ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ヒラリー・ハーンの演奏とサイン会

昨日書いたブログについて、二カ所訂正があります。読んでくださった神戸在住の方から、ミスをご指摘いただきました。(昨日分について、直した箇所を赤字で示しました。http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100601

[修正前]バッハ:無伴奏ヴァイオリン パルティータ第3番 BWV1006 ブーレ(ソリスト


ヒラリー・ハーンの西宮でのアンコール曲名ですが、4階席だったこともあり、彼女自身、「バッハのブーレです」と言ったように聞こえました。実は、第二楽章の「ルーレ」だとのことです。
バッハのヴァイオリン無伴奏曲は、いずれも美しくて好きですが、演奏家によって、さまざまな解釈がありえます。今のところ決定版を決めかねているので、まだCDや楽譜を持っていません。それもあって、終了後にホール内のアンコール曲名を貼った掲示板を見に行き、メモを取りました。掲示板では、確かに「ブーレ」と書いてありましたので、妙に素直に納得。こういう来日ツアーでは、専門の音楽関係者が、当然ホールに待機されて、アンコールについても即座に曲名を言い当てるのだろう、と思っていたのです。
昨日、自分のブログを書く前に参考までに拝見した他の方のブログでも、「ブーレ」と書いた後に、実は「ルーレ」だったと追加修正されたものを読みました。どちらか迷ったのですが、とりあえずホールの方を尊重して書いた次第です。
ご指摘は、以下のとおりです。

「BWV1006には両方(LoureとBourree)ある」「当日ヒラリーが例の日本語で言ったときには、私もブーレに聞こえ「めずらしいな」とよろこんだのですが、演奏がはじまってすぐルーレだったとわかりました。」「ルーレは最近彼女がダラスの放送局で演奏したのを画像で見ていたのですこし残念だった次第です。参考:http://www.youtube.com/watch?v=L3T2XpV3X_Q

ダラスでの演奏もすばらしいですよ。ご指摘メールをいただく前に、昨日、見ていました。おかげさまで、この清冽な曲に対する思い入れがより深まったように思います。ありがとうございました。

さて、昨日の続きで、書きそびれた点を補おうと思います。
ヒラリー・ハーンチャイコフスキーは、繰り返しをきちんと提示する版だったこと。つまり、時々、他の演奏家によって奏されるような省略型の版ではなかったこと。
・アンコール曲は、他のホールでは、「バッハのサラバンドです」と日本語で紹介しての演奏だったとの由。(サラバンドなら、聞き間違えようもないですね。)
・同じく東京では、シベリウスのアンコールは三曲で、「悲しきワルツ」が追加されていた模様。
・西宮では、ヒラリー・ハーンのみのサイン会だったのが、東京では移動の負担が軽いためか、サロネン氏もサインに加わったらしいこと。

それで思い出したのですが、シベリウスの「行進曲風に」は、井上道義氏指揮の生演奏が、これまでで特に印象に残っています(参照:2008年9月23日付「ユーリの部屋」)。あの時は、奇しくも今回、ヒラリー・ハーンのCDで購入した、シベリウスのコンチェルトを、ギドン・クレーメルが奏でられたのでした。確か、ゲネプロ無しの楽譜を見ながらの演奏会だったような...。テレビカメラが入っていたのに、その後、放映のお知らせがなかったのは、私が見逃しただけかもしれませんが、少し残念です。
しかし、あの時初めてクレーメル氏と、直接お目にかかれたのです!まさに一期一会。サイン会もありませんでしたが、スケジュールが立て込んでいらしたのかもしれません。一度、井上道義氏が楽章の途中で、突然、舞台袖に入られた時には、クレーメル氏も落ち着き払って、わざと調弦を始めて協調的に時間稼ぎをされていました。ああいう突発の事態で、どのような振る舞いをされるか、知ることができる点でも、演奏会に出かける意味があるというものです。
さて、肝心のサイン会。先月のアンネ=ゾフィー・ムターとオルキス氏の演奏会(参照:2010年4月18日付「ユーリの部屋」)の時のように、会場入り口の両脇をつい立てのようにしてホールをふざぎ、対面するように机を出してのサイン会でした。ディーナ・ヨッフェ氏の時には、サインを求める人が列をなさないほど少なく、そのまま気軽にやっていらっしゃいましたが(参照:2010年4月30日付「ユーリの部屋」)、何百人と並ぶ人の列ができる際には、このような形式にされたようです。また、写真なども、数年前の庄司紗矢香さんと小菅優さん、五嶋みどりさんとエッシェンバッハ氏の時には可能だったと思いますが、もう禁止になったようです。(その方が演奏家にとっても、肖像権の上で、むしろ正解かもしれません。)
とにかく、私などいつも、モタモタして最後列に並んでいるようなタイプですが、気がつくと、まだ後ろに人の波ができている有様。すごい人気です。
昨年のリサイタルの時には、ヴァンティーナ・リシッツァが、本来ならばヒラリーさんからいただくべきはずのサインの場所に、うれしそうに自分の名前を書いてしまったので、せっかくのご馳走の後で、意外にもぬるいお茶漬けを出されたような感覚だったと記憶しています(参照:2009年1月13日付「ユーリの部屋」)。あれは、いささか残念でした。

ちなみに、リシッツァとはよくペアを組んで、海外ツアーに出ているらしく、You Tubeの自作ビデオでもヒラリーさん自身、そのように語っていますが、私個人の印象としては、モーツァルトで共にCDを出している中国出身のNatalie Zhuさんの方が、ヒラリーさんに合っているのではないか、と。
今回調べたところでは、二人はカーティス音楽院で一緒だったそうです。6歳からピアノを始め、9歳の時、北京で演奏会。11才でロサンジェルスに移住し、15歳までにカーティス音楽院に入学したというZhuさんとは5歳の開きがあり、もちろん、ヒラリーさんの方が年下なのですが、ある日、先生から「一緒に合わせてみてはどうか」とお話があり、それ以来の仲なのだそうです。(お母さんはボルティモアでの仕事に専念するために平日だけ別居していた関係上、音楽院近くのアパートで早熟のヒラリーさんの世話をしていた、幾分お年を召されているらしい)お父さんが保護者として付き添って、13歳から演奏旅行を共にし、宿泊ホテルの部屋も二人一緒だったとか。お互いに一人っ子なので、それぞれ独立心もあったし、とのこと。もっとも、Zhuさんが修士課程に進学するために他の学校に行ってからは別々の道を歩み、その後、2005年に結婚したZhuさんとは、プライヴァシー上、各々の部屋に宿泊するようになったけれども、今でもいいパートナーだ、ともインタビューで答えていました。
You Tubeで見る限り、Zhuさんは、東洋の落ち着いた風格をたたえ、品よく整った顔立ち。無理な派手さのない、とても感じのいいピアニストで、一見静かで目立たないようなのに、実は才気煥発、抜群の実力の持ち主。ヒラリーさんを立てながら合わせるのが非常に上手だと思いました。それに、ヒラリーさんの方も、典型的な白人女性の華やかで愛らしい外見とは裏腹に、異なる文化にも好奇心旺盛で柔軟性があり、新しいものに対して偏見なく貪欲に理解しようという姿勢が見られるので、むしろおもしろい組み合わせなのではないか、と思われます。あくまで私の好みに過ぎませんが。
閑話休題。話をサイン会に戻しますと、今回はお一人。一階フロアに戻るところで下を見たら、既にサイン会が始まっていました。裾の長い灰色風のチェック地の上着に黒いパンタロン姿のように見えました。また、オケのスタッフなのか、ガードマンよろしく、イギリス人らしき二人の男性が、そばで見守っていました。
私はCDの解説書の写真の下に、主人は(私が頼んで)パンフレットの空白箇所にサインをいただきました。英語で“Thank you very much!”とのみお礼を申し述べましたが、彼女は、丁寧にサインをした後に、茶道のように丁重に両手を揃え、こちらをまっすぐに見据えて、やや高めの細い声で「ありがとうございました」と。(え!こちらが言うべきことなのに!)と驚くやら感動するやら....。爪に舞台衣装と同じような朱色のマニキュアをしていたのが、ご愛敬(Twitterにもそのことは書いてありました)とはいえ、いわゆる古風な良家の日本娘といった感じの態度でした。その場の雰囲気に合わせるのが自然にできるタイプなのかもしれませんが、演奏会後はただでさえ疲れているだろうに、微塵も見せず、本当に一人一人に心をこめて挨拶をされているのには、びっくりしました。私の番が終了したのが午後9時16分。
上の話の重複ですが、昨年の場合は、マネージャーらしきアメリカ人女性と、いかにもアメリカ娘らしく何かをベラベラ喋りながら、しかし、サインが終わるとこちらをしっかりと見つめての挨拶でした。その時には、肌がやや荒れているようにも見え、(あれだけ世界中を飛び回っていたら、さすがに若くても、そうなるのもやむを得ないのかな)と、少し気の毒な気もしていたのですが、今回は、舞台化粧のままなのか、化粧くずれもない、とてもきれいな肌でした。
今回改めて感じたのは、ヒラリー・ハーンの並外れた体力とタイム・スケジュールです。あんなに世界中を飛び回って演奏会をこなしているのに、一体、どうやって管理しているのでしょうか。「母からは、仕事を持つプロフェッショナルな姿勢というものを学びました」と、昨年読んだ英語インタビューで語っていましたが、それにしても、到底まねのできない業です。
4日に一度の割合で演奏会のためにあちらこちらを移動し、ホテルに到着するとすぐに練習を始め、同時に彼女のために書かれた新譜なども勉強し、リハーサルはもちろん必須。生演奏ではほぼ完璧に手を抜かず、しかも、聴きに来た観客との出会いが好きだといって、どこでもサイン会に気さくに応じる。当然のことながら、合間にCD録音や舞台衣装作りもあるでしょう。CDのジャケットや演奏会のパンフレットやちらし用の写真撮影も、小菅優さんの著作によれば、こちらが想像する以上に一日がかりなのだそうです。
それに、五嶋みどりさんのホームページで知ったのですが、演奏会で使う曲目については、楽譜の版権や著作権などの交渉が必要で、そのための弁護士を雇っているのだとか。国内でも海外でも、移動するのに、気象関係で飛行機が突然飛ばなくなったり遅れたりすることもあり、それでもめったなことでは演奏会をキャンセルできない(しない)ために、神経を使うのだとも読みました。ふうぅ!
そういう表には見えにくいマネージメントだけでも大変そうなのに、暇ができると、パソコンでジャーナルを綴ったりビデオを作ったり、作曲家とのインタビューもこなす。(シェーンベルク家との会話がおもしろかったです!)サマースクールでは、日本語などを新しく学ぶ。祖先のことばであるドイツ語はもとより、フランス語でもインタビューに応じ、テレビ出演もこなす。You Tubeで紹介されているデンマークのテレビ番組などでも、相手に合わせて親しみやすく振舞い、番外編ではお茶目で楽しい側面も見せてくれました。
人生で求めるものは何かが、ほんの幼い頃からはっきりわかっていて、自己決定がしっかりしている早熟な「天才少女」の典型なのに、そういう人々がはまりやすい陥穽にも、自分で気をつけながら、大人への移行期間を楽しんだ、と述懐する彼女。知的で誠実で素直という人柄に加え、柔軟で新しいものにどんどん挑戦するオープンな態度。容姿にも恵まれているのに、決して驕り高ぶらず、大変な努力家。しかも、どうやらそれが、無理してそうしているという感じでもなさそうなのです。本当にすばらしいプロフェッショナル女性だと思います。
ところで、クラシック音楽家の世界で、ジェンダーの問題には、言われるまで気づかなかった、との由。音楽院の先生にも女性と男性がいて、両方から習っていたから、と。私が思うに、恐らくこれは、10歳で入学したカーティス音楽院で、お父さんが身の回りの面倒を見てくれていたという状況も預かっているのでしょう。父娘の関係が良好だと、世の中に出てからも、何かと自然にうまくいくようです。そういう意味でも、非常に幸運な人だと思います。