ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

キリスト教宣教の一視点(2)

日本に長く根付いた宗教文化であってさえ、神道にせよ仏教にせよ、まじめに理解しようとすれば大変なのに、ましてや外国の地における外来宗教の話となれば、調べるのも困難で、覚悟が要ります。それはわかっていたのですが、ここまできた以上、やめるわけにもいきません。とにかく続けるのみです。
昨日書いたことの続きです。
実は、来月の学会で発表する予定のB宣教師について、その一人息子さんが1800年代の終わり頃に発表したペナンでの暮らしの思い出話風の著述が、復刻版で入手できましたので(参照:2010年8月9日付ツィッター)、早速読んでみました。論文や文献資料だけで理解しようとしたのとは、また印象が変わります。
当時の英語の本というのは、あまり整理された形の論述ではなく、思いつくままに、だらだらと長文が綴られているので、多少、忍耐力が必要です。ペナン島の自然の美しさ、蛇や虎の描写、各宗教行事の観察、マンゴスチン、ドリアン、ランブータンなど南洋果物の説明、ペナン・フリー・スクールでの様子など、今の私でも共感できるような、おもしろい記述もたくさんあります。
ただ、私がわざわざ、ロボットが制作したという稀少復刻版を買い求めたのは、父親であるB宣教師やご家族がいったい、どのような人となりで、どのような活動をして、どのような暮らしをしていたか、その一端を新たに知りたかったからです。もっとも、キリスト教の文書会が発行している本なので、いかにも、といった描かれ方がされています。つまり、彼らは皆、時代の子であった、ということです。
さて問題は、それをどのように現在の私が解釈すべきなのか、です。
昨日も書いたように、もし、西洋の主流派キリスト教の人々が、過去のキリスト教宣教を「文化帝国主義」であったと自己批判し、ムスリムとの対話を通して関係改善に尽力している現在をそのまま肯定するならば、では、過去の宣教師達の命がけの海外冒険の意味は、どこに求められるべきなのか、または無意味だったのか、ということです。また、対話を繰り返すことで、よりよい人間関係の構築にはなるものの、問題が自動的に解決するわけではなく、新たな問題が生まれたり、未解決の問題が残るという現象については、どのように考えればよいのか、ということもあります。

そうこうするうちに、南メソディスト大学のハント先生から、早速、夏休み明けのメール回答が届きました。
・ユーリ質問
「ご新著の『諸民族の間の福音』(ユーリ注:8月3日付ツィッター)を読み、世界情勢の変化に伴って、歴史の中でキリスト教宣教も変わってきたこと、また変わりつつあるという一般傾向を知ることができました。ところで、重要だと思ったのは、WCC(エキュメニズム志向の世界教会協議会)とローザンヌ運動(福音派キリスト教)の間で、福音宣教と改宗の点において鋭く対立していることです。両方の文書を掲載されたハント先生は、特にマレーシアに関して、現在はどちらの見方なのですか」
・ハント先生の返答(ユーリ拙訳)
「WCCとローザンヌの違いについて、あなたは大凡正しい。私の見解では、イエス・キリストにおいて神の国が近づいたという福音によって世界と関わるというのがクリスチャンの仕事です。この宣言は、神の国への忠誠とイエス・キリストの信仰という応答を要請します。これは、その他の地域と同様、マレーシアにおいても真実です。さらに、すべての宗教は、人間は真理に対して個人的に応答しなければならないと教えます。また、真理に応答し、改宗する自由は、すべての人間の権利であり、国家の法律によって守られなければなりません。クリスチャンは、福音宣教の業をもっともよく実践する方法を、独自の状況の中で決めなければならない一方で、業そのものは選択ではないのです。改宗したい人々の権利を守ることも選択ではないのです。つまり、クリスチャンは新たに改宗者を探すことに狭く焦点を当てるべきではないということです。社会の一員として、単に改宗者を探すのではなく、福音と共に社会と関わる多くの方法をクリスチャンは持たなければならないということです」

最後に、「あなたからの手紙は、いつも励ましになっています。勉強を継続していることも、私の励みです」とありました。正直なところ、細かい点でいろいろ疑問に思っても、(現地経験が豊富で、神学的にも訓練を受けた教授兼牧師という意味で)近くに相談できる師がいないために、直接の面識がないにもかかわらず、厚かましくもいろいろと教えていただいているのです。ご親切に感謝しております。