ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

おのおのの仕事の判定

おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、燃え尽きてしまえば、損害を受けます。」
第一コリント3:13-15 日本聖書協会新共同訳 1987/1998』より引用)

2週間ほど前に届いた『日本クリスチャンアカデミー機関誌(第516号)』に、「日本人が失ったもの」として、上智大学の学長を歴任されたヨゼフ・ピタウ大司教の叱責が紹介されていました(p.1)。この記事がずっと気になっていたので、自分への叱咤の意味も兼ねて、ここに少し書いてみようと思います。
イタリア出身のヨゼフ・ピタウ大司教は、1952年に初来日され、イエズス会の使命として教育に従事されました。その後、故ヨハネ・パウロ二世に重用され、24年間、ヴァチカンで教皇を支えられたとのことです。そして、24年ぶりに望んで日本に戻ってみたところ、日本社会の荒廃ぶりに大変驚かれたそうです。
戦後の日本で、皆が教育を大事にしていた姿を見て、この国は必ず近未来に立ち直ると実感したとのこと、それに比べて、今では、このままでは近未来滅びると思った。家族、社会、宗教界も只立ちすくんでいるようで立ち向かっていないように見える、と。
「この簡単で単純なる人間社会の原点に一刻も早く復帰して、この素晴らしい国を立ち直らせてください。」
かくいうイタリアだって、そこはどうなんですか、と言い返す前に、他国へ来てその国の社会と人々のことを、こんなに心配してくださる大司教の存在に、まずは感謝申し上げたいと思います。
ロバート・ハント先生の「福音と共に社会と関わる多くの方法をクリスチャンは持たなければならない」(参照:2010年8月11日付「ユーリの部屋」)を想起させます。
結局のところ、一人一人が何を基盤にどのように日々を積み重ねていくか、それも、自己目的ではなくて、「社会と関わる」という意志を持って、ということです。しかも、それぞれの「仕事は明るみに出され」るのです。それは、単なる表面的な業績とか社会的地位とか財産などというものではなく、「かの日」になって明るみにされるものです。
そういう意識を持って、自分の内外の仕事に取り組みたいものです。