ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

諸宗教の神学

昨晩は、夫の身を案じながらも、講座代を全額支払ったからということもあり、大阪クリスチャンセンターで佐藤全弘先生の「諸宗教神学」と題するご講義を受けてきました。
相変わらず、27名ぐらいの中高年の男女が集まり、熱心にノートをとっていました。先生の方も、ご高齢にもかかわらず、大きな張りのある声で、2時間、水も飲まずに立ったままでのお話でした。
若いお兄ちゃんお姉ちゃん達相手に、大学で同じ講義をされたとしても、もしかしたら、関心がなかったり、眠かったりで、全体の集中度が下がるのでしょうが、大人向けというのは、問題意識がはっきりしている上、夕方6時半から8時半という時間帯に、わざわざ出向いてお話を聞こうという向学心があって、先生としても楽しみなのではないでしょうか。
昨日の講義は、インド系神学者の他宗教に対する考えが二例、ご紹介されました。急速に多様化する世界にあって、キリスト教神学も従来のままでは到底対応ができず、諸宗教との共存の上で変わっていかなければならない、という現実に迫られて、「諸宗教の神学」が提示されたとのこと。ただし、現在は、神学者の考察が文献で出ているのみで、結論としてまとまっているわけではなさそう、との由。
マレーシアでの事例を20年間も(現地滞在経験の計4年間を含む)見てきた私にとっては、今回のお話は、実によくわかるものでした。比較的近年の文献紹介もあって、勉強になりました。この点、下手な大学の講義を聴いているより、よほど信頼が置けるかと思います。
ただ、講義の終盤あたりで、私の後ろに座っていたおじいさんが、イライラした声を上げていたので、こういう話に抵抗のある人々もまだ多いのかもしれない、と思いました。おじいさんは、恐らくは何かの病気なのでしょう、鼻から管をつけていました。そして、「先生はわざと質問の時間を少なくしてる。私はここに、聖書の話を聞きたくて来たのだ。聖書には、神の愛、とはっきり書いてある」と、前のホワイトボードに出て行って、自分でペンを取り、文字を書き始めました。その後、ワゴンのついたバッグを引っ張って、さっさと出て行かれました。
いつもは落ち着き払って冷静な先生も、さすがに内心動揺されたようで、「私の考えを言っているのではないですよ。紹介しているだけです」と。「それに、講義全体を聞けば、今回の話も、聖書の愛がすべてを包んでいることがわかるはずです」と言い添えられました。
確かに、一般向けの講義というよりは、クリスチャンセンターでの講義なので、集まる人々もクリスチャンかキリスト教に関心の深い人々だという前提があり、その点、おじいさんには裏切られた思いが強かったのかもしれませんね。ただ、それなら題目をよく見て、初めから出欠を判断すべきでもあったかと思います。
それと、このおじいさんの態度は、何やら、マレーシアの多くのマレー・ムスリムの態度にも近いように思いました。昔に教わったままをずっと大切に守ってきて、それを支えに自分の人生を構築してきたのに、現代情勢が変わったからといって、今更、無理矢理、考えを広く持ち、自己の態度を批判的に反省しよう、と言われても、困惑するのみ、しかも、怒りも伴う、という....。
一方、別の受講者で、ロマンスグレーのおじさまから、「参考文献が幾つか挙がってますが、その中で一番お勧めはどれですか」という具体的な質問がありました。これによって、雰囲気がいささか緩和され、ありがたい限りでした。
家で本を読んで勉強するのみならず、大学の枠を超えて、あらゆる機関を対象にして、ちらしで見つけた講義を受けることの醍醐味は、このような反応から、さまざまな示唆や刺激を受けることにあります。
今週末には、中之島の朝日カルチャーセンターへ「中東の本音と建前」と題する講演を聴きに行きます。