ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ある境界線を設ける

昨日、大学病院に行った帰りに、フランス語の練習問題の本を買い求めようと、紀伊國屋書店に入りました....がっかり。これも時代なのか、カラフルで活字が大きく、かわいいイラスト入りの子供だましの本が目立ち、これでは旅行会話レベルであって、ちっとも身につかないではないか、と思ったのです。結局、語学書は買わずに帰って来ました。
私の世代では、大学での第二外国語の定番は、フランス語、ドイツ語、中国語、スペイン語、ロシア語など。本屋さんに行けば、外国語学習書コーナーには独特の謹厳な雰囲気があり、(勉強するってこういうことなんだな)と、身の引き締まる思いがしたものです。
で、私の周囲では、単位の一番取りやすい易しい語学が、なぜかスペイン語だと言われていました。(それは、担当された先生のやり方によるもので、実際には、スペイン語もなかなか奥が深いです。)フランス語は宿題が多くて、暗記するものも面倒で大変だ、という噂。ドイツ語は、遠慮会釈なしに先生が前期試験で落としたので、秋になると受講生がぐっと減り、どういうわけか、中国語やスペイン語のクラスへ移行していました。
自分なりの吟味斟酌を経た上で、いったん勉強すると決めたら、本気で取り組むのが私の癖。なので、フランス語だって、気楽に手を出しているつもりはないのです(参照:2010年10月13日付「ユーリの部屋」)。二十歳の頃からずっと、やらなきゃなぁ、と気にはなっていたものの、どうしても相性が合わないような気がして、ここまで来てしまいました。
今のところ、スペイン語と文法と語彙が似ている部分もあったり、フランス語での会話が、ドイツ語やスペイン語よりも粋に感じるので毎日続けていますが、もっと練習問題をこなさなければ、と思うのです。ところが、肝心の学習書がこの体たらく。本屋さんの選択が間違っていたのかも?でも、実物を確かめない限り、ネットで注文なんてできませんからね。
話は少し逸れますが、ここ十年以上ずっとイライラさせられているのが、「誰にでもわかりやすく」という触れ込みとその実践型です。例えば、辞任前の鳩山由起夫氏のツィッター。「高校生から政治をもっとわかりやすく説明してほしい、という意見をもらったので、そのように努力する」という旨の発言が掲載されていましたが、これを見て私は、氏の八方美人ぶりにも苛立ちましたが、高校生の甘えにも腹が立ちました。昔なら、「ばかもん!高校生の分際で、目上に要求するとは何事か!投票権のない高校生なら、もっと学校の課題に専念せよ。政治の話は、それからだ」と叱責が飛んだものでしょう。制約のかかった社会の位相および境界線の中で、それぞれがそれぞれの人生段階の役割を果たすことで、秩序が安定していたようにも思います。
類似例として、先日「小学生や中学生にも読みやすい新聞の紙面作りを」と要求する意見を朝日新聞で読みました。難しい漢字には振り仮名をつけよ、というのです。これも倒錯した話で、大人が読む新聞を、どうして子どもレベルに引き下げなければならないのでしょう?朝日や毎日ならば、小学生新聞、中学生新聞という別枠が発行されているのを知らないのでしょうか。(参照:2008年2月8日付「ユーリの部屋」)(ユーリ後注:毎日中学生新聞は、残念ながら2006年3月31日で休刊となったそうです。)もし購読料が高いというなら、学校の先生に頼んで図書室に入れてもらっては?昼休みなど細切れ時間を見つけて、走って読みに行くという努力そのものが、成長期にはプラスになるとも思うのですが。ちなみに、人口三万人の小さな我が町の図書館にも、朝日の子ども向け新聞が入っていて、誰でも閲覧できるようになっています。
私の場合は、小学校三年生になったら、母が(頼みもしないのに)毎日小学生新聞を購読してくれたので、そのお世話になって過ごしました。定期的に、作文やお習字を投稿しては掲載していただき、メダルや賞状を学校経由で送ってもらったものです。中学校に入ると、中学生新聞。いずれも、自分の学校以外の様子がわかる上に、ニュース報道も、成長に合わせて、かみくだいた説明と振り仮名付きのダイジェスト版。(公立学校では習わないような)私立受験用の難しい英語や数学の練習問題もついていたり、悩み事相談の欄もあったりして、それなりに視野が広がったと思います。
今でもそうですが、新聞切り抜きのスクラップノートを作るのが習慣だったので、何かのついでに読み返してみると、(あの頃の中学生新聞は、活字も小さくて内容が詰まっていて、レベルが高かったなぁ)と思うのです。そして、担当された新聞記者の配慮や「親心」も、とてもありがたく感じられます。
国語学習に話を戻しますと、英語講座をラジオで聴き始めたのが、忘れもしない高校二年の七月。講師と外国人ゲストが会話の途中で笑っているのを耳にして、(何を笑っているんだろう?早く聴き取れるようになりたい)と、いつも思っていました。それが学習の原動力となっていたのでしょう。
今のラジオ講座では、何語とは申しませんが(何てしょうもない話をしているんだ)と、意欲減退につながるような会話もなきにしもあらず。聴く度に新しい世界に触れて、知識が広がるような刺激を覚えながら、いつも上を目指していたあの頃が懐かしいです。