ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

来し方行く末について

土曜日には、マルティン・ブーバーに関する講演会と若手研究会に出席させていただきました。
久しぶりだったので、人事異動や若い人々の活躍ぶりに、いろいろ学ぶところ多かったと同時に、あらためて己の来し方行く末を感じさせられた一時でした。
講演者の木田献一先生については、数年前にNHKラジオで旧約の預言についてのご講義を聴いていました。終了後、「ご挨拶をどうぞ」と別の先生に勧められて、そのことを申し上げると、「今日は楽しかった。名刺ください。こちらから送るから」と言われて、恐縮してしまいました。
今回の研究会は、全く分野違いですが、T先生が「議論に慣れるといい」とおっしゃって、自ら推薦で入れてくださった学会です。私にとっては、発表も投稿もあり得ないだろう場所なのですが、年に一、二度出かけていくのは、この会合の質素で手作り風ながらも学究的な雰囲気が好きなのと、若い院生の方達の発表に対して、ベテランの先生方が、丁重にしかも対等の立場でコメントをされている姿に、昔の学生時代を思い出させる懐かしさを覚えるからです。
また、数年前からのことで、自分の中でわだかまりがあって、もやもやしていた部分について、声をかけてくださった院生の方に率直にお聞きしてみたところ、簡潔に経緯などを説明してくださり、遅ればせながら、ようやく一つ納得がいったように思いました。これまで、私のような外部の者にとっては、一生懸命に理解しようと努めつつも、内部事情を知らないために、不要な摩擦や誤解を生んだかもしれない側面がなきにしもあらずでした。呼ばれたので出て行ったものの、組織がそういう方向性ならば、自分なんて、そもそも不要な存在なのではないか、とも何度も感じさせられ、無力感に襲われたこともあります。そんな中で、学生さんの方は、あれから何年もたったのに、物腰柔らかで丁重な態度で接してくださるので、本当にありがたく思われます。
一見、無関係な学会のようでも、不思議なように、しばらく前に送られてきた会報に書かれてあった連絡事項が、思いがけず私のマレーシアでの経験と合致していて、驚いたことがあります。どこかで何かがつながっているのだから、関係性は大切にしなければ、と改めて思った次第です。
ただ、帰宅すると、自分のやってきたリサーチに関して、やたら時間ばかりかかる割には、お世辞にも次元の高い話でもなく、どこでどのように発表すれば効果的なのかもわからなくなってきてしまい、無意味さ、虚無感がわき起こってきます。フィールドワークなども要らない思想系が中心の会合に出ると、ますます、どこかで道を誤ったのではないか、と考えてしまいます。もっとも、初めから土台が違うのだから、気にする方がおかしいのでしょうが。
木田先生は、学問の流行に左右されないで、堅実な研究を積み重ねてこられたとのことですが、ご本人いわく、「自分の生き方や思想の問題として聖書を読んでいる。人の言うことを聞いていたら、何もできない」との由。そうなんですよね、人は人、自分は自分、です!