ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「北朝鮮×キリスト教」

まずは、著しくアクセスの多かった昨日から今日にかけてのツィッターの転載から。

https://twitter.com/ituna4011


・Lily2‏ @ituna4011 17 hours ago
Replying to @sgtm4md @Praises2014
このチャート、しばらく前にもどこかで見た記憶があります。私の過去の文献リサーチと某大学での直接経験では、nccとwccが要注意です。


・軍関係者の生活‏ @sgtm4md 16 hours ago
Replying to @ituna4011 @Praises2014
カトリック教会の左傾化筑波大学 故 #澤田昭夫 教授を図表にしたものです。 ご自身も信徒で、入り込んだ共産主義を憂慮されていました。 http://christ-ch.or.jp/5_torinashi/back_number/2007/2007_04/2007_04_report.html


・Lily2‏ @ituna4011 8 minutes ago
Replying to @sgtm4md @Praises2014
ありがとうございます。私も過去ブログで引用させていただきました。(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150402 …)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150403 …)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160124 …)。ご著書『革新的保守主義のすすめ』も自宅にあります。


・ (((Praises2017)))‏ @Praises2014 · 1h1 hour ago
Replying to @ituna4011 @sgtm4md

Lily様、今日も日々重ね続けられた膨大な考察をシェア頂き、
リンクして下さり、有難うございます:)

(転載終)
革新的保守主義のすすめ』については、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150406)をどうぞ。
カトリック教会については、私は内情を知らないので、あくまで文章によって知覚するだけである。ただ、どういうわけか、一般信徒の憂慮文書の方が共感できる部分が少なくない。以下に、検索で見つけたサイト(http://untijpj.la.coocan.jp/QandA2008.06.01.html)から、気になった部分を、誠に勝手ながら無断で部分引用させていただく。

2008年6月1日
教会の政治的言動を憂慮する会


松浦補佐司教様への公開質問状
2008年6月1日
カトリック大船教会


・2003年11月1日の茅ヶ崎教会の講演会では「日本国憲法第九条を絶対に変えさせてはならない」という立場を選択し強調されておられました。
憲法第九条の護持イラク戦争、温暖化、貧困、年金問題その他の甲論乙駁の避けられない諸問題にのめり込み、多数の日本国民の支持を受けない立場を予め選択してそれに執着し失笑を招きカトリック教会を日本社会の中で孤立させている現状の終息を懇望致します。

カトリック教会とは、ヴァチカンの指導の下、個々の信徒の政治的な志向までは管理できないと理解していたのだが、この訴えによれば、恐らくはイラク戦争との絡みであろうが、2003年秋の時点で、「憲法九条」を変え「させて」はならない、と教会の講演会で主張された司教がいらしたということである。
この文書にあるように、「甲論乙駁の避けられない諸問題」とは言い得て妙である。「のめり込み」「執着し失笑を招き」「孤立させている」という表現は、憂慮している信徒側との相当の確執を感じさせる。
以下は、それに遡ること8年前になる、米国とフィリピンでの勤務経験を持つ総合商社勤めの信徒からの文書の抜粋である。部分毎に返答も掲載されていたが、まるで文書中の言葉の使い方を指導されているかのような内容で、意思疎通があるようでないような隔靴掻痒の印象を受けた。

2000年7月16日
カトリック正義と平和協議会にもの申す


・4月23日付カトリック新聞に掲載された「2000年平和メッセージ」について、私の意見を申し上げたい。議論の中ではカトリック正義と平和協議会を協議会と略し、2000年平和メッセージを単にメッセージと略すことをお許し願いたい。


・内容と使われている言葉が左翼系の思想家が好んで使う表現や論理のすすめ方に満ちているのを見て正直なところ驚いている。まるで共産党機関紙の赤旗新聞を読んでいるかのような印象を受けた。


・平和のシンボルである我カトリック総本山ヴァチカン市国においても、スイスの護衛兵を置いているではないか。


・新聞記事の文章をそのまま読むと、1960年、70年当時の安保闘争共産党はじめ左翼陣営が絶叫していた「天皇制絶対反対!」という声が聞こえてくるようだ。因みに天皇制」と言う言葉は国際共産主義コミンテルン)が32年テーゼとして、日本に共産革命を起こす具体的な運動の目標として掲げた言葉がはじまりであると言われている。そこで挙げられたテーゼとして「天皇制の転覆」が謳われていた。


・私は総合商社員として、先進国アメリカの黄金時代と言われる1960年代に大都市シカゴでの駐在経験がある。更に70年代、80年代の2回にわたり発展途上国であるフィリッピンに駐在し、彼等と苦労をともにして、フィリッピンの経済発展のために尽力してきた。そして今日の日本はこうした一連の流れの中で、諸外国とのさらなる経済交流をすすめてその発展のための努力をし続けていると確信している。


・戦後の日本の経済復興は日本人の勤勉さ、負けじ魂それに加えて進取の気風がこれを可能にしたのである。また、貿易というのはすべて対等な立場での契約によって、双方が合意してすすめるものであって、決して人、物、金の力で日本がよその国を侵略したなどという誤った見方をすべきではない


・現在世界中で活躍している日本企業の姿を冷静に見渡して欲しい。多くの国々において雇用の創出と、最新技術の移転が行われ、経済発展の原動力になったり、貢献しているではないか。また日本人の発明になる「内視鏡」が世界の医術の急速な進歩をもたらしていることや、人類の大問題である自然環境の保護のために、アメリカの環境基準を真っ先に満たしたクリーンな自動車エンジンの開発に成功し、その技術移転がおこなわれていることなどをご存知であろうか。こうした事実を見逃して、負の面のみを強調して日本の経済侵略という言葉が出てくるのはどうしたことであろうか。


憲法は国民によってつくられ、国民のためのものであり、国民が納得したものでなければならない。小学生でもわかる平易な条文にしてはっきりと「国の自衛権にもとづく軍隊は保有できる」と修正するなどして自衛隊憲法で明確に認知することが先決である。二つ目は、自衛隊の海外派兵の問題であるが、日本国の国権の発動による、日本国の利益のために自衛隊を派遣することは明らかに憲法違反になるからできない。一方、国際機関が日本の国力を当てにして自衛隊国際紛争解決のために国際警察軍の役割を果たす目的で派遣を要請してきたのであれば、私はこれに賛成である。ただし憲法に必要な修正を加えることが先決である。この問題も国会の場で充分審議することが望ましい。


・「日本政府は、99年に新ガイドライン関連法、盗聴法、「日の丸」「君が代」法、住民基本台帳法(国民総背番号制)、憲法調査会設置法などを成立させ、日本は再び戦争への道を歩み出しています。」と。この論説は大変思想的に偏見があるように思う。


・新ガイドライン関連法は国の自衛権との関連で論じるべきである。盗聴法については過激分子の先鋭化するテロ行為に対処するやむを得ない措置と考える。日本国民として国の象徴である国旗・国歌を論じる時、「日の丸」「君が代」そのものが何故良くないのであろうか。どちらもその成立過程をみればわかるとおり、自然に使われた旗であり歌である。そのデザインと言い、その歌詞・メロディーと言い日本の象徴としては世界に誇れるすばらしい傑作であると思う。たしかに過去の戦争で日の丸の旗を掲げて侵略したという苦い歴史はある。しかしそれは軍部が国旗・国歌を悪用したに過ぎない。「日の丸」「君が代」に何の責任があろうか。


何がなんでも反対というのは、共産党社会民主党お家芸ではあるが、決して誉められたものではない。


・独立国家であれば何処の国でも、幼児教育から「国を愛する精神を養う事」と「その象徴としての『国旗・国歌』を尊重すること」をきちんと教えている。国民は当然のこととして国旗に礼を表わし、誇りを持って国歌を斉唱しているのである。そのように自然な国民感情を何か悪いことのように宣伝し、日本人が国旗・国歌について肯定的な対応をすると、右翼だとか軍国主義であるかのように冷たい目を向ける流れを作ってきたのは誰か。それはいわゆる進歩的知識人を自他共に任じてきた人達であり、彼等は国際共産主義を価値観の中心に置いて、モスクワや北京の顔色を窺いながら左翼思想の宣伝に努めてきたからである。その国際共産主義コミンテルン)はもう崩壊してしまったではないか。進歩的知識人はそろそろ左翼思想の呪縛から自らを解放し、日本の教育界に与えた悪しき結果について責任を自覚し、反省すべき時がきたのではないか。


憲法改正の問題に関して触れる。日本の現行憲法アメリカが日本に対して英文の原案を提示し、当時の日本政府が学識経験者に検討を依頼し、その上で、国会の承認をとって可決成立したものであることは、今では誰もが承知している事である。その内容は、アメリカ本国でも羨むほどの崇高な平和理念に貫かれた傑作である。戦後間もない頃の日本人にとって、このような理念を持って憲法条文を書き上げる事ができる人物がいたであろうか。


・現行憲法が制定された昭和22年(1947)当時の日本と今日の日本の国力の違いに着目してみよう。敗戦によって日本は国際政治の舞台では、政治力(軍事力・経済力)を失った小さな国になり、当時差別用語で語られていたように、日本は三等国、四等国になり下がってしまったのである。日本は歴史上、はじめて外国に国土を占領され、国内的には当時の日本政府は、国民に対して人々が生きていくための最低必要量の食料さえも供給できなかった時代である。


憲法改正ということは憲法改悪であると断定した議論が公然となされているが、そのような議論しかできない人達は自ら重い責任を投げ出し、義務から逃げ出しているのである。世界の中で日本国が歩むべき道しるべを適切に打ち立てることは、日本人のみならず世界の人々にとっても重大な関心事であることに気づいていないのである。


・日本は現行憲法金科玉条とみなし、改正には絶対反対という左翼陣営を中心の誤った対応に押されて、大変奇妙な事態が生じている。それが顕著なのは第9条戦争の放棄、軍備、及び交戦権の否認である。


・当時の占領軍最高司令官マッカーサ元帥が、一定の条件の下で天皇東京裁判にかけないこと、皇室の存続を認めること、靖国神社を存続させる事などを決めた。その背景には、実はカトリックの司祭でありヴァチカン市国代表であったブルノー・ビッター神父(イエズス会)のご尽力があったことである。これはローマカトリック教会が、敗戦後の日本の統治に関して、占領政策が平和裏に行われる為には、日本人の感情を無視しては成功しない事をマッカーサーに進言し、彼はこれを了承し、今日の日本があるのである。

この文書は9.11米国同時多発テロ事件の一年以上前に出されたものである。文書に綴られている内容は、私も知っている事柄とほぼ一致するので、特に違和感はない。現在の状況を見ると、何とその後、17年ほども続いていることには驚嘆させられる。

[経過メモ]


2000年4月23日 カトリック新聞記事
「今こそ預言者の役割を」2000年平和メッセージ
日本カトリック正義と平和協議会担当司教 大塚喜直
2000年7月16日 「カトリック正義と平和協議会にもの申す」 澁木嘉孝の私信
2001年3月 3日 「澁木氏への返書 大塚喜直司教
2001年4月 5日  正平協の返書に対する意見書を提出


その後、正平協からは連絡がなく、事務方へ照会したところ、担当司教が大塚喜直司教から松浦悟郎司教に替わり、松浦司教は返事を書かないということで、木邨健三事務局長に返事を戴きたい旨お願いしたが、これも出さないということでこの交信は断絶した。

(部分抜粋引用終)
これを読んで、本当に残念でならなかったが、組織は内部から崩壊していくとの教訓は、確かにその通りなのだろうとも思う。
冒頭のツィッターのチャートの組織図と個人名は、「北朝鮮×キリスト教ネットワーク」と題するものである。そもそも、2011年前半に某大学の神学部で聴講科目を受講した時、胸騒ぎがするほど気になった聖餐式の問題について(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170411)、大学図書館で1960年代の雑誌バックナンバーや古い論文等を調べた結果と部分的に重なっている。また、13年前に別の大学での仕事関連で、日本国内のキリスト教文献を調べていたことがあり、それとも重複する部分があるのである。
そもそも、私は政府プログラムの仕事でマレーシアに1990年初期に派遣され、高等教育の場で教える以上は、きちんとしたマレー語を学ぶ必要性に駆られた。教えていた学生はマレーシア政府が選抜し、名前から判明できる王族や貴族の子弟も含まれていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151107)。そこから、国語であるマレー語への聖書翻訳に興味を持ったのである。いつ、誰が、どこで、どのようにして、なぜ、聖書を翻訳し始めたのか。その結果は、どうだったのか。それは現在、どのような状態にあるのか。
そんな単純な問題意識から調べごとを始めたのだったが、当初の予想に反して難航に難航を重ねた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%DE%A5%EC%A1%BC%B8%EC%C0%BB%BD%F1&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%DE%A5%EC%A1%BC%B8%EC%C0%BB%BD%F1&of=0)。そのために、気がついたら、いつの間にか、このような領域にまで視野を広げる結果となってしまったのだった。
CCA(アジア・キリスト教協議会)という組織もあり、上記の「別の大学」の図書室で冊子文献を見たことがあるが、私のマレーシア滞在計4年間の見聞とは凡そ合致し難しい、社会問題の討議が多かったことを記憶している。例えば、貧困問題、女性の地位向上、差別問題、傍流化された人々への対処等である。つまり、私のリサーチ・テーマとは全く関係がなく、資料として役立たなかったので、良く覚えている。
このチャートには、小中陽太郎隅谷三喜男三木睦子村山富市辻元清美など、お馴染みの名前が列挙されている。勿論、名前が出ている人の下部構造として、その弟子筋に当たる人々も存在することを考慮しなければならない。
「木邨健三」(きむらけんぞう)という名前は以前にも見かけたことがあるが、実は経歴不明の方だそうである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160713)。日本赤軍シンパだとも読んだことがあるが、これ以上は不明である。近づいたこともないので、よくわからない。

今朝も、ここしばらく積ん読状態だった多くの郵便物の封書を整理していたのだが、私は過去、どこでもいいとこ取りばかりしてきたと改めて思う。基本的に、講演や講座を聞いたり、リサーチの資料探しのために出かけて行ったのであって、上記のような問題が明るみに出る前に、他の用件ができたりして、自然と遠ざかっていたのである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170427)。しかも、人間関係上のしがらみがなかったので、どこにでも資料目的で出かけて行き、トラブルに直接巻き込まれることがなかったのは幸いであった。
それにしても、1960年代の学生運動ベトナム戦争反対運動と新左翼運動などの政治活動家が、日本の小さなキリスト教人脈に入り込み、指導的立場を装いつつ、あるいは、指導的立場にある人を巻き込みながら、さまざまな良からぬ影響を及ぼしてきたことがわかる。
では、保守ならば大丈夫か、と言えば、そうとも言い切れない。右派や保守の人は、現状に甘んじて、視野が狭いこともあるし、間違いに気づかないまま満足する傾向もあるからである。