ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ジハード再考

「メムリ」(http://memri.jp

緊急報告シリーズ
Special Dispatch Series No 3147 Aug/14/2010


「ジハードのないイスラムはありえない」


サウジ政府系日刊紙アル・マディーナのコラムニスト、アナス・ザーヒドは、ジハードという言葉(の意味)を個人的かつ精神的な戦い(努力)に限定し、占領に対する戦いをジハードと見なさないアラブ・ムスリム知識人を批判した。ザーヒドは占領に対する戦いこそ、ジハードの最も基本的な意味とする。
以下は抜粋である。



ジハードのないイスラム植民地主義の産物であり、ムハンマドイスラムとは全く関係がない。むろん、最大のジハードは個人的ジハードであり、このことに、イスラムにおけるジハードが戦い(だけ)に限定されないという証明が存在する・・・(しかし、このことは一方で)ジハードに他に多くの様相がないことを意味しない。これらの様相には、社会に対する個人の責任に係わるもの、及び、ムスリム国家に宣戦布告する(異教の)社会と国家に対する(ムスリム)社会とウンマムスリム共同体)の関係に係わるものが含まれる。


「(しかし)アメリカがテロと呼ぶものに戦争を宣言して以来、テロをひとつの形、つまり個人的ジハードに限定しようとするアラブ・ムスリムの知識人・学者グループが現われた。これはまさに、英国の植民地時代のインドで起きたことだ。この際、カディアン派が現われ、植民地主義者と戦うという原則を拒絶した。アフマディーヤの名前でも知られる同宗派は、戦いという意味でのジハードの義務を廃棄し、ひたすら個人的ジハードを説くことで満足した。


「印象的なのは、イスラムからジハードの義務を廃棄しようとした説教が当時存在したこと、そして現在も、こうした説教が存在し、イスラム世界、とりわけアラブ世界に存在する最も野蛮なタイプの帝国主義や占領と並存していることだ。この事実は、『友好的』イスラムの普及にあたっている哲学者、文筆家、メディアのメンバーの意図に疑惑を投じるものだ。『友好的』イスラムとは、占領、(占領された土地の住民の)移動、(占領された)土地の再入植、その土地の住民の武力による追放――との共存を信徒に義務付けるものだ。


「この高貴な言葉(ジハード)の盗用を過激なテロリストのギャングたちが図った後、私が完璧に了解しているのは、われわれムスリムがジハードという言葉を再吟味しなければならないこと。同様に、われわれが、ジハードを(宣言する)条件と制限━(ジハードが宣言できるのは)ムスリムが彼らの土地から放逐され、宗教的強制(を受けている)時だけであるという条件と制限━に縛られていることだ。


「一方で、私が理解できないのは、ジハードという言葉の、ムスリムの再吟味の呼びかけが、ムスリムの土地を占領し、無実の者を殺害し、住宅を破壊し、数百万人を追放する者たちへの宣戦布告を拒絶する見地から為されていることだ。イスラムは正義の宗教であり、正義の最も基本的な原則は悪に反対し、屈服しないことを求める。言うまでもないが、占領は最も過酷な悪の形態である。占領に、この土地の再入植と(住民の)追放が加わるなら、それは人間に降りかかる最大現の悪となる。ジハードのないイスラムはありえない」※


注:[1] Al-Madina (Saudi Arabia), July 24, 2010.

(引用終)