ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ヒラリー・ハーンの演奏会の後に

今日で最終日となる、サロネン指揮・フィルハーモニア管弦楽団ヒラリー・ハーンの演奏会。関西に始まり、名古屋で終わる日本ツアーなのですが、いくら故郷とはいえ、新幹線に乗って再度聴きに行くような余裕がなく...。
インターネットのおかげで、いろいろな人々の演奏会の感想が読めて、楽しみが増えました。もっとも、その内容は、初心者から玄人までさまざま。短いものから詳しいものまで諸段階。いずれも参考になります。私などの書くものでも、昨日はアクセス数がぐんと増えて、びっくりしました。
ちょうど気分転換をしたかった時期だったので、演奏会を機に、興味を持ったことについて、あれこれ調べ始めたのですが、趣味とはいえ、悪くない時間の過ごし方だと思っています。ただ、もしフルタイムの仕事を持っていたとしたら、そんな暇もなく、演奏会に行けたとしても(すばらしかった)のみで済ませ、忙しく予定をこなすだけで終わる生活だっただろうとも思います。もともと、高校生の頃から、目的一筋のゆとりのない暮らしに不満でしたので、これも私の性格であり、人生選択の一つなのかもしれません。
それに、数ヶ月前から安くはないお金を払ってチケットを求め、2時間半ほどをホールで過ごしたのに、自分なりのレポートをまとめないで記憶が薄れてしまうのも、もったいないことです。演奏会は、奏者のみならず、聴衆と共につくりあげていくものですし...。
さて。
東京での演奏会も、なかなか好評のようです。ヒラリー・ハーンさんはホールによってアンコール曲を変えているようで、イザイの「メランコリア」(無伴奏2番二楽章)や、バッハの「ジーグ」「メヌエット」などを披露された模様。いいなあ、東京の人達は...。
シベリウスも、今回の演奏会に刺激されて、早速、古い録音ですが、CDを注文。昨日届きました。
カラヤン指揮・ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団シベリウス交響曲』(EMI Classics, 1982
この演奏の評価はよくわかりませんが、1番、2番、4番、5番と4曲セットなので、選んでみました。今、聴きながら書いています。
そういえば、演奏会の翌日に、テレビ「オーケストラの森」で、広島交響楽団が同じシベリウスのシンフォニー第2番を演奏していましたが、テレビのせいか、音量も弦の揃いも今一つ、という気がしました。やはり、いいオケで生演奏に触れるのが一番です。
せっかくなので、この度調べて知ったことを書いてみましょう。
昨年、ヒラリー・ハーンが来日した時、東京でJosh Ritterというフォーク・シンガーの青年と楽しい公演を行ったそうですが、二人の関係については、「ヒラリーのおばさんと自分の両親が友人で、長く神経科学の仕事をしていたんだ」とのこと。彼自身は、アイダホの小さな町の出身で、「東京は初めてだけど、いい所だね」などと、実に素朴なお愛想を、ニコニコしながら述べていました。これは、彼女のビデオで見たのですが、本当に偉ぶらず、柔軟で気さくなんだなあ、とアメリカ人の行動規範のよさを改めて知った思いです。そして、親がどうであれ、その人の特性を早くに見抜いて、最大限、伸ばそうとするアメリカのやり方の実現型だとも、うらやましく思いました。
ヒラリーさんも、3歳ぐらいのほんの幼い時に、ヴァイオリン演奏の様子をお父さんに連れて行ってもらい、「お前のやりたいことはこれかい?」と尋ねられて、「そうよ(sure)」ときっぱり。さすがは、16歳で大学の学位取得に必要な単位をすべて修得してしまったものの、19歳まで自発的に卒業を伸ばしたという才媛だけあります。ただし、「私のヴァイオリンのために、両親は人生を犠牲にした」とも、英語インタビューで述べていました。確かに、小学校低学年以降は、一般学校に通うのではなく、ホーム・スクーリングで勉強したようです。メガネ顔の写真もあり、単に天才肌というのではなく、相当、勉強も頑張り屋さんなのでしょう。
お母様のAnne Hahnさんによれば、「音楽は好きだが、音楽家の家ではない」「娘は小さい頃から集中力があり、同じ年頃の子が15分続くところを、娘は30分やっていた」とのこと。また、家族仲もよいそうで、彼女の端正で謙虚で礼儀正しい演奏ぶりは、そういう背景から自然に滲み出ているのかもしれません。その点、ヨーロッパ人の同世代の女性ヴァイオリニスト達に比しても、感じのよさは抜群だと思われます。
また、驚かされたのは、約3年前に相当する、28歳の時の自己プロフィール。演奏旅行で訪問した国は33ヶ国で、訪問した都市は241。演奏会は総計1131回(含:オーケストラとの共演749回+リサイタル205回)。163人の指揮者と共演。宿泊したホテルの部屋は599。ギネスブック記録をめざしているのでしょうか。
そして、演奏会については、「2年前には予約をとらないといけない」「自分で企画を立てて、オーケストラやCD録音を提案するけれど、先方の都合もあるので」とのこと。若くしてこんなに世界的に成功している方でも、積極的に自分から動かれているのですね。
以前、主人に誘われても演奏会に行く気になれなかったのは、彼女のモナリザのような風貌、人形のように整った顔立ちから、単純に若くてかわいいのでアイドル扱いされているのではないか、という偏見が私にあったからなのですが、いえいえ、とんでもない誤解でした。
クリエイティブで常に新しいことを考えて実践する態度、毎回の演奏およびインタビューが知的で新鮮でおもしろいこと、「私が録音をするのは、人より上手だからというのではなく、古い録音でさまざまな解釈を聴いて、自分の新たな解釈を加えたいから」という明確なポリシー、「演奏旅行でいろいろな所に行けて、さまざまな人々と会えるのが楽しい」という開かれた姿勢、舞台での気品あふれる抑制の利いた演奏ぶりなど、生演奏に二度も触れられて本当によかったと、今では認識を改めています。
「クラシック産業は、今では灰色がかった中高年のものではないか」との問いには、「私の演奏会では、若い人も来てくれています。斜陽化しているとは思っていません」と明快な返答。マーケット側にとっても、この言葉は聡明かつ心強い限りで、ますます期待されるところでしょうね。

さて、音楽についてはこの辺りにして、昨日、辞任表明した総理について、少し私的感想を付け加えます。

実のところ、4月頃から、新聞のスクラップも退屈になってしまい(参照:2010年1月8日付「ユーリの部屋」)、古新聞が積み上がったままです。また、私自身のtwitterもやめています(参照:2009年12月5日付「ユーリの部屋」)。政権交代した時から、政策や連立の組み方に無理を感じていたので、大きく期待していたわけではありませんでしたが、首相がころころ変わるのもいい加減にしてほしかった上、弱者切り捨ての政策にも嫌悪感があり、半信半疑ながらも、少なくともできるだけ安定することを望んでいました。
ただし、首相のtwitterでの発信を見る限り(参照:2010年1月7日・2月8日付「ユーリの部屋」)、マスコミに対抗して、自分自身の仕事ぶりをアピールしたいらしい様子がうかがえ、どこか無理に無理を重ねているようにも感じましたし、3月半ばに東京で挨拶をうかがった時にも、あまりにも疲れが滲み出た肌だったのにも驚きました(参照:2010年3月23日付「ユーリの部屋」)。繰り返しますが、こうなることを半ば予想の上で、私なりに3月に機をとらえて、なすべきことができてよかったと、自分では思っています。こんなことは、恐らく、人生において最初で最後でしょうから。
しかしながら、普天間問題については、普段、沖縄の人々の気持ちを忖度することなく、のうのうと暮らしていた私達の多くに、遅ればせながらも、さすがに気づきを与える触媒にはなったのではないか、という点で、全くの無意味だったとは思えません。それに、反対するならば、代替案を示すべきなのに、政治に対しては、専門家でもない一般人が、とかく権力者に文句を言うばかり、という傾向はいかがなものか、とも感じました。
そして、私自身については、「友愛」を唱えた時点で、鳩山一郎氏の著作などに集中して目を通せたことで(参照:2010年2月1日・2月13日付「ユーリの部屋」)、近現代政治史および世間に関する一つの勉強にはなりました。「友愛」運動は、民間レベルで自然と広まっていくのが望ましく、政権を担う人が理想のみ掲げても、今の日本の一般の人々に浸透するには、どこか乖離があったようにも思われます。
鳩山会館にも行ってみて思ったことは(参照:2010年3月23日・24日・25日・26日・3月29日付「ユーリの部屋」)、お祖父さんの代と孫の現在とでは、生育環境も人々の意識も世の中のあり方も、全く異なるということです。あのような突出した環境で育つと、周囲が小さい頃から期待を寄せてしまうこともあり、自己選択の余地無く、進路決定を自覚させられる運命にあるのだろう、とも思いました。
メルマガを読んでいると、毎週、非難や批判のコメントが多く、本音では、twitterや記者会見での強気の発言に反して、もっと早くに辞任したかったのかもしれない、と感じてはおりました。一方で、確かに、「鳩カフェ」など新しい試みの幾つかもあり、今の時点で、総合的に早急な判断はできないとも思っています。
それにしても、もっと我々一人一人が、地道にしっかりと考えて行動すべきだと、強く反省させられます。