ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

勉強の秋!

フランス語を始めて数週間(参照:2010年10月13日・10月20日付「ユーリの部屋」)。活用や語彙がまだ完全に覚えきれず、ディクテがなかなかできない点に不満はありますが、学習そのものは、先生達が熱心で粋だからなのか、結構楽しくやっています。フランス語は勉強しがいのある言語なので、これを機に、ドイツ語やスペイン語のように気長にずっと続けていくつもりです。これで、老後の侘びしさからは逃れられそうですし...。
それにしても、あの独特の鼻にかかった発音と綴りの不一致、どうしてそのようになっているのか、由来を知りたいと思います。
2007年3月のイスラエル旅行では、たったの一週間ほどでしたが、その前後に約30冊ほどイスラエル関連の書籍を読み込みました。参加者の間で話題になったそうですが、寸暇を惜しんで、メモ帳片手に盛んに何事も書き留めていた私。多分、来年のフランス旅行も、そのノリでいくことでしょう。
最近、フランス語の話をしていたら、主人が若き昔、ジュネーヴに行ったことがある、と言い出しました。「え!ジュネーヴ!似合わない!」と、つい叫んでしまいましたが、仕事関連のシンポジウムに出席するためだったそうです。
一人でバスに乗って困った顔をしていたら、近くのお姉さんが「ここは英語があまり通じないからねぇ」と、英語で親切に教えてくれたらしいです。
1990年に初めてバンコクに行きました。タイ語は、挨拶を耳で覚えているのみ。あの時は、本当に困りました。周囲はタイ文字オンリー。日本留学中に知り合ったタイ系華人の友達の家に泊めてもらったのですが、ドンムアン空港に降り立って、電話で彼女を呼び出すにも、すべてタイ語。マレーシアはその点、アルファベットがあるだけでも、大変便利だったなあ、と思った次第です。
これまで、言葉がわからないのに訪問した国は、南中国(広州)とタイとオランダとイスラエル。中国では日本語専攻の大学生のお兄さんがアルバイトとして通訳を務めてくれ、しかも二家族で計5人という小団体旅行だったので、安心していました。イスラエルも、ベテランの日本人ガイドさん付の団体旅行。
でも、この歳になると、旅行そのものは遙かに便利になり、慣れてもいるはずなのに、何かと余計な心配が増えてきます。だから、せめて言葉だけでも、と思ったわけです。我ながら、実によいインセンティヴではないか、とほくそ笑んでいます。
ところで、本日付ツィッターにも書きましたが(http://twitter.com/itunalily65)、待ちに待った注文の本がようやく、なぜかベルギーから届きました。
Brian Harrison "Waiting for China: The Anglo-Chinese College at Malacca, 1818-1843, and Early Nineteenth-Centuary Missions", Hong Kong University Press,1979
あの暑かった真夏に注文したのに、ちっとも届かず、結局、9月の学会には間に合わなかったのです。
しばらく頭を休めて、狭い視野を少しでも広げようと、別の本を手当たり次第、読んでいましたが、本が届いたのをきっかけに、また本腰を入れて勉強をしようと思います。では!