ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

沈黙を破って

ここしばらく他の分野にかまけていて、すっかりマレーシアの話がご無沙汰になってしまいました。

英語版ブログ‘Lily's Room’http://d.hatena.ne.jp/itunalily2)をご覧いただければおわかりかと思いますが、相変わらず、マレーシアでは、マレー当局とキリスト教会側とで騒動が発生。最近は問題が頻発し、スケールも拡大しているように思われます。1980年代には、センシティヴの名の下、指導者層とごく一部の意識の高い当事者だけが把握していた問題だったのが、インターネット時代に入って情報の流れが広がると、それだけ事の展開が速くなるためでもあります。1990年代初期には、資料もデータも揃わず、一体、どこの誰に尋ねればよいのか、という点で時間を費やしていたので、リサーチの点で、今は楽になりましたが、一方、問題が決して解決したわけではないことを思えば、ツールって一体何なんだろう、とも考えさせられます。

とはいえ、最近、ヴァチカンとマレーシアが国交樹立したことで(参照:2011年7月20日付「ユーリの部屋」)、いわゆる教皇大使(Nuncio)が首都圏に在住される可能性が高くなりました。カトリック共同体にとっては、強力な拠り所が身近に与えられることになるわけですね。ヴァチカンに同行された現在のクアラルンプール大司教が、かつて私に二度もお話くださったこと、お手紙までくださったことを思うと、何とも不思議な気がします(参照:2007年7月3日・2008年1月16日・2008年4月24日・2008年6月17日・2010年8月4日・2011年6月12日付「ユーリの部屋」)。

今、これを書きながら聴いているのが、ブリテンのヴァイオリン協奏曲。ロンドン交響楽団ソリストヴェンゲーロフ(2005年)なのですが、何とも懐かしく想像力をかき立てられるような美しい曲です。この曲を私に紹介してくださったのが、五嶋みどりさんとエッシェンバッハ氏(参照:2008年5月25日・5月26日・5月27日付「ユーリの部屋」)。
実を言うと、ここ正味4か月ほど、習慣として毎日聴いていたクラシック音楽さえ聴く気になれず、せっかく楽しみで始めたフランス語の勉強も、なかなかやる気になれずに中断という情けない状態に陥っていました。最初にお断りしますが、これは決して、人や環境のせいではありません。あくまで私自身の受け留め方の問題、つまり、今から思えば一種の過敏反応によるものです。
ただ、ブリテンを聴いていると、(やっぱり自分の感性や好みに合う場を求めていかなければ)とつくづく感じさせられます。なぜなら、この曲によって、失いかけていた元来の意欲がわいてきたからです。読む本だってそうです。専門分野とは別に、いつも図書館に出かけては、あれこれ趣味のようにして自分の興味関心に合う本を借りては読んでいたのに、日課がすっかり止まってしまったんです。
その間、何もしなかったというわけではなく、借りたり購入したりして読んだ本は30冊(含:英文書6冊)。どうしても気になったので、注文してしまったドイツ語資料2冊も、もうすぐ届くことでしょう。その他、複写した資料なども含めると、17本の日本語論文、6本のインターネット掲載の英語論文、54本の雑誌論考、2冊の関連書。そしてデスクトップには、4本のドイツ語資料が残っています。
複写物は今、机の横の段ボール箱におさまっていますが、果たして今後、どこにどう保存したものでしょうか?また、(ここまで集中して読んでいたら、それは疲れるだろう)とも今なら思うのですが、内容が内容なだけに、いえ、事が事なだけに、正直なところ、初めの頃は、文献を読めば読むほど、混乱と動揺と衝撃が走り、気持ちの落ち込みようは並大抵のものではありませんでした(参照:2011年6月3日・6月4日・6月5日・6月6日・6月8日・6月10日・6月12日・6月14日・6月10日・8月2日付「ユーリの部屋」)。うちの主人でさえ、「その話を聞くと、気が抜ける」と言ったぐらいです。出版物や会合等での騒動のピークはどうやら2008年だったようですが、その頃の私は、噂では何となく知ってはいたものの、別のことに熱中していたのが幸いでした。
一応のところ、どういう人脈がどのような立場か、ということが大凡わかってきたので、一連の作業に意味なしとは言えませんが、それにしても、深刻な問題。40年前の出来事が絡んで今も政治問題化されている、という見解もあるようですが、それよりも重要なのは、一方が他方を吸収同化しない限り、このまま進めば、どう見ても二極化するのではないか、と素人ながら予測されるからです。
そして、これは私の背景と好みが関与する選択ですが、正直に思い切って打ち明けることが許されるならば、やはり伝統に沿った穏健中立なあり方を願っています。その方が素直に受け留められ、安心できるからです。時代に合わせた革新はいいとしても、次々に変化が起こされると、一体この先、どこまでいくのか、そもそも何を目指しているのだろうか、と不安になってもきます。そして、どちらがしっかりと論考しているか、バランスのとれた見方をしているか、文献を読み比べてみると、それは一目瞭然。そもそも、ここが落ち着かないために、長年、困っていたのですから。実際、中にいる方には慣れ親しんでいるので自然であっても、外からパッと入ってみると、すぐ違いに気付くのです。最も顕著な違いは、説教内容と初めての時の対応の仕方。
ここまで書けばわかる人にはわかってしまうでしょうから、はっきり書いてしまいましょう。
数日前にも福音書使徒行伝と一部の旧約箇所を読み直してみて、(イデオロギーに左右されなければ、こんなにおもしろい読み物はないのに)と、改めて残念に思った次第。そもそも、どちらが古いテクストかなんて、一般信者にとっては、勉強しない限りわからないわけで、素直に読めば、全体の話の流れとして、やはり第一コリント11章が聖餐制定語として定着した歴史を肯定できるように思うのです。十字架と復活あってこその洗礼と聖餐。そのように理解していたのに、気がついたら、イエスの生き様が中心軸に据えられているかのような論法に。いえ、あのように生きたイエスが十字架刑に処され、しかし三日後に復活した、だから彼はキリストなのだ、というダイナミズムこそが、キリスト教の使信の魅力だ(と教えられた)はずだったのに....。また、私の学生時代には、そのような奇跡が本当だったのかどうかが話題の中心であった4,5千人の給食の話が、いつの間にか、「現代の聖餐論」を支える一つの証に移行していたんです。どうやらこれは、日本だけの話ではなさそうで、他言語で読んでみても、同じ論考が出てくるので、新鮮味がないというのか行き詰まりを感じさせられるというのか...。第一、パンと魚の会食と、パンとぶどう酒(または「ぶどうの実から作ったもの」)の儀式とでは、意味合いが異なるのでは?しかも、ユダヤ教または旧約(ヘブライ語聖書)との連続性や象徴的意義、契約の思想との兼ね合いはどうなるのでしょう?
ついでながら、とても気になったのが、聖餐に用いる物素の「土着化」の話。何やら「お寿司と日本酒」「お餅とお神酒」だとか「ご飯とお味噌汁」あるいは「ご飯とお茶」という提案(ないしは一部で実践)があるということでしたが、その聖書的(?)センスに疑義を覚えたというのが正直な実感。緊急時を除き、もし本気でそう考えるならば、聖書翻訳を変えなければならず、これまた大騒動になるでしょう。ちょっと想像してみただけでも、思わず吹き出しそうな妙な聖餐式になりませんか?さらに重要なこととして、世界中に広まったキリスト教会の普遍性としてのシンボル的共通項をどう考えるのでしょうか?
余談ですが、マレーシアやシンガポールではそういう話を聞いたことがなく、つい数十年前まで狩猟生活をしていたような先住民族のクリスチャン達の間でも、カトリックならば同じホスティアで聖体拝領を受けていますし、プロテスタントでも、ローカルなエスニック・フードを用いているなどとは知りません。仮に、土地の風習になじませることで人を引き付けるための手段だとしても、アメリカ人の先生いわく「歴史的に、そのような方法でキリスト教が大勢の人を引き寄せられるというのは、本当ではない」との由。
そもそも、学者が新説(または珍説?)を出してみたところで、それはその人の専門家としての枠内の問題であって、一般人の我々がなぜそれに振り回されなければならないのか、と疑問に思います。
最新の聖書学の知見を踏まえ、幅広い視野を含んだ解釈を聖餐に込めるというのは、説としてはわかるとしても、それは説教者が説教の中で語れば済むことであり、個々の信者が各々の暮らしの中で実践に移せばいいことではないか、とも。多様なあり方、と言いながら、実は制約をかけられているようにも感じるのです。
浦賀教会の楠原博行牧師が「健やかになる力を持つ教会共同体」と題して書かれた文章の中に、こんな箇所がありました(bw05.digibox.ne.jp/www.kaichokyo.jp/qk/qk81-1.htm)。

3.聖餐についても


 筆者自身までもが直面しているドイツの教会が未受洗者陪餐を容認しているという誤った主張に対して、ドイツの神学教授であるロールス先生の発言は説得力を持つものであった。「すべての宗教改革者と同じく、カルヴァンの立場は、聖餐とは、お互いに信仰者の交わりであること、すなわちすべて洗礼を受けた者たちの交わりであることを最も力強く表す祝いだということである。だから聖餐に未受洗者が招かれることは、カルヴァンにとってまったく意味がないことであるばかりか、むしろ正反対に、聖餐が、洗礼を受けた者たちの交わりであることの表現であるからこそ、教会戒規において、まことの悔い改めが示されるまでの一定期間、聖餐から締め出されることが重みを持つのである。聖餐にあずかることができるかどうかの責任は長老会にゆだねられる。かつてスコットランドでは、陪餐がゆるされる印としてコインが与えられ、聖餐を受ける時には牧師にそれを見せなければならなかったほどであった」。


 未受洗者陪餐がドイツでは…などという誤った主張に対する反論は、それが権威を持った人の主張である限り困難を伴うことがあり得る。しかし、これら誤った情報に対してロールス先生が明言して下さった事には大きな意義があった。私どもは常に正しい情報を求めなければならない。

私が最も共感した部分は、最後の方の「それが権威を持った人の主張である限り困難を伴う」です。なぜ、ここまで私の憂鬱が長引いたのかと言えば、素人なりに調べてみたところ、確かに種々の議論があるために「誤った主張」とまでは断定できなくとも、(文脈上、それはちょっと違うのでは?)と感じた点が認められたからです。しかも、そちらに同調する人々が増えていく傾向にあります。単なる間違いだったのか、それとも、何か事実を認めたくない背景があるのか、意図的にそのようにしているのか、そもそも、そう主張する理由は一体何なのか、ということが不透明なのです。見解の相違というよりは、事の性質上、そのように主張している方自身に対する信用とも関わるので、非常に気になりました。
ドイツ(およびドイツ語圏スイス)の事例ばかりではありません。アメリカ合同メソディストの事例でも(参照:2011年6月5日・6月6日・6月12日付「ユーリの部屋」)、あれから文献を取り寄せて読み、当該神学部の先生ともメールで意見交換しましたが、どうも事はそれほど単純ではなさそうだということが判明。ウェスレーに関するリサーチから始まり、讃美歌の検証、英国国教会その他の各教派の事例研究、アメリカ各地での多くのインタビュー、陪餐停止の事例など、通時的にも共時的にも、かなりの研究調査を経た上で、「このような場合はこうしたらどうか」という「牧会的配慮」提案が、ようやく出されたとの由。まったくの部外者ながらも、そういうことなら納得がいくと感じられる手法でした。(ちなみに、意見交換した先生が「あなたのメール、ご当人に転送してもいいかな?多分、興味を持つだろうから」とおっしゃったので、恐縮しながらも、精一杯お答えしました。)
それに比して、日本の場合は、いかなる理由や動機があるにせよ、まずは既成事実を作っておいてから、主張をぶつけ合っているように見えるので、一般人としては大変に悩まされるところです。研究したといっても、少なくとも文献を見た限りでは、「過去にそのような事例報告があった」あるいは「●●という神学者(例えばカール・バルト)がこのように唱えている」ということのようで、どう見ても、残念ながら少数。客観的には「そういう事例/考え方もある」ということであって、そのために余計、「主張」「見解」の相違が際立つ、というのか、あえて際立たせている、というのか...。
上記の文献資料中で、タイトルは伏せますが、ご年配の方が深く事態を憂慮されて綴られた2冊が、特に印象的でした。何とも悲痛な予測、ないしは一種の「預言」で、私も同意する面があります。このまま進むならば、いずれは本質の解体、崩壊に向かうのではないか、という危機感です。そもそも、それを企図しての活動だったのかどうか、そこを問いたいような気もしますが、とても恐ろしくてできません。
今日は思い切って、これまでの沈黙を破り、正直なところを書いてみました。明日からは、片づけものと学会発表の準備にかかります!