ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

変に小賢しくならず

イル・ポスティー』をDVDで途中まで見ました(参照:2010年11月25日付http://twitter.com/itunalily65)。1950年代の小さな漁村で、父と二人きりで貧しい暮らしを送っているマリオ。気に入ったシーンは、チリの亡命詩人パブロ・ネルーダがイタリアにやってくるという報道の映像を、大勢の人々に混じってうれしそうに見上げているマリオの表情。その後、漁師に向かず、文字が読めるというので、主が共産党員だという小さく古びた郵便局に雇われて、詩人宛の手紙を届けるという仕事に、マリオは就くことになります。
マリオ役の俳優さんは、映画監督や脚本もしていたそうですが、41歳の若さで、この作品が遺作となってしまいました。心臓病だったのに、病をおして演技を続け、撮影完了直後に亡くなったのだそうです。詳しい経緯はわかりませんが、命を燃やして生きた刻印が残されたように思います。
それと間接的に関連することで、昨日書いた「それがどうしたんですか?」(それは私の振る舞い方に問題があったのではないだろうか)と気になり、反省もしてみたのですが、先程、今日の夕刊を読んでみて、どうやらそうでもなさそうだと感じました。
朝日新聞夕刊』に掲載されたコラム「私の収穫」の関川夏央氏「『現在』を知る試み」によれば、今の大学生は、「結局、「いま」「ここ」「私」にしか関心がない。」との由。

他者に興味を持てないから、「他者の物語」である文学は視野に入らない。おなじ理由で、歴史にも無関心だ。この傾向は1995年前後のオウム事件以後だ。」
趣味は読書という人もまれになり、当然のごとく「業界」は痩せてきた。」

あぁ、やっぱりねぇ。1990年代半ばから、つまりバブル崩壊後から、だんだん世相が変わってきたモンねぇ。「業界」だけじゃなくて、意欲が減退して即物化してしまい、精神的に貧困になってきているってことじゃありませんか?
あの、チリ亡命詩人の到来を心待ちにしているマリオの表情を見て、そういえば、めったに見かけなくなったな、ああいう顔、と...。
さっき図書館で、のび太みたいな大きい遠視用メガネをかけて、子どもコーナーの隅っこに座り込んで、絵本に夢中になっていた小さい男の子と話してきました。アトピーなのか、真っ赤にただれた顔をしていたんですが、「おもしろい?」と話しかけると、「うん、おもしろい」と。絵本をめくりながら、何やら一人でお話をつくっているんです。かわいいなぁ、と思いながら、変に小賢しくならずに、こういう心を持ち続けることが大事なんだと、若者に言いたくなってきました。