏を通した真実に対するとらえ方だと思うのですけど、そのとき、その人による真実があって、演奏家としての仕事として、そこを探していくことが自分の楽しみというか、その時の真実を探していくことが、演奏家にとっても、多分聴く人にとっても、インタープレテーションとしての核になるのかなと思います」


 庄司は絵画の個展を開いたり、美術、文学、哲学などにも大きく踏み込んでいる。


 「絵画にしても読書にしても、音楽と同じレベルで興味があったので、それによって得るものとか、または、考えること、感じることが結局、表現につながっていると思います。毎日、何かを探しています。いろいろなもの。未知なもの。音楽であったり、ほかの知らない世界のものであったり、すでに弾いた曲の中の未知の部分であったり、結局、自分自身の中の未知の部分を探しているのだと思います」

(引用終)
参照:2010年11月5日・11月6日・2011年2月20日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110220