ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

コラソン・アキノさんのご逝去

コラソン・アキノさんのご逝去の報に際し、学生時代に文通していたフィリピンのペンパルのことを思い出しました。
「ピープルズ・パワー」の頃には、便箋4枚ぐらいにびっしりと英語で状況が綴られていました。切手はなぜか封筒の裏に何枚も重ねて貼る癖のある女の子で、ごてごてに固まったような封筒から切手をはがすのに一苦労したことも思い出します。
(何やら大変そうな国だけれど、普通の十代の子が、こんなに熱くなって自国のことを書けるなんて、すごいなあ)とびっくりしました。とにかく、混沌として、人々のエネルギーが結集して、暑い、熱い国、というイメージでした。
残念ながら、フィリピンへ行ったことはありません。当時の印象としては、マレーシアの方がやや田舎っぽいけれども、モダンで安定した国、というものでした。また、東南アジアの研究といえば、フィリピン、インドネシア、タイ、ベトナムが中心だったように記憶しています。さて、その判断はいかに?
と思ったら、今朝の朝日新聞には、マレーシアで野党支持者がクアラルンプールでデモをしたというニュースが掲載されていました。フィリピンの「ピープルズ・パワー」の群衆の写真よりも規模がおとなしめですが、毎日、マレーシアの新聞に目を通しているので、いわば予想できた記事でした。

マレーシアについて勉強をしているとはいえ、正直なところ、話題としてはともかく、研究対象としての政治運動は、私には苦手な分野です。日本ですら、デモをしたことも政治運動に参加したことがないのに、外国について判断する手立てを持っていません。ただ、情勢だけは日々把握するようにはしています。

クアラルンプールの大司教館で、マレーシアのカトリック大司教がしばしば会合でフィリピンに飛んでいらしたと聞いていました。もしかしたら、その筋で、敬虔なクリスチャンだったというコラソン・アキノさんとも、故シン大司教との関わりで面識があったのかもしれないですね。ご冥福をお祈りいたします。