ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

遅ればせながら、の発見

今日の午後は、二週間前に借りた1902年初版の6センチほどの厚さの本を返しに、民博図書室へ向かいました。
しばらくは、他の積ん読本を読んだりしてそのままにしてあったのですが、返却日が今日となれば、是非とも読み終わらなければならず、午前中から集中して取り組みました。我ながら驚くべきことに、予定した通りに事が運び、必要な箇所の複写も二カ所のコンビニで、時間通り、うまい具合に終わらせることができました。
そして、残りの時間で、二週間前に完了しなかった1800年代のジャーナル8冊のコピーも、締め切り時間の4時半の5分前には、余裕を持って済ませられました。
5時閉館なので、4時頃に複写申し込みをすれば何とか丸く収まるだろうと思っていたのは、こちらの勝手な思い込みで、「4時半までに支払いもすべて終わるようにしてください」とのこと。本の返却を係の方がしてくださるので、その分早めに、ということなのでしょうが、それにしても、今日は気持ちよく進んで驚きました。
思うに、小さい頃から、周囲の要求水準があまりにも高過ぎて、いつも重い荷物を背負い込んで必死になっていたようです。そして、未消化の仕事や勉強に対して、(あ〜あ、また終わらなかった、だめだなあ)と自分にハッパをかけていたんだと思います。これは、潜在意識にとってもよくありません。わかってはいたのですが、「明日有りと思ふ心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」を実践しようとすると、とかく、目一杯予定を詰め込んで、結果的に焦ってしまうのです。それにもかかわらず、周囲も「まだだめだね。もっと焦りなさい」みたいなメッセージを送っていたようにも思います。
数日前に妹と電話で話していたところ、「障害(あえてそのままの表記を使用します)のある人でも、やる人はやるし、やらない人はやらないし...」と言われ、(確かにそうだ!)と、元気づけられたのです。(自分でわかっていても、人から言われるのとは、インパクトが違います。)
今さら、恵まれて‘成功’している人を目標にしてみたところで、環境や条件そのものが違うのだから、無理に無理を重ねるのみ。今日はこれでいこう、と最低限、確実にできることだけを予定に入れて、それをきちんと消化する、この継続でいこう、と。
その実践の一例が、今日だったのです。シンプルなようですが、心理面への影響を考えると、私にはこれが合っているのかもしれません。